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21 推量

 さらにその翌日の火曜日。学校が終わった軸屋は三廻部宅を再び訪れていた。初夏の日差しはほんのり和らぎつつも、まだまだ明るく差し込んでいる。


 軸屋が持ち込んだPCによって、デジカメで撮影した画像が居間のテレビに映し出されていく。胡桃子が旅程を追って説明しているのに合わせて、彼は適宜画像を切り替えてた。


 大高駅での眺めを説明して旅の報告が終わると、三廻部峻は籐椅子から身を乗り出したまま、興奮したように話しだした。

「予想以上というと、二人に悪いが……ここまで考察が進むとは」

老人の顔色は相変わらず灰色だったが、目だけは輝いている。

「刈谷城封鎖作戦、鎌倉街道を軸にした沓掛・鳴海の拠点範囲、点在する砦の反転、いや、これは目もくらむパラダイム・シフトだ」

 それを聞いた胡桃子は頬を紅潮させてにっこりし、無愛想な軸屋ですら照れくさそうな笑顔になった。


 軸屋と胡桃子が機材や史料を片付け始めると、峻はふらりと椅子から立ち上がり、居間を出ていった。すると程なく、大判のスケッチブックを片手に戻ってくる。

「手が空いたら、また少し、話し相手に、なってもらえるだろうか」

怪訝な顔の胡桃子は、まず籐椅子に祖父を座らせる。軸屋も椅子のすぐ傍らに行った。


「まず、義元の警備が手薄なこと、これが一番引っかかっているだろう。そんなことは考えられないと」

「違うんですか?」

軸屋がうかがうように尋ねると、峻はゆるく頭を振る。

「大将でも戦死はする。個別の史料を追ってはないが、立場が危うくなって、それを挽回しようと無理に戦って死んだ人はそれなりにいる。上杉定正や武田元繁、佐野宗綱は、不利な状況を一変させようと前線に出て死んでいる。史料が確実なところだと、陶晴賢もそう。厳島合戦では、戦意が低くて人数も少ない状況で討たれている。そして今川義忠も同じ」

祖父を気遣いながらも、好奇心を抑えきれず胡桃子が食いつく。

「ん? 今川って?」

「義忠は、義元の祖父に当たる人だ。駿河から遠江に攻め込むが、味方同士が疑心暗鬼になったり、親戚で重要な立場にいた人が戦死したりという中、無理に遠征して死んでいる。それと、上杉顕定という人も、上野国から越後国に攻めて行って最終的に戦死。この三人に共通しているのは、軍記では『圧倒的有利だったのに、油断して殺された』とされている点。でも実際に同時代史料を見ると状況はむしろ逆で、不利な戦局を打開しようとして失敗している。不利だからこそ、警備も薄く討たれやすかった」

すらすらと人名が出てくる老人の口ぶりに、二人は勇気づけられたようだ。軸屋が胡桃子に話しかける。

「そうなると、義元の死もそうだった可能性は高いか……」

「そうね。今川方も、史料を見ると補給途中で何度も襲撃されていたり、動員する兵力のやり繰りに苦心しているところがあるもの」

「だから、一番危険そうな場所にも警備を置く余力がなかった」

知っていることは全て吐き出そうとしているように、峻は言葉を挟む。

「陶晴賢が死ぬ直前、部下の弘中隆兼は死を確信して遺言を残している。そこにははっきりと、味方の兵力が少ない今の状況で戦場に行ったら死ぬことになるだろうと書いている。そして実際に、隆兼は戦死している」

「はっきり死を覚悟するほど、不利で兵力差があったってことですか?」

「そうだ。それが軍記だと、何万もの大軍を率いた晴賢を、数千の毛利元就が奇襲して打ち破ったとなってしまう。総大将の死というものは、軍記のフィルタを除外すれば、意外とシンプルな理由だ。状況が厳しいほど、無理にでも大将が前線に出て勝つ必要があった」

