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02 出陣

 疑問を抱えたような釈然としない表情ながら、軸屋は三廻部とともに電車に揺られている。彼女は制服姿に、大きな赤い鞄、背負うこともできるスポーツバッグを抱えているので、運動部が土曜の練習に行くような恰好だった。

 本来ならば、彼らが乗る駅からだとずっと座っていけるはずなのだが、途中で彼女が足の悪い女性に席を譲ってしまった。どうにも格好がつかなくて、広げていたノートPCをしまった彼も老人に席を明け渡した。

「候哉くんまで立たなくていいのに」

「そんなに集中できる環境でもないから、いいさ。その前に、なぜ下の名前呼び?」

大きな鞄を胸元に抱えた三廻部は、例の困ったような笑顔で話を続ける。

「ええと。気に入ったからだけど……いやかな? 名字で呼ばないと駄目?」

「んー、まあいいさ。お好きなように」

三廻部は喜色を浮かべて「善し!」と拳を握った。


 そのあとしばらく二人は黙って並んでいたが、三廻部がふと目を上げて尋ねる。

「そういえば、階段の上で何やってたの?」

軸屋は、ちらりと目をやってから再び視線を車窓に戻し、独特の割れた声で応じる。

「業務用のプログラムを書いてた。結構実入りがよくて、無理をしなければ一人で食えると思う」

「あー、だから大学に行かないんだ。ほんと、すごいねえ」

車窓を向いたままの彼は鼻を軽く鳴らしたが、相手が沈黙したままなのをいぶかしんで視線を移す。そこには三廻部の少し不安そうな横顔があった。

「三廻部さんは……大学に行くんだろ?」

「あたしは自分の得意なことが判らないから、結局図書館の充実度で選んじゃった。とにかくたくさん知りたいことがあるから」

「ん? というか、受験勉強しなくていいのか? 成績がいいとは聞いたけど」

「ああ。そっちは大丈夫。選んだところは今の成績ならお釣りがくるから」

「へえ。じゃあ、親にはもっと上に行けとか言われたんじゃないのか?」

「……うーん」

軸屋が何気なくした質問に、三廻部はすっと表情を消して車窓に目を逃した。そしてふっと微笑みながら、軸屋に視線を戻して会話をつなげる。

「家族は特に何も言わないんだけど、先生や友達から総攻撃。もったいない! 怠けたいのか! とかとか」

「そりゃあ言うだろうな。俺もいまだに言われる」

「でも、今の自分には、やりたいことがこれしかないんだよね」

「いいんじゃないかな。四年間好きなことやれるなら」

「そういってくれると救われるなあ。ありがとう」

「俺だって、先のことなんて判らないよ。目の前にあるプログラムをどう仕上げるかしか興味がないし、それが長い目で見てどうなるかなんて思い浮かばない」

「でも、あたしはちょっと趣味っぽい道だけど、候哉くんは、仕事まで辿り着いてるじゃん。プログラム? を作るのは好きなんでしょ? 好きなことを仕事にできるほうがいいよ」

「好きなのかは判らない。でも何時間取り組んでいても飽きないし、難題を解けたときはすかっとする」

「あー、何かそれは判る。閃いた瞬間ってたまらないよねー。ただ、私は自分で満足しているだけ。それを仕事にしようとは思えないから、候哉くんはやっぱりすごい」

「どうだろう。趣味なら逃げ場にできるけど、仕事にしちまえば、プログラミングで不満を抱えたら俺には逃げ場がない。今のところは大丈夫だけど、それはそれで怖いかもな」

「んー、ま、そっか。どっちもどっちだね」

「だな。極端だな、どっちも」

ここで軸屋が気づいたように問いかける。

「で、三廻部さんの好きなものって?」


 開館と同時に入った図書館の閲覧席で、軸屋はキーボードをひたすら叩いていた。座席に電源があることにまず喜び、喧騒がないこと、空調も快適であることに感銘を覚えたようだった。飲食禁止で妙な匂いが漂わないのもいい。その隣で三廻部が、六冊の分厚い本を広げて必死にノートに書き込んでいた。四時間ぶっ続けでこの二人は没頭していたが、さすがに集中が途切れたか、軸屋が彼女の肩をそっと叩く。

「トイレ行く」

「あたしも。ついでにちょっと用事を頼んでいい?」


 三廻部が頼んだのは複写サービスの申し込みだった。閲覧していた本の特定箇所をページ指定して、専用カウンターで申し込むのだが、それは貸し出した人間が行わなければならない。準備は彼女がして、軸屋はただ申し込んだだけだった。そこからトイレを済ませ、館内にある食堂で食事をとることになった。


