24 猶々
駅前のファミリーレストランに、軸屋と三廻部が呼ばれた。奥の席に構えた江間が二人を見据え、江間の横で久瀬が苦笑いしている。テーブルには、山や藪、池、坂の写真が散らばっている。
「めちゃくちゃ収穫のある調査だったよねえ」
そう呟きつつ、写真を見てにこやかに微笑む三廻部。軸屋も珍しく笑顔で答える。
「そうだな。あ、この起伏、よく撮れたと思う」
「へへ。結構頑張ったからねえ」
そんなやり取りを見て、江間が呆れて一言。
「あんた達のツーショットどころか、人がそもそも写ってないじゃん」
「人なんて邪魔だろ」と軸屋が言い「むしろ避けてた」と三廻部。
「この……朴念仁どもが。普通に青春しろよ」
「青春するって何だ?」
軸屋が顔をしかめている。それに答えて
「たとえば、映画を観に行くとかさ」
と江間が提案すると、軸屋がすぐに却下する。
「途中で必ず寝て、首と腰が痛くなるだけ」
「じゃあ遊園地とか?」
「子供の頃に何度か行ったが、何が面白いかいまだに判らん」
「なら、日帰りでグルメ旅!」
「往復が面倒くさい」
江間の問いを次々打ち消す軸屋の横で、三廻部が深く頷いている。
「はあ……もういいや。不安しかないんだけど、二人ともどんな格好してたの?」
「あたしは、山城に行くような感じ。候哉くんは普通」
それを聞いて怒気を発した江間に、久瀬がとりなすように言う。
「だから言ったじゃん。実態としてはおじさん二人の出張だって」
「ストーリーとして面白くない! 卒業を控えた男女の高校生が、受験に苦しむ同級生を差し置いての日帰り旅行でしょ。もうちょっと色気のある話はないわけ? オケハザマ、オケハザマって」
「桶狭間じゃなくて、鳴海原だよ」
しょんぼり怒られながらも、たまりかねて正誤を指摘してくる三廻部に、さすがの江間も毒気を抜かれたように黙る。
そのあとは普通に、三廻部の祖父の意見も紹介しつつ、いわゆるオケハザマの疑問点がほぼ解消されたことの説明になった。江間も途中からそちらの話に夢中になる。
「ふーん。解けたのはいいけど、何ていうかなあ、つまんない話になっちゃったね」
江間は残念そうに首を振った。それに軸屋が反応する。
「面白いかつまらないかじゃないからな、最もありえそうな仮説だ」
「いやー、そうじゃなくて。だって、短く言っちゃえばさ『周りに巻き込まれて、お金も兵隊も少ないのに無理して戦ったから死んじゃった』ってことじゃん。オチがないし、華もない!」
江間が言い切るのを、三廻部が諭す。
「現実なんて、そんなもんだよ。文恵みたいな願望が、オケハザマを生んじゃったんだよ」
だが江間はめげない。
「義元が死んだのは殺人事件だと思えばいいんじゃない。そしたら判りやすいよ」
「殺人事件?」
他の三人が驚く。
「犯人はね、義元が死ぬことで最も利益を得た人物よ」
びしっと人差し指を突きつけられた軸屋は、困惑して三廻部に尋ねる。
「それって、刈谷の誰だか、だよな? 封鎖されて孤立してた」
「水野信元のこと? でも、信元の場合は単純に『もう一度今川で頑張りまーす』って言えばそれで済んじゃった気がする」
「そんなもん?」
「あの時代はね。強いほうについて、自分の財産を増やすのは常識だよ」
三廻部の言葉に、久瀬が深く頷く。
「まあ、今だってそうだよなあ。うちの親父ってさ、家でよく会社のゴタゴタした話をしてるんだよ。あっちこっちの会社の偉い人を呼んで、本人たちは密談のつもりだろうけど、酔ってるから結構大声であーだこーだ揉めてる。それを聞いてると、まあ似たようなものだな。違法じゃなきゃ、何でもあり。ただ、あんまり節操がないと信用をなくして、自滅するみたいだけど」
「そうそう。すごいね、久瀬くん。確かに、戦国時代も同じだよ」
三廻部が褒めると、久瀬は照れたように頬を撫でながら、勿体ぶって言う。
「うん、世の中の仕組みってのはそんなに変わらないものなんだな」
江間は話が掴めないようで黙っていたが、むっとして会話を引き戻す。
「だから、最も利益を得たのって誰?」
「ああ、それなら有名な人がいるよ。徳川家康」
「どこかで聞いたような気がするが、それ誰?」と訊く軸屋に、久瀬が切り返す。
「おいおい、理系の俺でも知ってるぞ。確か、有名な人だ。江戸幕府を開いたやつ?」
「ふーん。で、何でそいつが出てくるんだ?」
そこは久瀬と江間も知らないらしく、全員が三廻部に視線を寄せる。
「えっと、この時は全然別の名前、松平元康って名乗ってたんだけど、今川方としてどこかに参加してた……っぽい」
「歯切れが悪いな」
軸屋が突っ込んだ。三廻部は視線を少し泳がせ、あれこれ思い出しながら応じる。
「確実な同時代史料では、義元が死んだ時に、どこで何をしてたか不明。でも『信長公記』には大高への補給で参戦して、鷲津・丸根の砦をついでに攻め落としたってあるの」
「あれは当てにならない本だからなあ。その、家康だか元康だかってやつは、義元の味方だったのは確かなのか?」
