25 御弔
ここから変更部分です。前回のバージョンではあれこれすっ飛ばして後半に突入し、改めて読んでみると説明不足がひどいことになっていたので書き直しました。謎もきちんと用意しましたので、お楽しみいただければと思います。
軸屋が三廻部宅を訪れたのは、十一月中頃だった。初冬の弱い日差しが消えかかる夕刻。引き戸の横にある古びた呼び鈴を押すと、ややあって男の声がする。
「はーい、どちらさまですか?」
と言いつつ戸を開けたのは遍だった。屋内だというのに襟巻きとマスクを着けている。小柄なゆえか、柔らかそうな部屋着が子供の寝間着を連想させていた。
「ああ、お久しぶりだね。あの、パソコンの子だね。胡桃子かい?」
対する軸屋は、制服こそ着ていたものの、元々伸ばし放題だった髪が更にひどいことになっており、玄関の白熱球に照らされ、べったりと油っぽい光を放っていた。
「ご無沙汰しています。今日はお線香を上げさていただきに……」
という手には数珠と袱紗がある。嗄れた声と藪睨みの目は取り付きにくい雰囲気を醸していたが、気にした風もなく、遍は破顔して招き入れる。
「それはありがとう。とにかく上がって」
そう誘われ、彼はあの夏の日以来の上がり框を踏んだ。
「胡桃子呼ぶ?」
「いえ、ご挨拶だけなので。受験もありますから」
「うーん。勉強してんのかな……」
遍は軽く首をひねっていたが「まあいいか」と頷くと、軸屋を案内する。
初七日を終えた祭壇は、居間の奥の小座敷に据えられていた。額縁には、ほとんど無表情といっていい老人の写真が入っている。
「遅れてしまって申し訳ありません。来年春からの案件がもう入り込んでしまっていて……友人に話を聞いたのが昨日の夜中になってしまいました。この度は、ご愁傷さまでした」
弔いを済ませて振り返り、軸屋が頭を下げた。うしろに控えていた遍も叩頭して答える。
「ご丁寧にありがとうございます。生前からのご厚情をお示しいただき、故人もきっと喜んでいると思います」
弔問が終わると、遍は軸屋を廊下の奥に案内する。
「さて、ちょっと待ってて。あ、えーと、君の名前は何だっけ?」
と言うと、遍は襖をガラリと開けた。
「軸屋ですけど……え? 何してるんですか?」
と、軸屋が思わず後じさる。
「胡桃子、軸屋くんが来てくれたぞ」
すると、襖の向こうから驚いたような気配と、バタバタ何かを動かすような音がした。ややあって、戸がぴしゃりと閉められる。
「何だ?」
驚いている遍から、少し距離を置いて軸屋が答える。
「多分、いきなり俺を連れてきたのがまずかった、と思いますよ」
「ふーん。そんなもん? まあとりあえず、こっちにどうぞ」
釈然としない表情の遍に誘われて、軸屋は居間で話すこととなった。夏に見た卓袱台は炬燵になっていて、雰囲気が一変していた。襟巻きとマスクを外すと、遍は炬燵に潜り込む。
「軸屋君も入って入って。あ、足は崩してね。いやー、風邪ひいててね。こんな格好でごめん。急に冷え込んできちゃったから。おじいちゃんもそれで体調崩してさ、あっという間だった」
そのあけすけな口舌を聞きながら、軸屋はそっと炬燵に足を入れる。
「七月にもお加減は悪そうでしたが、それにしても急でしたね」
「まあ。去年から何度か入院してたからなあ。来てくれてた頃はまだ元気だったけどね。そういや、胡桃子と一緒にあれこれ調べてたね。まあ、最期に面白いことができて、よかったんだと思うよ」
そう言いながら遍は、小柄な体をさらに炬燵に入れて横になる。
そのまま何も話さなくなった遍に軸屋が戸惑っていると、自室から出てきたらしい胡桃子が廊下から入ってくる。
「候哉くん、さっきはごめん。あ、えーと、久しぶり」
