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My beloved person  作者: 水鏡 零
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第4話-君に伝えたいこと-

外は夜の闇にすっかりと溶け込み、月明かりが静かに庭を照らしている。

振り返って屋敷の方を見つめれば、賑やかなナンナの声が窓越しにかすかながらも聞こえてきた。

相変わらず、あの妹は賑やかなものである。


夕食の際に父上が詠美に話した事は今後の事だけであり、今までの辛い話については一言も触れることが無く、気が付けば明るい会話が部屋の中に溢れている状態だった。

母様はイギリスでの生活を詠美に話し、私が毎日飽きもせずに家具屋へと通った事を事細かに彼女へと説明する。

その度にナンナはため息をもらし、父上は苦笑いを浮かべていた。

詠美の表情は終始穏やかで、両腕から覗いた包帯がなければ、何事も無い穏やかな空間だったと言える程である。

時折、詠美は思い出したように父上へと何かを伝えようとしていたが、彼は決まって人差し指を立てて彼女の言葉を遮っていた。

父上なりに、今は聞くことをやめたのだろう。

ダイニングから部屋へと戻る詠美に、父上が一言二言伝えている姿を見たが、その際に彼女は少し表情を曇らせていた。

「まぁ珍しい。お散歩?」

「母様…。」

庭の奥から姿を現した母様の手には、鮮やかな花が籠の中で揺れていた。

手に持った籠へと視線を移した母様は、おもむろに花を一掴みする。

「少し、考え事をしていたところだよ。」

「ふふ。てっきり、昼間に寝すぎてしまったのかと思ったわ。」

くすりと笑った母様は、手に持った花を私の方へと向ける。

小首をかしげてそれ

を見つめていると、彼女は更にずいとそれを押し付けるように私へと手渡した。

「お父様に言っておいたのよ。リディと詠美ちゃんがダイニングに来る前にね。ナンナと相談して、今夜は彼女に話を聞くのはやめましょう。って。」

「あぁ、それで…そうだったのか。」

「ほら…一晩しか経過していないでしょう?」

手渡された花へと視線を向けると、甘い香りが少しだけ鼻へと流れてくる。

香り高いモノだけを選んだのか、それとも母様の独断で選んだものかはわからない。

「また思い出してしまったら可哀想じゃない。……いくら安心できる場所にいるとしても、身体の傷が癒えるのが早いからと言って、心まではすぐに癒えないわ。」

「…そうだね。」

母様が見上げた先はちょうど詠美の部屋あたりで、そこにはぼんやりと明かりが灯っているのが見えた。

ナンナと共に自室の方へと戻って行った彼女であるが、恐らくすぐに寝付くことはできないだろう。

「食事中も笑みを浮かべていたけれど、気を付けなければすぐに表情をこわばらせてしまうようだったよ。」

「そうね。…無理に笑っているところもあるようだったわね。」

屋敷の入口へと母様と並んで歩いてゆくと、開け放たれた扉の中へと入ってゆく。

先まで明るく照らされていた部屋のほとんどは暗くなっており、時刻がそれなりに遅くなってきていることが目に見えてわかる。

