14 子細
やがて閉館時刻となり、久瀬と江間は図書館近くのファストフードへ連行され、軸屋に事情聴取を受けることとなった。
「で、何の魂胆だ?」
テーブルに着くなり、軸屋が訊く。先程まで、ようやく読めた珍しい長編小説についてそのレアさを熱弁していた江間だったが、今度は口をつぐんで何も言わない。
「……」
見かねた三廻部がフォローする。
「えっと、たまたま来ただけだって、言ってたよ?」
「いやそれはない。少なくとも久瀬は違う。こいつは、人がゴチャゴチャいる場所が大好物だから。図書館なんかに興味があるわけがない」
久瀬はむっとして言い返す。
「いやいや、あんなでっかい図書館だとは思わなかったけど、色々と見てて面白かったぜ」
軸屋がニヤリと笑う。
「ほらな、どういう場所か判らないまま来たってことだ。俺と三廻部さんを追っかけてたんだろう」
「いや何というか、えーと、この近くに用事があって、えーと」
しどろもどろに答弁を試みる久瀬だったが、ここで江間が遮る。
「もういいよ。ちゃんと二人に話そう」
江間がかいつまんで話したのは、軸屋と三廻部が土曜に二人きりで電車に乗っているのを、同学年の女子生徒が複数回目撃していたということと、二人が東京で何か変なことをして遊んでいるという噂が出かかっていたということだった。小耳に挟んだ江間が、二人は図書館に行っているだけだという情報を流したが、「図書館のためだけに、わざわざ東京に毎週行くわけがない」という、高校生として極めて真っ当な常識によって却下されていたという。
さらに、一部男子生徒から「二人が妙な宗教にはまって布教を計画している」という噂も出ていたと久瀬が言う。三廻部のノートを、軸屋が考えなしに見せてしまった一件が関係していたようだ。
そして最終的に江間の背中を押したのは、昇降口で三廻部が見せた奇怪な言動だという。ハイテンションな様子を目の当たりにした江間は、まさかとは思いつつも久瀬に相談した。「『解釈の神様』とか、さすがにちょっと変すぎるだろう」という結論に達した二人は、事実をこっそり確認しようと考えたのだという。
江間の話を受けて、久瀬があとを引き取る。
「この噂ってさ、やっかみなんだと思う。自分達は受験で手一杯なのに、何を遊んでやがるって、マイナス感情があるんだよ。だから、このままいくと話がエスカレートしそうだなって心配になってさ。黙って付いてきたのは悪かったけど、面倒な噂があるってこと自体聞かせたくなかったんだよな」
「ミコを信じてないってわけじゃないのよ。でも……行ってる図書館がどんなものか判らなかったし、図書館で何でヘトヘトになるかも意味不明だったしで」
と、江間がさらにかぶせる。事態を把握できていないのか、きょとんとしているのは三廻部だったが、軸屋は少し思うところがあったようで、軽く頭を下げた。
「心配かけたな。見ての通りをみんなに言ってくれ」
久瀬が苦笑いして手を振る。
「気にすんなって。しかし、もうちょっと色恋っぽさがあるのかと思ったが、ある意味受験勉強より過酷なことやってたとはな」
店を出ようと支度を始めた時、江間が軸屋を睨んでダメ出しを始めた。
「軸屋くんさ、自分で洋服買ったことないでしょ? それに、置いてある服を手前から順番に着てるだけでしょ?」
「ん? 江間さんは違うの?」
「あのね、今日びは男子でもコーディネートには気を使うものなの。多分あなたのお母さんだろうけど、服の並びを工夫して何とかしようとしている意図は窺えるわ」
「……服なんて、着れればいいんじゃないか?」
「そんなわけないでしょ。周りを見てちゃんと勉強しなさいよ。受験もないんだし」
攻撃されている軸屋をニヤニヤしながら眺めていた三廻部だったが、次の瞬間撃墜される。
「でも、ミコのほうがタチが悪いからね!」
江間に指を突きつけられた彼女の恰好は、メガネにお団子頭、ボタンダウンのシャツは両胸のポケットからはボールペンと鉛筆、付箋が飛び出していて、その下はポケット多数のズボンというお馴染みのワークスタイル。
「……あ、あたしはちゃんと服を選んでるよ」
「あんたは放っておくと、おじさんの作業着にしたがるでしょ」
「そんなことないよ。文恵に言われて、色違いとか揃えたもん」
「色とか以前の話だから。明日ちゃんとした服を買わせるからね! 図書館は休みでしょ」
