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17 出張

 次の日曜。東海道新幹線で豊橋まで行ってから名鉄を乗り継ぎ、軸屋と三廻部は前後駅(ぜんごえき)に降り立った。軸屋は相変わらずの服装だったが、三廻部は鮮やかなハイキング装備。ライトグリーンの帽子に、オレンジの長袖シャツ、グレーの半ズボン、そして足元はごついトレッキングシューズだった。

「その靴、かなり本格的だな」

改めて彼女の出で立ちを眺めて、軸屋が驚く。

「あ、これはおじいちゃんと城跡行く時用。最近は行けなくなっちゃったけどね……」

三廻部は駅前のベンチに座って、トレッキングシューズを紐を結び直している。軸屋は、ごく普通の自分のスニーカーを見て呟く。

「城跡って? 俺この靴で大丈夫か……?」

「うーん。多分、候哉くんが考えてるお城とは違うんだよね。普通の人が見たらただの山になっちゃうかなー。薮があるし、ちゃんとした靴じゃないと堀の底に落ちちゃう」

「全く判らんが、今日行くのはそっち系?」

「違うよ。二村山がちょっと山道っぽいくらい。ただ、歩く距離が長いから、城跡装備にしといた」

軸屋は何だか嫌な予感がして、気持ちだけでもと自らのスニーカーの靴紐を結び直す。立ち上がって頭上を仰ぐと、空梅雨としか思えないような強めの日差しが降り注いでいた。


 三廻部は立ち上がると、背負ったリュックを後ろ手に叩いて、

「大丈夫。凍らせた飲み物とかいっぱい持ってきたから。あとね、昨日の図書館で地誌のたぐいは根こそぎ複写してるでしょ。全部持ってきたよ!」

と笑った。本格的な登山用リュックで、何を入れたのやら不気味に膨れている。軸屋は左肩から提げたキャンバス地のトートバッグに、先程自販機で買ったミネラルウォーターのペットボトルを押し込み、足を進めた。


 駅前にあるロータリーで、ちょうど停まっていた路線バスに乗り込んだ二人は、バス停から少し歩いて沓掛城址公園に着く。

「ちっちゃい!」

見るなり三廻部が口をあんぐり開けて叫ぶ。続けて「小さい。おかしい。こんなに……」と、芝生で覆われた公園内に入っていった。軸屋も意外そうに周囲を見渡す。

「ここが義元の本陣があった場所か? 見晴らしも悪いな」

「うん。周りの丘から見おろされているし、部下は城の外に宿営したとしても、場所が足りない。何より鳴海も大高も見られない……おかしい」

「この時代の城なんて、みんなこんな大きさだとか?」

「違う違う。あたしがおじいちゃんに連れて行ってもらったのは、どれもここより全然大きかったよ」

「役帳だっけ? それを作ろうとして書類を整理していたぐらいだから、結構長期間いたと思うけど、ここだと何か雰囲気が違う気がするなあ難しいなあ」


 特に見るべき場所もなく、「義元が長期間本陣に据えるには相応しくない」という大きな疑問だけを残し、二人は鎌倉街道を辿る。三廻部はリュックのサイドポケットから地図を取り出して、このルートを選んだ理由を説明し始める。

「『信長公記』だと『桶狭間山』が主戦場になっているけど、この地名が出てくるのは十五年くらいあとの話なんだ。で、沓掛・鳴海・大高という地名をつなげる当時の道路だと、鎌倉街道が一番自然だと思って。それで、こっちにしたの」

挿絵(By みてみん)

そう言う彼女は元気に軸屋の前に出ようとするが、歩幅が余り大きくないためかすぐ追いつかれてしまう。軸屋はその空回りに気づいて、さりげなく歩調と話を合わせる。

「ああ、それで昨日は地図とか街道本を見てたのか。まあどっちにしろ、軍隊ってさ、武器とか食料とか持っているんだろ。だったら、一番通りやすい場所を選んだはずだと思うよ」

「うん。それとね、よくよく考えると、『桶狭間』って、江戸時代の東海道に合わせて設定してる感じがするんだよ。やっぱり、街道沿いだと便利だから移動させちゃったのかなって」

「観光名所の看板に、割といい加減なのがあるようなもんか」


 沓掛城を出て西に向かうと、登り勾配が始まる。徐々にきつくなってきて五分ほどで稜線に達すると、丘陵の先に平野が見え、その先に名古屋市中心部らしい高層ビルが望見できた。二人は「ここのほうがよっぽど本陣っぽい」と互いに言いながら、少し丘を降りて二村山(ふたむらやま)入り口という場所に到達する。三廻部は、再び始まったゆるやかな上り坂を進みながら、説明を続ける。