「ねぇ、リディ?お父様には気が付かれていたの…貴方、わかってる?」

ふいに話題を変えてきた母様に、私はぴくりと肩を震わせてしまう。

「……母様も気が付いていたんだね。」

「わかるわよ。」

曖昧な言葉で問われた事であったが、それが何かは嫌でも理解できる。

「詠美ちゃんを貴方が屋敷に運んで来た時にはね、私はすぐにわかってしまったわ。……リディ、詠美ちゃんの血を飲んだのね。」

「……。」

振り返って私の顔を見つめた母様の表情は怒っている訳ではなく、表情を作っていないようにも見える。

うっすらと私は笑みを浮かべているはずだが、どうだろうか。

もしかしたら、意外と困惑した表情を浮かべているのかもしれない。

母様の眼が少しだけ私からそれてしまい、彼女は小さなため息をついた。

「彼女がナイフで腕を切り裂かれたところを見ました。そのあと、気が付いたら私は・・・あの子の血を飲みこんでいました。」

「そう…。」

まるで子供の感想文を呼んでいるような口調で、私は淡々と母様に堪えてしまう。

それ以上の事を聞かれてしまえば、恐らく…いや、絶対に言わなくてもよいような事まで白状してしまいそうなのだ。


二人だけの約束さえも、ぽつりと鍵を開けるかのように、呟いてしまいそうで恐ろしくも感じる。


母様は私に術をかけたわけではないとは思う。

白状しろと何かしらの呪術を知らぬ間にかけたわけではなく、母親としての圧が私を押しているのだろう。と信じたい。

「…イギリスにいた時、貴方は頑なにヒトの血を飲みこむことを拒んだのに…どうして?」

「あぁ、それですか。」

どうにも敬語として彼女の言葉に反応をしてしまう。

まるで他人行儀にも聞こえてしまうような言い方は、後から思えば母様には申し訳ない事をしたなと思うだろうが、今はそうは思うことができない。


イギリスで生活をしている時、自分の事、吸血鬼であるという事を学ぶために用意された血を飲むように言われたことが何度かある。


しかし、私はどれにも口をつけず、その度に両親や親戚から何故だと言われていた。

尊敬する父上の命令であっても、それだけは頑なに拒絶をし続け、結局根気負けした彼は、あれ以来私に強要することはなかった。


「私は・・・詠美の血だけを欲したいのです。…それ以外はいりません。」

私の言葉に母様は息を飲んだように目を見開く。

心なしか口元が震え、信じられないと言わんばかりに母様は顔を左右に振った。

「…リディ。貴方、それがどういうことか、わかっているのよね?」

「えぇ、理解しているつもりですよ。母様。」

何故か喉の奥が酷く乾き、まるで自分が自分ではないような感情が湧き上がり身体を駆け巡りだす。

いつだろうか、このような得体のしれないバケモノでも飼っているかのようになった感覚を覚えたのは。


思い当たる節としては、昔…幼い頃に詠美と交わした秘密を作ったあの後くらいからだったと思う。


「私達が生活をするうえで吸血行為という事は本来であれば不要な行為であることは何度も話したわよね。ナンナだって人の血をすすることが嫌で、彼女は訓練も鍛錬も嫌がったでしょう?」