彼女は少し青白い顔色で、以前より少し伸びた髪をうしろで束ねている。分厚い眼鏡をかけ、その奥の眼をしょぼつかせていた。例によって家での格好は洒落ていて、襟飾りのついた褐色のセーターに、細身の黒いタイトスカート。鈴を転がすような美声はそのままだが、顔色の悪さを反映するかのように、その声の張りは幾分弱めだった。
「もうお線香は上げてくれたんだよね? ん? お兄ちゃんお茶も出してないの? というか、どこ?」
軸屋が黙って炬燵の対面を指差すと、彼女は回り込んで憤然とする。
「眠ってるの? もう、いつもこうなんだから」
一旦台所に引っ込んだ胡桃子が戻ると、二人で熱い茶碗を傾けつつ、しばらく無言の時間が続いた。やがて軸屋が尋ねる。
「で、最近は何を調べてるんだ?」
「いやいや、これでも受験生だよ。さすがにもう勉強漬けだよ、ほんと」
「それは嘘だな。その目の色は絶対史料系のやつだ。受験勉強しているとは思えない」
「あー……うん、ごめん。もうA判定しか出ないからほとんど勉強はしてない」
「それで? 前に俺がストップかけた時と同じくらい、具合が悪そうだぞ」
その言葉に胡桃子の動きが止まり、慌てて視線をそらす。軸屋は構わず続ける。
「言いたくないならそれでいいけどさ、周りに心配かけるんだから、ちょっと加減したら?」
「絶対内緒にしてくれるなら、教える……」
「内容を知らずに保証できるわけないだろ。別に言わなくていいよ」
「んー! やっぱりそう言うかあ。相変わらずだね、ほんと」
ここで初めて彼女が笑った。いつもの、困ったような笑顔だった。軸屋も一緒に笑い、それを見た彼女は緊張を少しほどく。そして「ちょっと待ってて」と言って座を外し、すぐにノートPCを持って戻ってきた。軸屋から無期限貸与されたものだ。そしてその画面を、藪睨みの旧所有者に見せて説明する。
「前に調べた鳴海原のことを、まとめて原稿にしてるんだ。候哉くんも一緒に調べてくれたんだから、ちゃんと言わなきゃって思ってたんだけど……ちょっと勇気がなくて……まだ全然途中だけどね」
彼は画面を覗き込んで読み始めた。さすがに恥ずかしくなったのか、顔を赤らめてもじもじしている胡桃子は、沈黙を嫌ったようにだらだらと喋る。
「一緒に調べたことだから、おじいちゃんに完成したのを見せたかったんだけど。あれもこれもって詰め込んでたら全然進まなくって、しかも、読み直したら自分でもわけが判んない構成になっちゃってたり。ああでもない、こうでもないって悩んでたら、結局、おじいちゃんに言い出せなくて」
それをほとんど聞き流して、五分ほど画面を追っていた軸屋は、やがて目を上げた。そして、満足そうな笑みで胡桃子に告げる。
「面白いよ。俺は全然本を読まないし、調べた当事者だからちゃんとした意見じゃないと思うけど……面白い」
早口に高い声で喋り続けていた胡桃子は、軸屋のこの低い枯れた声で全ての動きを止める。
「え……ほんと? ほんとに?」
「いやだから、俺だと当てにならないだろうけど、すごいな。前に調査したことがちゃんと文章になってる」
「ありがとう」
「完成したら読ませてくれ。三廻部さんが許可しないなら誰にも言わない。ただその代わり……」
「え?」
「ちゃんと睡眠をとって、読み直したほうがいい。誤字脱字がひどいことになってるから」
軸屋が画面をスクロールしながら次々に指摘していくと、その隣に移動した胡桃子は必死に修正する。そして段々と彼女の肩から力が抜けていった。
「ああ……あたし、駄目だね。全然集中できてない……」
「うん、知ってる。前と同じだ。体調崩してる時は何をやっても駄目だろ」
「すみません。これからは、ちゃんと体調管理します」
「判れば宜しい」
とその時、玄関がガラリと開けられて「こんばんわー!」という江間の元気な声が響いた。