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11 通路

 受験前で周囲がピリピリしている中で受けた中間考査も、二人は最小限しか対応せず、ひたすらデジタル環境の構築を進めた。そして六月に入った土曜日、図書館からの帰路で軸屋は調査再開を宣言する。

「入力も基本的な検索もちゃんと覚えたから、そろそろ歴史話を解禁するか」

三廻部の表情がぱっと明るくなり、すぐさままくし立てる。

岡部元信(おかべもとのぶ)という人がいてね、この人は大将の義元が死んだ後も踏みとどまっていたの。それは、氏真から二通、武田晴信(たけだはるのぶ)という人から一通の文書が残されているから確実」

「ふーん。岡部は義元とは別の場所にいた?」

「鳴海城を守っていたみたい。結局どうしようもなくなって、氏真の許可をもらって撤退しているんだけど、褒められている点が『大高・沓掛が自ら落ちたのに、鳴海を守ったのは偉い』ってことで一致している」

軸屋は三廻部が広げた地図を見ながら考えている。三つのうち、最も東側、つまり味方側にあるのが沓掛、その真西に五~六キロ離れて鳴海がある。大高は鳴海の南西に一・五キロほど。

「位置から見たら、沓掛が落ちたら鳴海も落ちそうなものだよな、ここはちょっと変だね」

「うん。それともう一つ、妙なところがあるんだよ。ここ……」


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古文書八


●解釈


駿河・遠江、両国内の知行である勝間田、並びに桐山・内田・北矢部のうちの被官への給料分のこと。右は、今度尾張国において一戦した際に、大高・沓掛の両城が捨てられた一方で、鳴海城を堅固に守備した。本当に粉骨の至りである。ところが孤立したことにより、指示を受け、城中の兵員を確実に引き上げさせた。比類のない忠功である。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。粉骨は他に比べられないほどだ。あの知行は事情があって数年没収していたが、褒美として還付する。末永く間違いがないように。以前のように管理せよ。この旨を守り、ますます奉公にぬきんでるように。

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<加えて、苅屋城に謀をしかけて、城主の水野藤九郎のほか名のある者を多数討ち取り、城内全てに放火した>


三廻部が指でこの範囲を強調しながら、早い口調で続ける。

「文脈からいって、岡部元信は鳴海城を明け渡してから、刈谷城を攻めたような感じ。でもね、この後の六月十三日に武田晴信が出した書状には、これがなくて鳴海城の話だけ。九月一日の氏真書状にも、鳴海城の話だけしかないのよ」

「ふーん。それは何を意味するんだ?」

「この時代の書き方って、すごく疑り深いというか、くどいところがあって、特に功績なんかだと毎回毎回しつこく書くのが普通なのね。でも、最初の六月八日にあってそこから消えたというのは、それが間違った情報だったからだと思う。その五日後に出された武田晴信の書状は、知り合いの岡部元信を手放しで褒めているのに、刈谷乗っ取りには触れていない」

「情報の混乱か。あー、何だっけ、松井とかいうのも最初は行方不明だったんだよな」

「そう、それに近い混乱があったはず。ただ、松井宗信が当初行方不明だったけど、その奮戦は伝わっていたように、何かとり違える要因があったから、刈谷城乗っ取りなんていう話が出てくるんじゃないかな。とりあえず、武田晴信からの書状と、氏真が二回目に出した書状を見せるね」


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古文書九


●解釈


それ以来便りがなく、ご連絡が絶えてしまいました。思いがけないことです。さて、今度の不慮の巡り合わせで、利を失い全体的には敗北となりました。加えて大高・沓掛は自落。そうしたところ、あなたは暫く鳴海の地に踏みとどまり、その上、氏真よりの一筆を受け取ってから退却したのとのこと。本当に武功の至りで比類がありません。二〜三ヶ年こちらに在国していたので、今度は一段と心もとなく思っていましたところ、つつがなく駿府に帰り、最終的には名誉を挙げられましたので、信玄の喜びは過ぎるところを知りません。次に、氏真に対しては格別に昵懇となりたい心底です。悪い人の讒言を信じられませんように。馳走することは本望です。ご連絡をお待ちしています。