「そうでしたね。」

ナンナはイギリスで生活をしている際に、父上に申し出たことがある。

それは、人の血を飲むこと。吸血行為を人生で一度もしなくはない、という意思表明だった。

なぜそこまで頑なに嫌がるのか、私にはさっぱり意味がわからなかったが、話を聞いた両親は彼女にありとあらゆる対策を教えたのを見たことがある。

ヒトの血を欲する事を嫌がる吸血鬼はいるとは聞いていたが、まさか身内の中でいるとは思いもよらなかった。

「恋い焦がれる存在の血は、本当に甘美なモノでした。この世の中であれほど美味な物は無い…そう言い切れるほどに。」

「リディ…。」

他人に付けられた傷口をふさぐことを考えるよりも、あの時、詠美の腕に舌を這わせた際に考えていた事は別の事だった。

一口でも多く詠美の血を飲みほしたいと、まるで子供の様に頭の中で私は考えてしまったのだ。

子供の頃に飲んだ一口の血の味よりも、それは甘美で舌の先から溶け出すのではないかと言わんばかりの味が…喉を通って身体へと吸い込まれてゆく。

「今思い出しただけでも、私は・・・」

「……。」

自分を押さえつけるように、私は湧き上がる感情を押し殺して片腕で自らの腕を締め付ける。

「…およしなさい…リディ……」

「っ!」

困惑した母様の横顔がちらりと視界に入ると、まるで冷たい水を身体にまかれたように、急に脳が冴えわたってきた。

心なしか、母様の洋服が風も無いのに揺れているように見える。

「感情を抑えなさい。…でなければ、いずれフィアンセを自分の手で殺してしまうかもしれないわよ。」

酷くうなる様な低い声で、母様は私を戒めるように言葉をぶつける。

彼女の言う事は全く持って正論であり、私は自分に落胆してしまう。

「……気を付けます。」

ここへ戻ってくるまでに父上達から教わった事は何だったのだろうか。

まるでこれでは子供のままである。

「詠美ちゃんにも折を見て話しをしておきますからね。貴方を止める方法だって教えてあげないと…もうっ。よっぽど、ヨルの様が可愛らしい狼さんだわ。」

「……う…」

大きなため息をついた母様は、私の額を指ではじくと呆れたようにも見える笑みを浮かべて肩を軽く叩いてきた。

私も同じように苦笑するしかなく、髪を結っていたリボンを解いて跡の付いた髪をくしゃくしゃと撫でほぐす。

「あまり、フィアンセを困らせるのはおやめなさいね。…あの子には貴方しかいないのですから。」

「……はい。」

片手に持った籠の中から、母様はリボンで束ねた小さな花束を私の手に乗せる。

先に手渡された花と同じようなモノが束ねられ、かすかに甘い香りが漂っていた。

「夢魔を追い払うまじないをかけてあるわ。おやすみの挨拶をするついでに、詠美ちゃんに渡してあげてちょうだい。」

「うん。…ありがとう。母様。」

「あぁそれと。」

一歩二歩と自室の方へと歩きだした母様は、思い出したようにくるりとこちらの方へと振り返る。

こほんと咳払いをした彼女は、人差し指を立ててぽつりと呟いた。

「眠る前までのお喋りは良くても、それ以上は許しませんからね。…今夜はナンナもお父様もいるのですから。注意しなさいね。」

くすくすと意味深な笑みを浮かべた母様に、私は苦笑するしかない。

堅物ともいえる父上とはうって変わり、母様はどこかユーモラスで型にはまっていない部分がある。

そう言うところが母様らしくて良いのだが、まさかというよりもそこまで見透かされていたとは驚きだ。

どこかでそのようなそぶりを今まで見せたわけではないのだが、どうやらそういう事は母様には隠しきれないらしい。

母親の勘と言うのだろうか。

「おやすみなさい。母様。」

「リディも、早く寝なさいね。明日も休みだからと言って、夜更かしは二人とも厳禁ですよ。」

ひらひらと片手を振った母様に、私は軽く頭を下げると彼女とは真逆の方へと歩きだす。

手に持った花束へと目を移せば、自然と笑みが浮かんできた。







-----------



ふかふかとした布団の上に倒れ込むと、どっと身体に疲労感がのしかかってくる。

食事の前まであれ程寝ていたというのに、またうつらうつらと眠気が訪れていた。


温かい夕食は身体を満たし、たわいない会話をしながら楽しんだ時間はとても有意義ですぐに時間が過ぎてしまう。

「楽しかった…」

まるでこれが夢なのではないか、と頭の中でヒヤリとした物が流れ、思わず身体を勢いよく起こして辺りを見つめる。

その風景は消えることなく、やはり色の統一された家具が部屋を彩っていた。

「ナンナちゃんは、もう寝ちゃったのかな?」

クローゼットにかけた洋服へと視線を移し、その横に並べられた可愛らしい服を見て笑みを浮かべる。

似合うと思ったからこれも着てちょうだい。と半端押し付けの様にナンナちゃんは様々な物をクローゼットやタンスへと押し込んでいった。

落ち着いて、夜が明けたら一つずつ確認しようと思うが、やはりと言うか目にした下着は派手な色合いだと思う。

詠美があまりに色気のない物を使っているから派手に見えるだけ。と彼女は怒ったような表情で言っていたが、どうにも自分では手が出ないようなモノばかりだと何度考えても感じてしまった。