 紙と金属、それぞれのノートをトレイの横に置いて向かい合う。二人とも空腹だったらしく、黙々と胃袋に収めていく。

「で、進んだ?」

カレーライスをかき込んだ軸屋が、水を飲み干して訊く。

「いやあ、ほんと、すごい威力。ほんと、感謝感激ってやつ」

焼き魚定食を平らげて水を飲み、箸を置いた彼女が両手をばちんと合わせ拝んでみせる。

「三冊だけだったら、外れた時に取り替えるロスで立ち直れないところだったよ」

「そういえば、何回か席を立ってたな」

「外れを返して次を申し込んでたんだ。あ、候哉くんのは鉄板なのにしたからオッケーだったけどね」

「確かに、貸出を申し込んでから五分くらいかかるか」

「今日はまだ早いらしいよ。十五分以上待たされる時もあるって。最初の分は要領が判らなくて、全部外して呆然としてたわ」

「ふーん。で、聞きそびれてたけど、何で制服?」

「うん。追い返されることはないと思うけど、念のため。次は私服にしようかな」

「ちょっと待て、じゃあ俺は実験台か」

「結果オーライ」

「勝手すぎる」

満足げな彼女はそれを聞き飛ばし「さーて、複写、終わったかな」と席を立つ。午後の開戦が宣言された。


 そして閉館後、すぐには電車に乗らず、二人は地下鉄の駅の向こう側にあるファストフード店にいた。ソーダをストローで吸い上げながら軸屋が深い溜め息をつく。テーブルの向かいに座った彼女は、蓋を外したアイスコーヒーをぐいと飲み上げた後、指をほぐしていた。


 軸屋は彼女をぼんやり眺めながら問う。

「なあ、コピーできなかった分は全部書き写したのか?」

「だって、ページの一部だけだとお金がもったいないし。それに、書き写したほうが憶えやすいんだ」

「だから巫女さんか。というか魔女が魔法を覚えているみたいだ」

「何それ?」

そこで彼が久瀬から聞いた噂を話すと、三廻部は心からおかしそうに笑い転げた。その笑顔にもほんの少し困ったような色が混ざる、不思議な表情だった。

「男子は勘違いしてたのかあ。あだ名はね、巫女じゃなくて、下の名前の略称だよ。三廻部胡桃子の下を取って『ミコ』。あたしの名前、長いからみんなが略してるの。名字と名前が妙にかぶってるし、『クル』じゃ変でしょ」

ようやく落ち着いた彼女は、それでも笑いをこらえながら説明を続ける。

「魔術書とお経ねえ。これのことでしょ」

彼女は鞄から書籍を取り出して、テーブルに乗せる。

「史料集って分厚いから、まあ、そう見えるよね」

「何だ、これ? というか、持ち歩いてるのか!」

「古書で手に入れた『戦国遺文後北条氏編せんごくいぶんごほうじょうしへん』。あたしが読んでるのは古文書。知ってる?」

「コモンジョ……?」

「昔の人が書いた手紙とか、そういうもの」

三廻部が机上の本をパラパラ開く。

「たとえばねー、あたしが好きなのは……」

「いやごめん、訊いたのが間違いだった」

それに構わず軸屋の眼前にページの文章を見せる彼女。

「これ、新光院殿(しんこういんでん)の朱印状っていって、女性が出した珍しいものだよ」

三廻部は陶然と読み上げる。

「かのまいまいぢぶさえもん、たまなわさまごひかんにそうろうあいだ、ひがしぐんちゅうにおいて、よこあいひぶんあるまじくそうろう、もしひぶんもうすものこれあるにおいては、ごいんばんをさきとしてもうしあぐべくそうろうものなり、よってくだんのごとし」

「う、宇宙語……」

のけぞる軸屋を無視して、三廻部はなぜか得意げに解説する。

「これが面白いのはね、女性だけどバシっと朱印状を据えた文書を出したとこで、これはかな混じりだけど、漢文調の男ばりのものもあるっていう……」

意味不明な文字の羅列と呪文に目を白黒させていた彼は、舌打ちしながらPCを取り出して開いてみせた。

「俺のプログラムも見せてやるよ。外部のデータベースを呼んでクエリしたデータを取り出した後で、重複チェックしたあと、フラグをつけて一旦保存するやつ。フェールセーフをどう考えるかがコツでね……」

 画面にコードを表示させ、一つ一つ説明し始める軸屋に、今度は三廻部のけぞる。

「ごめん、あたしが悪かった」


 ◇


 帰りの電車は二人とも座れて、彼女はうなだれたまま熟睡していた。途中、ちょっと年がいった男性がいたが、軸屋は寝たふりを決め込んで、顔を下げる。そして、無邪気に半開きになった三廻部の手が、インクであちこち汚れているのをじっと見ていた。

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