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18 検見

 住宅街の緩やかな坂を下り、今では細い流れになっている扇川に着く。三廻部が「当時のここは、瀬戸物を積み込むための船着き場だったらしいよ」という豆知識を披露するが、護岸工事と宅地化、水量の減少でその面影は全くなかった。


 ここから北に向かうと、相原にある諏訪神社の参道を横切る形で細い道がある。そこを西に進むと、細い道は寺院に達した。

「ここは浄蓮寺。伝承では、義元を弔ったのが起源だって。だから無関係ではないみたい」

三廻部の説明を聞きながら、少し進んだ時に軸屋が立ち止まった。

「おいおい、これは……」

 彼は西に向かって右手を見上げる。急激な勾配になっていて、それがその先一〇〇メートル以上続いている。ゆっくり歩きながらも、軸屋はずっと右手を見ている。

「義元が鉄炮で攻撃されたのって、ここじゃないか? この細い道を一列になっているところに、右からガンガン撃たれたら……」

「あー! そうかも。ただ、明治の頃の地図を見たけど、この周辺にはもう集落があったよ。当時の記録でも宿場があったような記憶があるなあ。ちょっと待ってて」

三廻部は道路の脇に行ってリュックを下ろし、ゴソゴソ始めた。

「これこれ、参謀本部が作ったやつ。当時の等高線を見ると、諏訪神社の手前に丘があって、こんな感じで急斜面だったみたい」

彼女が取り出した地図を軸屋は指でなぞり、義元の行路を推測し始める。

「ここで川を渡って、低いところを横切って、西に方向を変えて諏訪神社を横切る。義元の部隊は何人ぐらいいたんだ?」

「うーん。史料を見ていると大体三〇〇~五〇〇ぐらいが相場な感じ。義元直属だと、本当は二千以上はいたと思うけど……でも人数不足だったんだろうし……千人、かな」

「補給が目的だったから、武器とか食料も持っていた。そうしたら速度も上がらないよな」

「そうだね。前とうしろに護衛をつけて、細長くなってのろのろ進んだと思う」

「とすると、前の護衛が相原宿についた時に、宿場を火矢で燃やしてしまえば、引き返すしかない。方向転換しようとしているところに、上から鉄炮を撃ちかける」

「おおー、それはありそう。朝比奈親徳は前のほうにいて、慌てて引き返す途中で鉄炮に撃たれたとか。場所からいっても『鳴海原』で違和感はない位置だし、うん。ここだね」

三廻部の応答に軸屋は大きく頷きながら、それでも新たな疑問を口にする。

「しかし、いくら何でも上に見張りぐらい置くような気がする」

「そこは適当だったんじゃない? 毎月十九日の人達だし」

「人数不足で手が回らないところに、相手をなめてかかる心理が乗ったか。とはいえ、いくらなんでもな気がする。これは、謎その一だな」


 右手の高い稜線はやがて終わり、二人が進む道も、下りきった地点から再び上りに切り替わる。やがて道を左折して少しきつい坂を上りきると『砦公園』という場所に着く。

「ここは、俗にいう『善照寺砦』。織田方が鳴海城を攻めるために作ったと言われてる……けど、何か向きがおかしいね」

「ああ。西を向いてるな。ただ、さっきまでの仮説の通り、二村山から相原を抜けて鳴海に来るコースを義元がとるとしたら、織田が『鳴海への援軍を阻止する』という意図になるから、この向きは正しい」

「鎌倉街道監視かあ。なるほど」

しかし、砦公園からさらに西の鳴海城に向かう途中で軸屋が激しく首を振った。

「いやいや、やっぱりおかしい。この地形は何なんだ」

二人が立っているのは丘の頂点で、横に小学校がある。東に下って砦公園があり、西に下って鳴海城趾公園がある。


      小学校

 鳴海城       善照寺砦

    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\

/ ̄ ̄ ̄        ̄ ̄ ̄ ̄\


 軸屋は手振りで高低差を示しながら、その不可解さを訴える。

「これだと、砦にいる織田は鳴海城を攻められない。というか、見えない。援軍を阻止するにしても、鳴海城の連中が隙をついてここから攻撃したら不利だろ」

「うーん。あたしも、善照寺砦と鳴海城がこんな位置関係になってるって知らなかった」

軸屋は尚も、妙だ、おかしい、理屈に合わないと呟いて立ち尽くしていた。三廻部はあまり疑問に思わなかったようで、軸屋を先に誘う。

「よく判らないけど、とりあえず鳴海城に行きましょ。義元が討たれても落城しなかった、鉄壁の城」


 坂を下って少し大きな道路を渡ったところに鳴海城があったが、またしても二人は愕然として同時に叫ぶ。

「ちっちゃ!」

小さな公園になっているその周囲を、念のためぐるりと巡ってみた。しかし、特に何かが見つかるわけでもない。戻ってきた公園のベンチで一息つきながら、三廻部が途方に暮れたような顔をしていた。既に三廻部の飲み物は飲み尽くしてしまったため、軸屋は自動販売機で二人分の冷たい飲み物を買ってきた。片方を彼女に渡しながら話しかける。

「さっきの昔の地図、見せてくれ」

礼を言いながら飲み物を受け取った三廻部は、慌ててリュックを開ける。

「航空写真もあるよ」

彼はそれらを受け取って眺めていたが、航空写真を示す。

「この形を見ると、ここの台地は三角形に見えないか? さっき通った『砦公園』が東端、ここが西端で、もう一つ南に突き出た部分がある」

「言われてみると、そう見えるね。南にあるのは、瑞泉寺だね。ここはあとで通る予定」

「そこも城か何かか?」

「そういう話はなかったなあ。ただ、ここが起点になって大高への道があるの」

「……とすれば、この三角形の台地全体が鳴海城だったんじゃないか? でなきゃ、沓掛と大高がつながらない」

「えー? でも、そうすると今度はすごく大きくなっちゃうよ」

「だから、何が起ころうと落城しなかったんだろう」

挿絵(By みてみん)