もう着ることはないとちょっと丈の短いスカートも数枚譲ってくれたはいいものの、どうやって着こなせばいいのか理解はできない。

「また、聞いておかないと。変な格好って言われちゃう。」

クローゼットの扉を静かに締め、思わず出た言葉に自分でクスクスと笑ってしまう。

なんと楽しい時間なのだろうか。

明日を楽しみにしていいと思ったのはいつぶりだろうか。

日が昇っても誰に蔑まれることなく、無理に魔法を使うこともしなくていい。

扉の向こう側には見知った人たちが待っていて、優しく微笑んでくれる。

「…嬉しいな。」

腕に巻かれた真新しい包帯と、可愛い柄のネグリジェを見て、ふっとため息が漏れてしまう。


ふと視界の先に黒い布が目に入り、忘れかけていた物を思い出した。


「まだ、返してなかった。どうしようっ。」

クローゼットの入り口にかけられた長いマントを手に取り、はっと時計へと視線を向ける。

夕食からは数時間が経過し、そろそろ眠るころには良い時間だ。

今から彼の部屋に行き、ありがとうございました、と簡単に返すには少々迷惑な時間かと思われる。

「……。」

金色の金具がついたマントを手繰り寄せ、目を閉じて布に顔をうずめる。

彼が好んでつけている香水なのだろうか。やはりマントからは爽やかな香りが微かに漂ってきていた。

視界の先では彼の表情が鮮明に思い出され、柔らかな笑みが見える。

「…リディエルさん……」

つい先ほどまで会っていたというのに、何故か胸の奥がきしみ、まるで前の様に長い時間会っていないかのような寂しさが湧き上がる。

これが、恋というものなのだろうか。


「呼んだかい?詠美?」


「へっ?」

部屋の入り口の方から思わぬ声が聞こえ、私はマントを勢いよく抱きしめて素っ頓狂な声を上げてしまった。

その声が聞こえたのだろうか、かすかだが含み笑いが聞こえてくる。

「り、リディエルさんっ?」

「あぁそうだよ。…ふふ、今私を呼んだよね?」

「え、えぇえっと。」

おずおずと部屋の入り口を開けてみると、そこには笑みを浮かべたリディエルさんが立っていた。

マントを抱きしめたまま現れた私に驚いているのか、彼は急に表情を変えて目を丸くしている。

「あ。そうだ。あのっ、これ…お返し…しなくちゃいけなくてっ。」

「…そういえば、詠美に渡していたんだったね。…いや、そんな急いで返してもらわなくても大丈夫だよ。」

「えっでも。」

私の手からマントを受け取ったリディエルさんは、少し考える様なそぶりをしてこほんと咳払いをする。

しばらく彼の顔を見つめていると、リディエルさんは思いもよらぬ言葉を発した。


「ねぇ詠美。部屋に入れてもらってもいいかな?」


彼はそのまま自室に戻るのだろう、と思っていた私は、リディエルさんの言葉に何度も瞬きをしてしまう。

「えっ。あ、えっと。…どうぞ?」

「…ありがとう。」

私から了承を得たリディエルさんは、ニコリと微笑むと部屋の中へと入ってきた。

よく見れば、彼の手には小さな花束が握られている。

「母様が、詠美の夢見を心配されていたよ。悪い夢を見るのではないかと…それで君にこれを渡すように言われてきたんだ。」

「お花?」

「そう。夢魔を払う術が施してあるそうだよ。」

ゆっくりと手渡された花束を両手で包み、そのままリディエルさんの顔を見上げると、彼はさらに表情を綻ばせる。

片手を動かしたリディエルさんは、細い指先で私の髪を優しく撫でてきた。

くすぐったいような何とも言えない感覚が私の身体を包み込む。

「……やっぱり、可愛い。」

「えっ。」

「形は違うけれど、白い服を着ていると…花嫁のように見えるよ。」

「っ?」

優しく紡がれるリディエルさんの声は、眠気に襲われていた私の頭を次第に冴え広がせて行く。

いつも思うが、どうしてそんな甘い言葉を平然と口に出せてしまうのだろうか。

それが彼らしいといえば彼らしいのかもしれないが、時に顔を真っ赤にしなくてはいけない程、甘く悶えるほどの言葉をリディエルさんは平然と話し出す。

「ねぇ詠美?私の愛しいフィアンセ?」

「な、なんでしょうかっ?」

思わず緊張したような返事を返してしまった私だけれど、リディエルさんはそのような事はお構いなしの様で、まるでとろりと溶けてしまいそうな優しい笑みをこちらへと向けてくる。