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古文書十


●解釈


当知行のうち、北矢部、並びに三吉名のこと。右は、父玄忠(げんちゅう)の隠居分として、先年分を渡したという。であれば、玄忠の死後は元信だけの相続とするように。もし弟達があの隠居分を相続しようと訴訟しても、すでに還付した土地であるから、係争事案としては一切認められない。合わせて弟両人の分割分のこと。元信に事情があって近年家中にいなかった間に証文が出されている。とはいえ年来東西で活躍し、加えて今度の一戦では、大高・沓掛が自落したのに、鳴海一城で堅固に踏みとどまり、その上、指示を受けて退却した。神妙の至りである。これにより、本領を還付した上は、法に任せ、以前のように陣番に加わるように。契約は明確であるから、今後異議に及ぶ者はこの文言のように、元信に進退の意を任せるように。

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「ね、刈谷城の奇襲なんて全然触れてないでしょ?」

そう言って三廻部が目を上げると、軸屋は地図のほうを見ていた。一瞬むっとしながらも、三廻部は軸屋の視線が気になって地図を覗き込む。

「そもそも、この辺って疑問ばっかだなぁ」

駿河から遠江、三河を経て尾張に至る地図を眺めながら、彼がため息をつく。この地域は現代でいう静岡県と愛知県に当たるが、彼の指は三河湾の辺りを漂っている。

「刈谷の辺りってこと?」

三廻部が尋ねると、軸屋は深く頷く。

「うん。刈谷をそのままにして、ずっと西のほうに行っているじゃん。これ、何で刈谷を攻めなかったの?」

軸屋が地図を示す。刈谷は沓掛の南方でおよそ二〇キロ以上離れていて、さながら今川領地の中にぽつんと浮かんだ離れ小島のようになっていた。

「あー、刈谷は複雑なの。一回義元に降伏してるんだけど、その時に織田が邪魔をしてる。前に見せた、松井宗信の功績を書き出したやつ、あれに載っているんだけど」


<苅屋入城之砌、尾州衆出張、雖覆通路取切之処、直馳入、其以後度々及一戦、同心・親類・被官随分之者、数多討死粉骨之事>


<刈谷に入城した時に、織田方が出撃してきて、通路を覆って妨害したのに対して、直接乗り込んで、それ以後も度々戦って、部下たちの主だった者が多数戦死し苦労した>


「えっと? 刈谷城には松井宗信がいたのか?」

「城主ではないだろうけど、この功績リストに『苅屋在城以後弐万疋』ともあって、刈谷城に滞在する費用を出し続けたともあるから、刈谷城が今川方で、宗信がいたのは確実だと思う」

「じゃあ、何で岡部が刈谷城を奇襲したことになるんだ? そこが判らない」

「義元が死んだ直後に、織田に寝返ったのかも。見張り役の松井宗信も義元と一緒に戦死しているし」

「ちょっと気になるのが、刈谷に今川が入る時に、織田が妨害したとこだな。前後関係が逆とか? 刈谷が今川から離れて、それに対応する中で義元が死んだとか」

「……?」

「刈谷の誰かが、松井の不在時を狙って『織田さん助けて』って言った場合、織田が助けに行くコースは知多半島の根本を横切る道かなあと。で、そうなると大高・鳴海が入り口でしょ」

「あー、ほんと、確かにそうだね。師崎(もろさき)街道があるから、織田はそこを使うのが自然だね。それと、北回りになるけど、沓掛を通る鎌倉街道がある。刈谷が寝返ったのが最初だという証拠はないけど、その反証もないよ。というか、もしそうなら、鳴海・大高の周辺にある砦の意味が逆になるね」

「砦って、城じゃなくて?」

「城よりは小さくて臨時に作ったようなものが砦。で、伝承では大高・鳴海を包囲するために織田が作ったとされるんだけど、今川方の意図が刈谷への通路封鎖封鎖だとしたら、こういった砦は今川のものかも知れない。大高・鳴海・沓掛の間を徹底的に塞ぐために、あれこれ作っていったと……」

「うん。そういう意図があったって考えれば、鳴海に残った岡部が、遺恨を晴らすために刈谷を放火したという情報は、氏真にとって判りやすかっただろうな」


事実・岡部元信は義元死後も鳴海城を守っていた。

事実・岡部元信の功績で刈谷城放火があるが、最初の一通のみ。

事実・今川が刈谷城に入る時、織田が邪魔をした。

事実・松井宗信は刈谷城に駐屯していた。

推測・岡部元信が刈谷城を攻めたのは誤情報である可能性が高い。

推測・義元の目的は刈谷城への支援を妨害することだった。


知識・城よりも小さい防御施設を砦とする。

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