「二村山は、鎌倉街道の有名スポットだったの。鎌倉時代の十六夜日記にも出てくるし、人通りが多かったんだけど、そうなると今度は山賊が出たりして物騒だったみたい。大昔の道は、見晴らしのいい尾根や丘を通ることが多いんだけど、これは、小高い所のほうが水はけがよくて足場がよかったのと、今いる自分の位置を確認しやすかったから、らしいのね」

軸屋は三廻部の持つ地図を覗き込みながら、

「そんなに大きな山じゃあないな。ほら、もう頂上」

と指を差す。その先には平場があってお堂や石碑、ベンチが置かれていた。二人は一旦そこに座って休憩する。三廻部が持ってきた飲み物はほどよく溶けていて、二人は半分をあっという間に飲んでしまった。軸屋がハンカチで額の汗をぬぐう。

「意外と気温が上がってるな」

三廻部は豆絞りの手拭いを引っ張り出している。

「うん。昔とは平均気温が違うんだろうけど、義元が死んだ五月十九日はちょうど今ぐらいだねえ。タイミングよかったよ、ほんと」

「あー、あれか。旧暦とかで、今のカレンダーとずれてるってやつか」

「そう。多分、おじいちゃんが現場に行けって言ったのもそういうことからだと思う。あーあ、一緒に来たかったなあ……」

彼女の寂しそうな横顔をちらりと見てから、彼は立ち上がる。

「その分、ちゃんとレポートしないとな。そろそろ行こう」

「そうだね。道からずれるけど、右に行くと展望台があるんだって」


 数分歩いて展望台に辿り着き、周囲をぐるりと眺めた三廻部は少し興奮した口調になっていた。

「鳴海も大高も一緒に見える! ずっと向こうのビルは名古屋駅辺りだね。頂上の広場は木が邪魔で判らなかったけど、本当に見晴らしがいいんだね」

風が心地よく吹き抜けていく。カメラを全方向に向けて撮影をしている三廻部を横目に、軸屋は柵にもたれかかっていた。そしてのんびりした口調で問いかける。

「ひょっとして、ここが義元本陣だったんじゃないか?」

「え?」

三廻部が、カメラを構えたまま身をよじって軸屋のほうを向く。驚きのあまり妙な行動になってしまったようだ。軸屋は苦笑いしながら、相変わらずのゆるい口調で説明する。

「だって、刈谷が西から支援されないように、見張っている必要があったんだろ。ここならすぐ判る。まあ、こういう展望台を作る必要はあったろうけど」

「うーん、展望台は要らないと思う。今はどの山も木が鬱蒼と茂っているけど、昭和の初め頃までは、木が殆どない山ばっかりだったし」

「へえ、そうなのか。昔のほうがよっぽど自然が豊富なのかと思ってた」

「石油や石炭なんかが使われる前は、燃料は木や草だったでしょ。それに、家や船、橋、荷車とかも全部木だったから、たくさん切られてほとんどが禿山だったみたい」

「ふーん」

関心があるのかないのか、周囲の森を見下ろしつつ軸屋があいづちを打つ。三廻部は彼の隣に並んでから、やや気まずそうに異議を唱える。

「でも……ここが義元本陣っていうのはどうかな? 二村山は史料に出てこないし」

「義元が死ぬ前後だけこっちを沓掛城呼んでたとか、そういうのってあり得ないか? あの小さい城なんて、ここから見おろせるし、防御拠点にならないだろ」

「後北条氏の河村城と河村新城みたいな感じかなあ。『沓掛』と書いているのは今川氏真と武田晴信で、どっちもこの辺に来たことはない人達だから、新城と古城の区別はなかった。うーん、そういう解釈もできるかも。確かに候哉くんが言うように、ここを沓掛城にしたほうが合理的だよねえ」


 展望台から降りて、お堂の横から東に向かう。そこはかなりの急勾配で、その先も山道のような未舗装の小径が続いていた。木陰に入って元気になった三廻部が、すぐうしろに続く軸屋に話しかける。

「ここが鎌倉街道だったんだね。確かに、趣きがあるね」

「東側から西に向けて、崖のように切り立った地形だな。ここが奪われていたとしたら、今川方がのんきに毎月の補給とかをやれるはずがないと思うよ」

「うん、それはあたしも同意。尾張から攻めてきても、この急坂を登らなきゃいけない。天然の防壁があるもんね。城って意外とインスタントに作ったり壊したりしてるから、ここに今川方が詰めていたのは確実だと思う」