白い指がちょんと動き、目を見開いた私の唇へとつけられた。


「キスをしてもいい?」


「???」

そんな展開になるような会話がいつあっただろうか。

彼はため息交じりに言葉を発し、私の唇につけられた指を動かし、顎を指で押し上げる。

心臓が弾けそうな程に高鳴り、私はどう返事をしてよいのやらと、瞬きをするしかない。

「もちろん。これは・・・」

「んっ?」

ふっといきなりリディエルさんの顔が近づき、長い金色のまつ毛が目の先で揺れ動く。

「おやすみの挨拶だよ。」

耳元で囁く様な言葉が聞こえるや否や、視界が金色に変わり、少しだけ冷たい彼の唇が私の口へと押し当てられた。

まさに心臓が弾け飛びそうとはこういう事を言うのだろう。

息が止まってこの世界から空気が無くなってしまったように不自然な呼吸をするしかない。

「ふふ…。面白い顔をするね。詠美は。」

「へっ?」

赤い瞳が心底楽しそうに揺れて、リディエルさんは私の身体を優しく抱き寄せてくる。

頭の後ろに添えられた手が静かに動くと、今にも胸からはじけ飛びそうな心臓が更にざわつきだした。

これが眠る前の挨拶だと言われても、とてもではないが今は受け入れられない感じである。

こんな事を毎日されてしまったら…そのうち本当に心臓がぴょこりと胸から出て行ってしまうかもしれない。

「たくさん詠美と話がしたいな。…二人だけで。昔の事も…今の事も…これからの事も…夜が更けるまでずっと二人だけで…。」

「その…あの…」

頭の上から聞こえてきたリディエルさんの声は、まるで子守唄のように優しく耳が溶けて落ちそうな声色をしている。

どんな顔をして彼を見上げればいいのだろうか。

今は目の前に見えるシャツのボタンを見ているだけで精一杯だ。

「時間は…あの…たくさんあると思います…なので…急がなくても…」

「そうだね。詠美の言うとおりだ。でも…」

「っ?」

私の頭を抱えるように添えられたリディエルさんの片腕に力が入り、背中へとまわっている腕にも急に力が加わる。

落胆とはまた違ったため息が耳元で聞こえると、ふんわりとした彼の髪が目の前に流れてきた。

マントと同じ爽やかな香りが鼻をくすぐり、気が付くと首元にリディエルさんの息遣いを感じる。

彼は今、私の首元を見つめている?

「色々と考えてしまうと、時間を惜しんでしまうんだ。一分一秒でも詠美の傍に居て君の声を聞きながら…成長した愛らしい顔を見つめていたいよ。」

「……。」

何と返事をして良いのか全く分からない。

確かに私もリディエルさんと同じで、沢山の話を彼としたいし、同じ時間を同じ空間で過ごしていたい気持ちはある。

けれども、自分の言葉と声で伝えることが上手くいかなくて、頭の中を短時間で整理する事さえも今はできそうもない。

「あ…あの…」

私の中ではリディエルさんは未だに十代のお兄さんで、目の前に居る今の彼の姿や声に戸惑いを抱いているのかもしれない。

突然と現れた綺麗な本当に綺麗な顔立ちの成人男性に今はまだ戸惑いを少なからず感じていたんだと思う。


だから…どうしても変な敬語を使ってしまうんだ。


「本当はね。昨日…君に声をかけた時に拒絶されたらどうしようと不安だったんだ。」

「え…。」

「ほら、だって…。」

少しだけリディエルさんの身体が離れ、私は彼の顔を見上げる。

赤い瞳が静かに瞬きをして、ふっと口元が開いた。

「詠美の中では、私は十代前半の少年で止まっているかもしれない…そう思っていたから。」

「あ……」

見透かされたようなリディエルさんの言葉に、私の心臓が別の意味ではじけ飛びそうになる。

びっくりしたような恐怖を感じたような感覚は、火照った顏でさえも冷やりとさせるほどだ。

「でも、詠美は私の事を拒絶しなかった。名乗ってもいないのにわかってくれた。……嬉しかったというより…ごめんね。…とても安心したんだ。」

大きくため息をついたリディエルさんは、また私を強く抱きしめる。

彼の言葉にまた答えられない私は、喉の奥が次第に痛くなってきてしまう。


ごめんなさい、ごめんなさい、何故か謝りたい気持ちでいっぱいだ。


「あの…あ…のね…」

「なんだい?…詠美?」

伝えたい言葉も自分の考えもまとまらないまま、私の口は震えながらも声を発する。

優しいリディエルさんの声が更に頭の中をぐちゃぐちゃにしていくような気がして、なんとか何でもいいから喋らないといけない、そう自分を動かしてゆく。


「……ごめんなさい…ごめんね…」


「えっ?」

震えたような情けない私の声に驚いたのか、リディエルさんの本当に驚いたような声が耳をかすめた。


私も貴方に会えて嬉しかった。助けてくれてありがとう。これからはずっと一緒にいられる?もう、引っ越しはしない?これからどんな生活になるのかな?リディエルさんはどんなお仕事をしているの?今度、落ち着いたら街を案内したいな。リディエルさんの使っている香水…私も好きだな。あとそれから……