「でも、義元ってそんなに追い詰められていたの?」

胡桃子の指摘を聞いた祖父は、筋張った手でスケッチブックを開く。

「ちょっと図にしてみた。ややこしいし、登場人物が増えるんでな……」

そう言いながら、図を示した。


挿絵(By みてみん)


 そこには、「今川」「武田」「後北条」という名前が書き込まれ、それぞれを矢印がつなぎ「嫁」と記されていた。どうやら、三つの家が婚姻関係で結束したことを示しているようだ。


「今川・後北条・武田の三つの家が、平等な立場で同盟を結んだのがまずある。これを『三国同盟』というが、奇跡的に三つの家の跡取り息子が同い年で、そしてそれぞれの家に娘もいた。そして、今川から武田に、武田から後北条に、後北条から今川に、というリレーで嫁を出した」

「ふーん。何だかできすぎた話ですね」

「まあ偶然というやつだな。ただ、さすがに娘も同い年というわけではなかった。今川の娘>武田の娘>後北条の娘、という順で年齢差があったようだ。特に後北条の娘はかなり幼かったようで、結婚も遅らせていた」

「おじいちゃん、何だか話が遠ざかってない?」

「何度でも言うが、お前は少し落ち着きなさい。さて、義元が死ぬ前年、永禄二年には三家の跡取りは二十二歳。それぞれ代替わりの時期を迎えていた。真っ先に準備に入ったのは、息子が一人しかいない今川家。この二年前には相続の動きがある。で、この永禄二年には後北条家で家督相続があった。跡取りの氏政には弟が複数いたが、武田から来たお嫁さんとの間にはすでに男の子も生まれていて万全だった」

「で、武田が問題だった?」

「そう。武田家では跡取り候補の義信と今川家から来たお嫁さんの間には、女の子二人がいたらしいが、男の子はいなかった。しかも、義信には弟が複数いた。義信の娘に、この兄弟の息子を婿入りさせるのも可能だが、あれこれ揉めるのは確実だ」

そこまで聞いて、軸屋がじっと図を見ながら確認する。

「男しか継げないんだったら、息子がたくさんいる人を後継者にしたほうがいいでしょうね」

その意見に、胡桃子が反駁して、

「でもでも、三つの家をお嫁さんでつなぐ同盟方式だから、義信を外して別の後継者を立てることは、同盟放棄になっちゃうよ」

と指摘した。軸屋は納得できない顔で切り返す。

「駄目なのか? この時代って割と裏切りとは普通だっただろ?」

「それはそうだけど、やり過ぎは自滅のもとでしょ」


 二人がああだこうだ言っている間に峻は息を整え、再び語りだした。

「三国同盟はものすごくメリットが大きくて、同盟後にそれぞれが急激に発展している。だから、なるべくなら離脱したくはなかったんだろうな。しかし、子供の有無や性別だけはどうしようもなかった。まとめると、義元が死ぬ前の年くらいは、今川では相続作業中、後北条は相続済み、武田が沈黙というちょっと微妙な空気だった」


 ようやく話の前置きが終わったらしく、老人はスケッチブックをめくる。

「一方で、ちょうどこの年に、長尾景虎・織田信長という新興勢力が京都に上洛して将軍と会っている。そして翌年には信長は義元を討ち、景虎は関東に侵攻し後北条を滅亡寸前に追い込む」

「ちょっと待っておじいちゃん、もしかして、それって連携してるの?」

「具体的な史料はない。しかし、偶然にしてはタイミングがよすぎるとは思わないか?」

「将軍が、強くなりすぎた三国同盟を崩そうとして指示したってこと?」

「それは判らん。しかし、上洛した信長・景虎があれこれ準備を始めたことは、三国同盟の連中も把握していたとは思う。あとできちんと整理して話すが、武田は複雑な経緯を経て信長と接触し始める。残る今川・後北条には、織田・長尾からの圧力がかかりだしていて、三国同盟崩壊がにわかに現実味を帯びてきた。それを防ぐには、義元が信長を制圧しなければならなくなった……」

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