13 乱入
その次の土曜日。久瀬が江間の袖を引っ張る。
「なあ、ここまで来ればいいんじゃないか?」
横目でじろりと久瀬を睨んだ彼女は、普段から低い声を更に低くして告げる。
「中で何やってるか確認しないと意味がないでしょ。とりあえず、気づかれずに見届ければいいの」
「そんなもんかなあ」
二人がいるのは巨大な図書館の前。やや離れた入り口に、三廻部と軸屋が並んで入っていく。
「さ、私達も入ろ」
江間に促されて、久瀬も動き出す。足早にエントランスを抜けたものの、二人の姿はなくなっていた。
「あれれ? あいつらにしちゃ、随分素早いな」
首を捻る久瀬は、館内に入ろうとしてゲートがあることに気づく。ゲートはICカードをかざして開ける仕組みになっているようで、横から来た入館者が何人か電子音とともに入っていった。
立ち尽くす久瀬と江間のうしろから、掠れた声がかかる。
「何でここにいるんだ?」
ぎこちなく振り返ると、眉間に皺を寄せた仏頂面の軸屋と、目を丸く開いて口元に手を当てた三廻部がいた。
しばらくのち。上層階の食堂で、長机に顎を載せてぐったりした江間が、向かいで珈琲を飲んでいる久瀬を見やる。
「入館登録が事前に必要だったなんて……」
「普通の図書館じゃないんだな。貸出の時だけカードを作るのかと思ってた」
「結局、ミコに利用された感」
「貸出冊数が倍になるって、ものすごい喜んでたもんねえ。しかし、一回三冊縛りとはね」
「軸屋くん、貸出ロット要員だったのね」
「うん。でも、あいつも集中してプログラミングできるって喜んでるみたいだし。あの二人の集中力は怖かった」
強く、そして長くため息をついて江間が頬をふくらませる。
「何か、悔しい」
「悔しいって何が?」
「二人っきりの世界みたいで」
「いやあ。あれは、それぞれ個別じゃないか? ただちょっと面白いのは、二人で『入る』時と『戻る』時がぴったりなんだよな」
「何それ?」
「集中モードにどっちかが入ると、隣もすーっと入っていって、どっちかが人間界に戻ってくると相方も一緒に集中力が薄くなるんだよ。候哉が何度も図書館に付き合ってるとか、それ聞いてちょっと不思議だったんだけど、これだったら納得だな」
「相性がいいってこと?」
「まあたまたまなんだろうけどね。どっちにしても、デートじゃない。というか孤独なゲリラ戦というか」
「全体の雰囲気もあるかも。何十人もがずっと本を読んで何か書いたりしてる空間って、こんななのね。授業よりも変な感じの空気」
「俺達には縁遠いよな」
江間がふくれたまま「帰りたい……」と言い出した。久瀬が呆れたようにたしなめる。
「それ言ったの何回目だよ。だから無理だって。俺達名義で借りた本を返さないと、出られないんだって」
「荷物もロッカーに全部預けちゃったし、何もすることがない!」
その後もぐずぐずと文句を言い続ける江間に辟易して、久瀬は一つ提案をしてみる。
「前に、探してるって言ってた作家の本があったじゃん。それがあるか検索してみれば?」
江間は一瞬で顔を輝かせたが、すぐにまた不平顔になる。
「でも、私はもう借りれないじゃん。ミコが全部使っちゃったもん」
「三廻部さんに頼めば聞いてくれるよ。俺達の枠は臨時ボーナスみたいなもんだし」
「そうかな……うん……そうだね」
一転して笑顔になると、江間は足取りも軽く検索フロアに降りていった。
一人になった久瀬は、ようやく訪れた静けさに満足しつつ、食堂内の人間観察をして過ごした。
昼食時を過ぎて少し人が少なくなった頃、久瀬の元に軸屋と三廻部がやってきた。
「久瀬君、ごめんね。することなくて困ってるでしょ」
入るなり食券を買いに行った軸屋と一旦分かれ、久瀬の向かいに座った三廻部が両手を合わせて謝る。
「気にしないでいいよ。俺、ぼんやりしてるの好きだから」
「久瀬君の分の本は調べ終わったから、もう返していいよ」
三廻部は館内用ロッカーの鍵をずいっと差し出す。食堂内は持ち込み禁止なので、入り口のロッカーに預けているようだ。
「ああ。今日は最後まで付き合うから、気にしないで」
「でも……」
「こういう場所に来たことないからさ、食堂にいる人を見ているだけでも面白いよ。コピー紙をバラバラめくっていたり、食べながらウンウン唸ったりしてて。あと、何を思いついたのかブツブツ言い始めたり」
「それ、そのまま三廻部さんのことだから」
食事が載ったトレイを二つ運んできた軸屋が、フライ定食を三廻部の前に置く。自らの分とおぼしきカツカレーのトレイを久瀬の隣に置いて、そのまま冷水機に向かう。その様子に眉を上げて、久瀬が小さく呟く。
「あいつ、こんなに気が利いたっけ?」
三廻部はくすりと笑って、席を立った。
「図書館の先輩ぶってカッコつけてるのかも。でも、お箸を忘れてる」
二人が猛烈な勢いで食事するのを呆然と見ていると、あっという間に平らげて貸出フロアに降りるという。姿を見せなかった江間はお目当ての小説を見つけられたようで、閲覧室にずっといるそうだ。三廻部はちょっと心配そうに、
「何か食べなくて大丈夫かなあ」
と言っていたが、先程暇に任せて盛大に飲み食いしたあとだと久瀬が告げると、苦笑していた。
久瀬の分の本も一旦返却して別のものを借りることになったので、猛者二人と共に貸出フロアに降り、そのまま広い館内を観察することにした。部分的に開架になっている部屋や、雑誌専門の貸出フロア、複写コーナー、マイクロフィルムビューワーなどなど、そこを出入りしている人たちを含めてあれこれ眺めているだけで時間が潰せた。