「それは確実だと思う。話が前後しちゃうけど、元康はその年のうちに勝手な動きを始めて、次の年の四月に反乱を起こすのね。で、その時に今川氏真がものすごく怒って『これは反逆だ!』って書いてる。ということは逆に、それまでは今川方だったってことでいいと思う」
ここで、江間が三度目の仕切り直しをする。
「はいはーい。それで、何で『康くん』が利益を受けたの? 話がとっちらかって判らないじゃない」
三廻部が小さく手を合わせて謝る。
「ごめん。それでね、この時は元康だからそういう風に統一して呼ぶけど、三河でそれなりに家格が高い家の出身だったのね。義元はそれを利用して、元康が小さい頃から後見者となって徐々に入り込んだ」
江間が頷く。
「うんうん。そういう傀儡っぽい設定ね」
「でも、義元が隠居して息子に跡を継がせるのが決まって、今度は三河の統治に注力し始めたのね。あたし達の仮説では、三河国内の所領役帳、今で言う納税台帳の編集にしかかった。そうなると、上からの管理が楽になるのね。この人の裏切りはここが原点じゃないかなあと」
久瀬も興味を持ったようで話に加わる。
「なるほどね。それまで適当にやってたのが、ガチガチの管理体制になるってことだ。そりゃ揉めるだろうなあ。傀儡で使ってた元康も、システムが完成したら用済みってことだ」
「うん。しかも、システム強化が反感を買って、北から遠山が来たり、刈谷が反乱したりっていう状況が続いたんだと思う。ほかにも三河で反乱を起こした人達はいたし」
「じゃあ、康くんからしたら、とりあえず義元を殺して、その台帳を盗むか燃やすかしちゃえばいいってこと?」
江間が凶悪なことを言い出した。それに反応して三廻部が、
「あれから気になって、田島さんや大村さん以外にも証文を失った人がいないか調べてみたのね。そしたら、後藤さんという家でもなくなってしまったみたい。沓掛でなくしたとは書いてないけど、時期がほぼ同じ」
と答えた。江間が調子づいて突っ込む。
「ってことは、証拠は残らなくても、その他にも証文なくした家はあった可能性が高い?」
「うん、そういう家がいくつもあって、それを元康が独自に承認して自分の部下にしてしまった、とかはあり得ると思うよ」
久瀬が、先程より大きく頷いて割り込む。
「あ、それは判り易い。現地にいるんだから、離れた場所にいる今川より早く発行できるよね。少数の家は、律儀に今川に申請を出したけど『とにかく早く出し直してよ』ってところは、元康に出してもらえるなら、それでいいはずだし」
聞いている三廻部も徐々に感情をにじませて語りだす。
「さっきも少し話したけどね、次の年の四月に元康は突然反乱を起こすんだけど、義元が死んだ直後から、土地を保証したり、部下との契約をしたりしてて、結構活発に動いてるんだよね。義元生前から反逆を準備してたとしたら、それも説明できるようになるよ」
それらの話を受けた江間が、探偵気取りで重々しくまとめにかかる。
「じゃあ、犯人の行動を推測してみる。康くんは沓掛にいて、役帳を処分するなり奪うなりしようとしていた。でもそれには、義元が邪魔。だから、補給で出かけるのを待っていたと。で、人が足りない状況で義元自らが出かけることになったら、それを敵に伝える。義元が攻撃されただけで混乱が起きるだろうから、その隙に火でもつけて、役帳をどうにかしようと考えた。その時に念のため『放火したのは、封鎖していた刈谷からの奇襲』というデマも流したと。義元が死ぬとは限らないけど、役帳が燃えてしまえば三河の再編成は大幅に遅れるからオッケーって感じ?」
調子に載った久瀬も助手よろしくフォローする。
「鳴海原で鉄砲の一斉射撃を受けた義元は、必死に二村山に逃げ込もうとする。でも、今度は二村山が火に包まれた。そのすぐ麓まで来ていながら、呆然として逃げ場を失ったところに敵が殺到したと……」
「おー、綺麗にまとまったねえ。これなら、義元を殺したあとの脱出も可能じゃん」
助手のフォローを鷹揚に称える江間を、軸屋が「ちょっと待て」と制止する。
「元康って、その時は何歳だ?」
「十八歳かな」
三廻部が指を折って数えて答えると、江間が肩を落とす。
「若すぎ……っていうか私達と同い年!」
仮説が崩れて机に突っ伏した江間を慰めるように、三廻部が助け船を出す。
「あーでも、この時代だと普通かな。義元だって、兄と戦って家督を奪ったのって同じ十八歳だし」
「本当? 早熟だね」
「昔の人はこんなもんだよ。義元には太原崇孚、元康には酒井忠次っていう補佐役がいたし」
「じゃあ、義元殺人事件、これにて解決!」
江間が宣言し、久瀬と三廻部も喜んでいた。
が、軸屋は少し難しい顔をして反論する。
「確かにそれで辻褄は合うけどな。ただ残念なことに状況証拠しかない」
江間がそれに反発して、
「軸屋くんは、本当に場の空気ってやつを読まないよね」
と口を尖らせる。
ただやはり、軸屋の正論に全員が模糊とした気持ちになり、何となくその続きは誰もしなくなった。