「えー、だって明日は候哉くんにパソコンを習う日なんだよ」
「ごちゃごちゃ言わない!」
そう言っていきり立つ江間に割り込んで、久瀬が厳かに告げる。
「もし」
「佑佐は黙ってて」
「模試だよ。明日は俺たち模試だろ」
帰路はいつもの私鉄を使わずにJRでボックス席に陣取った。道中、調べた内容を喋りだした三廻部だが、事情を知らない江間と久瀬に呆然とされ、慌ててこれまでの調査成果をざっと話すことになった。
「そんな細かいことまで調べてたんだな」
と感心する久瀬。一方で江間は不審そうな顔で尋ねる。
「そもそも、ミコって何で古文書が好きなの? ちゃんと聞いたことなかったけど……」
三廻部は正面切って聞かれたことで言葉に詰まり、暫く考えてから答えた。
「古文書って、一つ一つがパズルなんだよ。うーん。何てたとえればいいかな……あ、そうだ。たとえば、手紙を書く時を考えてもらえば判るけど、当事者同士が判ればいいように略して書いてるでしょ?」
「ていうと?」
「あたしが文恵に『Rやった? 交換しない?』って手紙を書くとして、これ久瀬くん判る?」
「判らん……Rは英語のリーダーだろ、くらい?」
「うん。文恵は英語が得意だから、あたしの日本史と交換で課題の答えを教え合ったりするのね。だからあたし達はこれで通じる。それに、初対面同士でもない限り、手紙のやり取りってこういう省略が普通でしょ?」
「ああ何となく判った。共通の話題なら、説明はしないもんな。逆に、説明してるような手紙があったらむしろ嘘臭い」
と久瀬が納得する。
「それは大昔の人達も同じ。だから、全然違う時代のあたし達からしたら、当時の手紙は謎ばっかりなんだよ。でも、いくつもの文書をつないでいくと意外なオチが見えたりするのね。文恵だったら判ると思うんだけど、思ってもみなかった展開が急に出てきたり、本当は違う意味だって気づいたりで、予測がつかない長編小説みたいな感じ」
江間はにっこり笑って頷いた。
「オムニバスみたいな感じだね。それも、謎解きがついているやつ。それに、長編小説っていつかは読み終わっちゃうのが悲しいんだよねー」
「古文書だったら、後北条と今川関係だけでも1万件近くあるんだよ。これだけ膨大な量があると、多分あたしが死ぬまでに読み切れるとは思えない」
「そうか。エンドレスに楽しめるんだったら、いいね。ミコがハマるのも判るかも」
意気投合した女性陣を横目に、久瀬は納得できていないような顔をしている。
「俺、小説は読まないからイメージしづらいなあ。もしかして、伝言ゲームみたいな?」
それに軸屋が異を唱える。
「違うな。たとえばプログラムでいうと、機能ごとに分割されたサブルーチンが相互連携して複雑な処理をこなすだろう。ただそういう大きなプログラムはバグが出た時に原因が突き止めにくい。そういう時にはデバッグ用のトラッキングをするんだけど……」
「やめ!」
江間が鋭く遮る。
「余計判んなくなるから。軸屋くんはすぐそういうこと言い出すから、変人だと思われるのよ。自覚ある?」
「本体は別にあるって? ロボだろ?」
笑い返す軸屋に一瞬怯んだ江間は、三廻部を睨む。漏洩者は慌てて「あ、あたしは文恵が呼んでたとか言ってないよ」と、フォローにならないフォローをした。
「で、候哉は何でそんなにプログラムに入れ込んでるんだ? そういえば俺もちゃんと聞いたことなかったな」
と、久瀬が話を変えた。
「……運が悪いから」
「何だそりゃ」
「俺は昔から運がないんだ。当たってほしくない問題に指名されるし、行列でもいつも俺の前で締め切りになったり、くじで当選したことなんて全くない。だから、運に期待できない以上、あらゆる不幸に備えるしかない。そういう思考で小さい頃からやってきた」
「それとプログラムはどう関係するんだ?」
「プログラムには例外処理ってのがあってな、想定どおりに動かなかった時にどう対応するかを事前に組み込まないといけない。これが俺の不幸対処、リスク回避と似てたんだよ。面白くなってこれを念入りにやったら、評価がどんどん上がっていった。不幸体質も意外に役に立つぞ」
得意げにそう語る軸屋に、他の三人は複雑な表情になる。久瀬がため息混じりで話を締めくくった。
「羨ましいような、羨ましくないような……」