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22 糺明

 ここで老人はスケッチブックに各勢力の名を書き始める。「織田」の左に「今川」と書き、その上に「斎藤」「遠山」「武田」と、こちらも左から並べる。


 彼は「遠山」の周りを何重にも囲んでみせ、各勢力に向けて線を引き、関係性を書く。


「対織田」→「親密・攻守一体」

「対斎藤」→「条件によって対応」

「対武田」→「形式上の従属」

「対今川」→「絶対的な敵対」


「話がまた変わるが、実は、今川と最も激しく対立したのは、三河国の北にいた、東美濃の遠山だ。織田・今川の関係性だけに囚われると見えなくなるが、ここは重要だろう。たとえば、鳴海原で義元が敗死したあと、主戦場は北に移る。義元を討ち取ったのに、織田は攻撃を加えていない。刈谷の封鎖を解いたことで動きを止めたのだと思う。その一方で、遠山は引き続き今川と戦い続けている。これは、今川と遠山の争いに織田が巻き込まれ、仕方なく最小限の対応をしたと見るべきだ」

 スケッチブックの遠山・今川の間の線を更に重ねて太く描き強調する。

「そもそも最初は、西にいる『斎藤・織田・遠山』が、東の『武田・今川』の同盟軍に対峙していた。これは、東西での対立で判りやすかった。それが、遠山の存在によってややこしくなっていく。

「遠山の反今川ぶりは一貫していて、状況がどう変わってもブレない。武田が従属させたものの、その同盟国である今川領への侵入をやめていない。それに、反今川陣営から離脱した美濃斎藤とも敵対を始める……。

「現代の我々から見れば、武田に従属した段階で、遠山は今川とも連携し、斎藤と断交すると思うだろう。だが、遠山が反今川の姿勢を崩さなかったことで、周辺の関係が錯綜していく」

 珍しく長々と話す祖父を気遣いながら、胡桃子が尋ねる。

「でも、美濃の遠山ってそんなに影響力が大きかったっけ?」

「今の恵那や中津川近辺の領主と考えると、山奥の小勢力がなぜと思うだろう。でも、建築・燃料のほか紙の原料にもなる、社会に不可欠な資源が森林だ。それを握っていることを改めて認識しなければならない」

軸屋がそれに反応して、

「なるほど、現代世界なら産油国に近い、資源国家だったんですね。今は国内林業がふるわないので、そういう視点はありませんでした」

と感心する。

「その通り。鉄製品や陶器の生産にも膨大な燃料が必要だから、輸送先を変えられてしまうと美濃・尾張は立ち行かなくなる」

その指摘に、胡桃子が手を叩いて同意した。

「そっか、じゃあ三河の奥の山のほうまで今川が入り込んできて、猛烈に反発したんだね」

軸屋も理解を組み換えるため呟いてる。

「平地とは異なる理屈で動いているから、ブレないのか……」

胡桃子がその呟きを引き取る。

「うん。確かに、奥三河の奥平・菅沼は、今川からの支配を巡ってずっと揉め続けてたよ。ああ、だから織田は今川との戦いに深入りしなかったんだ」

「織田からしたら厄介事。斎藤とも戦っているんなら、そんなに深入りしたくはないよな」

「おじいちゃんが言った通り、刈谷封鎖さえ解ければいいってことね」


 若者たちの話を聞きながら、老人は「武田」と「今川」の間にゆっくりと線を引いた。

「遠山は、自分が従属したはずの武田をも操り始め、今度は反斎藤陣営として武田・織田の仲を取り持つ。ここで、武田の後継者が不安定だったことも影響。今川びいきの長男、義信(よしのぶ)との確執が始まり、四男の勝頼(かつより)を担ぐ一派が織田との接近を主導していく。のちに武田晴信が、義元死後の氏真にかなり気を使っているのは、このうしろめたさからだろう」


 ◇


 長広舌にぐったりした老史家に代わり、軸屋が話を引き取る。

「状況をまとめてみます。遠山は絶対に今川が許せなかったので、武田まで引き込んで外交的に追い詰めた。今川からすれば、武田の関係性を維持するためには、遠山と一緒に、彼らと親しい織田を叩く必要がどうしても出てきた、と」

 彼はノートPCで図をまとめていたようで、それを見せながら説明した。


挿絵(By みてみん)


いつの間にか取り出していたメモ帳にせっせと要点を書き込んでいた胡桃子も応じて、

「刈谷の水野が織田に寝返ったのを見て、むしろチャンスとばかりに、刈谷支援ルートをふさいだんだね。でも遠山への対応もしなきゃいけないから、兵力がバラバラになっちゃった」

と、頷いていた。


 軸屋はしばらく図を見つめていたが、不意に顔を上げた。

「でも、状況が不利ならしばらく現状維持でもよかったんじゃないかと思います。何で時間的に待てなかったんでしょうか?」

峻は疲れたような声で答える。

「カネだよ。今川家内部の台所事情があったようだ」

「え?」

その情報に胡桃子が唖然とした。史料の捜索範囲として、祖父の広範な知識には及ばないものの、今川家は徹底的に調べたと自負していたのだろう。

「お金? 赤字だったってこと?」

「そう。永禄六年頃の史料をきちんと当たってみるといい。息子の氏真は必死に経済を回復させようとして、三年後には『非課税優遇を一旦全部なくす』という断末魔のような政策をとる。まあこれは、義元が一発勝負になけなしの資金を突っ込んだのも原因だとは思うが」

それに軸屋が納得する。

「資金繰りに行き詰まり始めていたとすれば、切実さは増しますね。戦争は金がかかるでしょうから、大きな勝負をかけるなら今しかないと義元は思い詰めていたのかな」

老人は顔をほころばせ、大きく頷く。

「ちょうど、伊勢神宮で神社の建て替え、これは『遷宮(せんぐう)』っていうが、これをやろうとして今川にも資金を出してほしいというお願いが来ていた。そこで義元は張り切って、自分が伊勢に入って商人を守ると宣言していたりする」

「胡散臭いなあ。商人から税金をとろうってことでしょうね」

軸屋が顔をしかめると、胡桃子が引き取る。

「確か伊勢大湊は、東国に向けての巨大流通センターだったから、ここが手に入れば大きいんだよ。逆に、義元が負けちゃったことで、三河特産の木綿が、京への運送中に一時抑留される事件も起きてたよ。ああ……今になって思い出したのは迂闊だったなあ。やっぱりおじいちゃんには敵わないよ」


 老人の体力は限界に近づいていたようで、苦しそうな息を一つすると、籐椅子にぐったり横たわった。胡桃子が慌てて、薄いタオルケットを押入れから取り出し、そっとかける。


 暫くして胡桃子の兄が帰宅したのを機に、軸屋は三廻部宅を辞することにした。気がつけば夕闇が増しており、夏空から星の瞬きが浮かび出ていた。

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