 急な下り坂を抜けると、平らな空間ではあるが森と原っぱが混在した場所が続く。三廻部は左右を見ながら「あれ、土塁(どるい)じゃないかなあ」と呟く。

「ドルイ?」

「土で作った壁みたいなので、城の防御のために作られたの。年月が経つとどんどん低くなっていくのと、ちょっと昔の整地作業でも似たような土盛りができるから紛らわしいんだ。あたしはお城に詳しくないから判らないんだけど、ここに曲輪を置いた可能性もあるかも」

「クルワ?」

「えーと、さっき沓掛城で見たでしょ、土盛りで囲まれた場所。最初はくるっと輪っかになっていたから、そういう名前になったらしいよ」

「ふーん。ここを出た義元が逃げ戻ろうとしたんだとすれば、ここに辿り着けなかったんだろうなあ」

「そう考えると、この場所って感慨深いねえ」


 山道を抜けると、大きな病院が左手に見え、三廻部はその横を進む。病院の反対側には大きな溜池がある。二人は足を止めた。

「ここは?」

濁池(にごりいけ)、山賊が血の着いた刀を洗って濁ったとかいう伝承があるんだって」

「それで濁ったと……」

「ただ、これは人工的な貯水池で江戸時代に作られたという話もあるんだよ。とすると、戦国時代は窪地で、これが『田楽窪《でんがくくぼ》』だったのかも」

「窪地だから?」

「『礼部於尾之田楽窪れいぶびのでんがくくぼにおいて一戦而自吻矣いっせんしてじふんせり』という記録が、静岡のお寺の法要記録にあるんだよ。義元が死んでから二十七年後だから微妙だけど、『尾張の田楽窪』で礼部=治部大輔=義元が戦って、自吻=自刎=自殺したってある」

「で、ここがそうなの?」

「田楽坪とか館狭間、大狭間とか似たような地名がこの近辺にあるから紛らわしいんだけど、飯尾宗祇(いのおそうぎ)里村紹巴(さとむらじょうは)とか、旅の記録を残した人達によると、西から来て二村山の手前で『田楽が窪』が出てくるのね。とすれば鎌倉街道沿いで、二村山の手前で窪地。つまり、ここになるかなあと」

二人は立ち止まり、暗緑色の水を湛えた大きな池をじっと見つめた。軸屋が嘆息しつつ、三廻部に尋ねる。

「でもさ。ここだったら、すぐに二村山に逃げられそうな気もするぞ?」

振り向くと、すぐ目の前に山がある。二〇〇メートルもない距離だ。三廻部も池と山を見比べている。少し口を尖らせて、更なる疑問を口にする。

「確かに。義元を殺した側からしたら、ギリギリだよね。二村山にいた今川方は、何で助けに行かなかったんだろ?」

「そうだよな。大将が目の前で殺されるのを、黙って見ていたことになる。やっぱり、前に話していた沓掛城への放火があったとか?」

「うん。刈谷からの奇襲か、自落かはもう判らないけど、必死に逃げてきた義元たちの目の前で、炎上したんだろうね。それって、結構残酷なシーンだよ」


 窪地を抜けると、初夏の日差しの中、だらだらと続く下り坂が直線で何本も交差している。周囲は全て住宅だ。

「ここからは古道があやふや。だから、扇川の鴻仏目(こぶつめ)橋までは最短距離で行くね」

「任せる」

「さっきまで古道にいたから、この普通の景色が妙に見えちゃうね」

「俺はちょっとほっとしてる。特にあの窪地は妙な感じだった。その手の霊感は全くないはずなんだけど」

「えー、あたしは何も感じなかったなあ。落ち武者の亡霊とか、見えた?」

三廻部が急に目を輝かせる。軸屋は眉をひそめて首を振った。

「見えなかったし、別に見たくない」

「何で? むしろ取り憑いてほしいじゃん。当時のことが聞けるんだよ? 出てきてくれないかなあ。お話したい」

返答に困った軸屋は、目を逸らしながら話を強引に変える。

「その、何とか川を越えたらどこに行くんだ?」

「相原という集落から鎌倉街道がまた判るから、そこを経由して鳴海に行こうかなと。ねえ、もし落ち武者が見えたら絶対教えてね。質問したいことがいっぱいあるから」

「判った判った」

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