軸屋は、そう言って地図を彼女に返した。難しい顔をして考え込んでいた三廻部は、それをしまいながら踏ん切りをつけるように「えい」と気合を入れて立ち上がった。

「通説とのギャップがひどいけど、とにかく、瑞泉寺に行ってみよう!」


 それから十分後、寺の山門前の石段に座って、二人は再び地図を睨んでいた。

「やっぱり、ここは砦というか城というか、そんな感じだよねえ」

三廻部が地図から目を上げて境内を見やる。

「今川はこの辺一帯を封鎖しようとしているんだから、全方角を監視しようとしただろうしな」

「ただそうなると、善照寺砦にいたのは今川方になるでしょ。でも変じゃない?」

「ああ、何で助けに行かないのかってやつか。二村山の時と同じ疑問だな」

「そう。目と鼻の先で、よく見えたでしょ。義元にしたって何で逃げ込まなかったんだろ」

それを受けて軸屋は、再び地図をなぞりながら説明する。

「ちょっと考えてみると、義元達が襲撃されたのが諏訪神社近辺だとして、その途中の相原宿が炎上していたら、鳴海の連中は躊躇するだろう。それに、敵が丘の上から鉄炮を撃ち下ろしているのも見聞きできただろうし。そこに突っ込むのは自殺行為に近い。戦場が動いて、炎が下火になってから向かったと思う」

「ああ、だから義元にしても、二村山に戻ったほうが無難だと思ったんだね。で、本隊を追って敵が進んだあとで、遅れて鳴海城から救援が来たと」

「鳴海からの救援隊は、置き去りにされた連中の中に義元がいるかと期待してただろうしな」

「なるほどねー、だから、朝比奈親徳は負傷しながらも助かったんだ。それと、この日はここより南の大高口でも合戦があったんだよね。それ以前にも大高口では十九日に戦いはあったけど、両方同時に攻撃されたのは五月が初めてだったんじゃないかな」

「とすると、西と南で一斉に攻撃が始まって、鳴海城の連中にためらいがあった可能性はあるな。しかし、ここまで考えると、謎その二が出てくる」

「えー、また?」

「田楽窪で義元を殺せたとして、そのあとはどうやって逃げたんだ?」

「……うーん、そうか。二村山の兵も出てくるし、来た道は鳴海城からの兵でふさがれてるもんね。決死隊、とか?」

「まあそれもあり得るが、だとしたら、義元の息子があれこれ書くんじゃないか?」

「そうだね。敵を討ち取った感状を結構な量出してるから。とすると、鳴海原合戦は一方的にやられっぱなしで、敵もそのまま引き返したっぽい。でもどうやって?」

「何だか謎が増えてるが、とりあえず先に進むか」

軸屋が率先して立ち上がると、三廻部は地図を見ながら橋を渡り、川の合流地点から少し住宅地に入っていく。歩きながらも彼女は思考を続ける。

「考えてみれば、鳴海から大高をつなぐ道はここなんだから、鳴海城趾公園だと接続が悪いのよね。今までは、沓掛城址公園から大高に何かの道があったと考えていたから余り気にならなかったけど、その道ができたのは海が埋め立てられたからだし……それと、今までの解釈だと変だった部分があるんだけど、それが解けるかも」

軸屋が地図を覗き込むと、彼女は指で追いながら説明する。

「瑞泉寺から丸内古道(まるちこどう)が始まるんだけど、明治時代の地図だと、一旦南東の中洲を経由してそこから大高に行くのね。足場の問題だと思うんだけど、そこで経由する中洲には、織田方の砦だったと伝わる『中島砦』があるんだよね。ほら、ここ」

三廻部が住宅地の隙間を示す。そこには石碑がぽつんとあった。軸屋は少し慌てる。

「おいおい、ちょっと待てよ。さっきの寺から五〇メートルも離れてないだろ。近すぎるし、ここが織田に塞がれてたら、鳴海と大高が分断されるじゃん。真っ先に排除するんじゃないか?」

「うん。だからこの砦はむしろ今川方のものだと思う。交通封鎖をしてるんだったら、ここに簡単な関所みたいなものを作るのも判るし」

「川を使って運んできた物資もあっただろうし、ここで大高への補給物資を整えた、というのは納得できるな」

「そうだね。この距離感は実際に来ないと判らなかったなあ……やっぱりおじいちゃんはすごいや」


 三廻部が「丸内古道」と呼ぶその道は、住宅街の中を微妙な曲がり方をしながら細く続いていた。

「当時の海岸線はずっと奥まで来てたから、陸路はここになっちゃったみたい」

「鳴海城を離れるにつれて危険は増すだろうから、荷物を持って移動する距離は短いほうがいい。やっぱりここを通らざるをえなかったんだろうな」

そう言うと軸屋は、三廻部のリュックをひょいと持ち上げた。不意を衝かれた彼女が驚いて振り向くと、さらにぐいとリュックを引き上げた軸屋が、強い口調で命じる。

「俺が持つから、手を離して」

「え……いいよ。大丈夫だよ」

「いいから。その代わり、あの自販機で飲み物買ってきてくれ。脱水症状になりそうだ」

三廻部は口をとがらせたものの、やはり疲れていたようで素直に従った。

「ごめんね、付き合わせちゃって」

「気にすんな。現場を見たいって言ったのは俺だしな」

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