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20 異見

 名古屋から戻った翌日。暑い窓際の席にいながら、疲労に耐えきれずに軸屋は居眠りしていた。久瀬に肩を小突かれて目を覚ますと、周囲は昼休みの喧騒に包まれている。

「お疲れだな。昨日の遠出で張り切りすぎたか?」

軸屋は伸びをして首をぐるりと回す。

「まあな。とりあえず誰にも見つかっていないと思う」

「ああ。江間さんからも何も聞いてないから、見られて変な話にはなってないだろ。ばれた時用に、あれこれ言い訳も考えておいたんだけどな」

 久瀬が弁当を広げる横で、軸屋はスティック型の栄養食品をかじる。

「で、どうだったんだ? 何か進展はあったか?」

「大収穫だったと言っていいだろうな。実際に見てみないと地形は判らないものだなって実感したよ」

大真面目に報告する軸屋に苦笑いしつつ、久瀬は質問を続ける。

「いやいや、そっちじゃなくて。どんな雰囲気だったか、とかさ」

「始発で行って歩きづめ、夕方にやっと食事を慌ただしくとって、そのまま帰ってきた」

「食事というと、夜景のきれいなレストランとか?」

「いや、駅前でおにぎり買ってベンチで。ちなみに新幹線の中では二人とも一貫して寝てた」

「旅行というか、日帰り出張じゃねえか。うちの親父と同じ」

「三廻部さんは、新幹線で色々情報整理するはずだったのにって、ぶつぶつ文句言ってた」

「へえ。ミコちゃんって、電車でも寝られるタイプなんだ」

「割といつの間にか熟睡してて、起こすタイミングを間違えると機嫌が悪い」

久瀬は呆れたように甲高い声を響かせる。

「寝付きがよくて寝起きが悪いって、子供かよ」

「いやいや、寝起きの不機嫌さは子供レベルじゃないから!」


 そう言って軸屋は車内の様子を語る。


 下車駅まで三〇分ほどといった時間に、軸屋は目を覚ました。忘れないうちに要点だけまとめておこうと、こんな時にまで持参していたノートPCを開ける。しばらく入力に集中していたが、コツンと肩に頭が載せられる。軸屋ははっとなってキーを打つ手を休めた。そして、彼女の頭を肩でゆっくり押し戻す。そっと優しく重心を戻していき、あとちょっとで背もたれに着地という瞬間。無情にも列車は駅に到着。重心が前にずれ、微妙な位置にあった彼女の頭が振り落とされる。「うっ!」と呻く三廻部。首をさすりながら彼を見た顔は鬼瓦のように歪んでおり、不機嫌さが強烈に放射されていた。


 深刻な顔の軸屋を、久瀬が困ったように眺めていた。

「なまじ顔が幼いから、かえって怖いんだよ」

「うわ……」


 と、軸屋が窓から校庭を見下ろすと、飲み物を買いに出たらしい三年女子のグループが見えた。軸屋の視線に気づいた久瀬が、

「お、噂をすればのミコちゃん」

と眉を上げる。


 友達に囲まれ、遠慮がちに話しているらしい三廻部は、例の困ったように見える笑顔を浮かべている。その隣で場を盛り上げている様子なのは江間。三廻部が首をかしげるのと同時に皆でワーワー盛り上がっている。三廻部と江間は周囲と比べて小柄なので、遠ざかるとその姿は見えなくなった。

「あれを見ると、候哉が語る怪人と同一人物なのが信じられん」

「あんまり古文書の話をすると浮いちゃうから、適当に合わせてるらしい」

「ああ、お前にもその『適当に』というスキルがあれば……」

「俺は俺だからな。それより、前からちょっと気にはなってたんだけど、小学校からの付き合いなのに『江間さん』って、呼び方がやけに丁寧じゃないか? 向こうは呼び捨ての『佑佐』だろ」

軸屋の問いに、複雑そうな表情になった久瀬が弱々しい声で答える。

「あー、それは何というか力関係だ。察してくれ」

「三廻部さんも、裏でだけ『ミコちゃん』って呼んでるのは江間さんが怖いから? 江間さんは裏でも『江間さん』だし」

「ノーコメント。というか、候哉だって『三廻部さん』って呼んでて、向こうは下の名前じゃん」

「それはあっちが呼び方を変えて、俺はそのままにしただけだ。久瀬みたいな上下関係はない」


 ◇


 夏を目の前にして周囲が殺気立ってくる中、受験が関係ない軸屋は、無気力に授業をこなして下校時刻を迎える。久瀬に「疲れたから先に帰る」と言い置くと、彼は非常階段にも向かわずにそのまま帰途についた。


 駅に向かっていると、うしろから声をかけられた。

「おーい、軸屋。何だか久しぶりだなあ」

振り向くと、同学年の男子生徒が小走りに駆け寄ってくるところだった。

「お、確かに久しぶり」

軸屋の横に並んだ男は、福々しい下膨れの輪郭でうっすら笑みを漂わせていた。その面相のため、肥満しているように見られがちだったが、実際は痩身で夏服になると奇妙な違和感があった。

「軸屋は受験がなくていいよねえ」

「まあな。猪飼はどうだ? 順調か?」

「なかなか厳しいよ。社会は日本史を選んだから楽勝だけど」

「お前はそっちが得意だもんな。シミュレーションゲームを作るって張り切ったりしてさ」

「ああ、去年ね。でももう諦めたよ。僕にはどうも才能がない。あの頃はあれこれ教えてくれてありがとうね」

「気にすんな」

そこまで話してしまうと、その後は特に話題もなくなる。と、軸屋は思い出したように尋ねる。

「そういえば、三廻部さんとひと悶着あったって?」

軸屋の問いに、猪飼がその細い目を丸くする。

「え……何で、彼女を知ってるの?」

軸屋は図書館に同行するようになった経緯を説明する。名古屋行きは面倒なので省略したが、図書館だけで充分なネタだったようだ。猪飼は深いため息をつく。

「相変わらず濃いなあ」

「前からの付き合いなのか?」

「小学校後半くらいからかなあ。彼女のおじいさんが郷土史の研究をしてて、その集まりがあった頃に知り合ったんだ」

「へえ。その頃から二人とも歴史が好きだったんだ?」

「いやあ、僕はゲームや漫画から入ったクチだからね。彼女は当時から古文書を読む勉強をしていて、今じゃ知識量がおかしなことになってる」

「猪飼もたくさん知ってるような感じだけど、差があるのか」

「そうだね、控えめにいってバケモノ級っていうか」

「まあ何となく判るけど、バケモノって……」

「とにかく、僕の知識が少ないからか、話が合わないんだよね。それで、ちょっと前に喧嘩みたいになっちゃった」

「そんなもんか? 図書館に行くならお前のほうが適任かと思ってたけど」

「いやちょっと。週末をつぶして図書館にこもれる余裕、僕にはないよ」

苦く笑った猪飼は、少し間をおいて言葉を続ける。

「それに、僕と話すとイライラするみたいだし」

「何で?」

「あの人は史料原理主義者というか、何でもかんでも証拠ありきなんだよね」

「うん。それは俺も知ってる」

「でもさあ、歴史って結局、本当に何があったかなんて、誰にも判らないでしょ」

「まあ、そうだな。だからせめて証拠で固めたいんじゃないか?」

「うーん。とはいえ、四百年以上昔の人のことなんて、理解できるわけないよね。蛇口を捻ったらいつでも綺麗な水が出てきて、電化製品に囲まれてる僕たちには。抗生物質もプラスチックもないような世界って、今の日本ではかなり遠いよ」

「ああなるほど、感覚的な違いは大きいだろうな」

「うん。それなのに、真実を突き止めたって考えるのはね、危ないんじゃないかな」

軸屋はそれを聞いて頷き、隣を歩く猪飼に興味を持ったような視線を送った。しかし、既に彼らは改札にさしかかっていた。


 上りの列車が接近しているのを見て、猪飼は駆け出す。

「じゃあね、軸屋」

軸屋は何とも消化不良な表情で、それを見送った。

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