「詠美…。なぜ、私に謝っているの?」

「わからない…でも…言いたい事、伝えたい事が…ごめんなさい…」

「……。」

優しい手に包まれたのは何時振りだろうか。そんな事がふいに脳裏をよぎった途端、頭の中はもっとぐちゃぐちゃになる。

罵る声も蔑む声も無い空間。ただただ暖かい大好きな腕に包まれているだけのこの瞬間が、急に愛おしくなってけれども申し訳ない気持ちに押しつぶされそうになって…

「リディエルさんが急に大人になっちゃったみたいでっ…私は置いて行かれちゃった気がしてっ…時間がっ周りからっ切り離されてしまった気がしてっ…だからっ」

「…詠美。」


苦し紛れに出てきた私の言葉は、とても酷いものだった。

本音なんて優しいものではないと、自分でも言い切れるような言葉だ。

ボタボタと顔を大粒の涙が滝のように流れて、リディエルさんのシャツを掴んだ私の手へとこぼれてゆく。


本当は昔のように気兼ねなく話をしたい。一昨日までの嫌な事を忘れて無かったようにして、幸せな空間だけに包まれていたい。

思い出してもいい事はお父さんとお母さんの事、学校の事、アルバイト先の事。自分に何度も言い聞かせてしまう。


でも、結局最初に思い浮かぶ情景は酷く暗い空間。

泣き叫んでも誰も助けはこない冷たい箱の中。



「…壽や母様が言っていたよ。身体の傷よりも心の傷はとても治りが遅いモノだと。ふとした時に思い出してまた繰り返し傷を負うと。」

「……。」

震える身体を押さえてくれているのだろうか。リディエルさんは私の背中を優しく抱き寄せ柔らかい声で言葉を紡いでくれる。

「きっと今の詠美は…深い深い傷を負っているんだね。」

「…ん…」

髪の中に細い指が絡まり、次第に私は落ち着きを取り戻してゆく。

つい先までぐちゃぐちゃになっていた頭は何も考えたく無くなって、髪を撫でるリディエルさんの指に心地よささえも抱いてしまう。

シャツ越しに聞こえる心臓の音が耳に流れてくると、とめどなく流れてきていた涙も止まっていた。

「…辛いことがあれば私に言って?悲しいことがあれば私にすがって?私は…それを望んでいるから。」

「…リディエルさん。」

「私は…君のフィアンセだ。…愛する人には笑顔でいてもらいたいよ。」

くすぐったいような息遣いで、リディエルさんは耳元で呟く。

まるで内緒話をしているかのように小さな声で、彼は私だけに聞こえる声で言葉を紡いだ。


「ありがとう…リディエルさん。」

色んな言葉が頭の中で浮かんだけれど、今一番伝えなくてはいけない言葉を私は選ぶ。

今の私に伝えることができる精一杯の言葉が感謝の言葉だけで、その中には本当に多くの意味合いが込められていた。

リディエルさんにその思いが全部伝わったのかはわからない。ただの感謝の言葉だけにしか聞こえないのかもしれない。

でも、それでもよかった。

再会してから私が話した言葉の殆どは、蛇口をひねって出てきた水のようで、止めようとすれば止められて、伝えたい意味も殆どないような事ばかりだと…自分では思っていたから。


やっと本当に私の中で伝えたかった事が言えたような気がする。

自己満足かもしれないけれど…それでもいいんだ。


「…どういたしまして。……私の愛しいフィアンセ。」

リディエルさんは相変わらずちょっとくすぐったいような言葉を私に返してくる。

先までただただ胸が高鳴るような感じがした彼の言葉は、暖かくてきっとこれが幸福なんだと思えてしまうような柔らかさを感じた。

「あの…もう少し…このまま…ぎゅってしてもらっていてもいい?」

「…え?」

恐らく耳を澄まさなければ聞こえない程の小さな声で、私はリディエルさんにお願いをする。

顏がだんだん熱くなってきて、でも離れたく無くて…

私はリディエルさんの背中に包帯の巻かれた腕をまわしてみる。

心なしか彼の鼓動が早くなったような気がした。

「いいとも。…詠美の気が済むまで…ずっと…」

リディエルさんの言葉に私は小さく頷く。

彼はふっと息を吐くと、両腕に力を加えてくる。

瞳を閉じるとリディエルさんの心音だけが聞こえ、他の情報が殆ど入ってこなくなった。

一定の速さを保って規則的に波打つ音は、とても心地よい音色だ。

「……愛しているよ。詠美…」

しばらく無言のうちに紡がれた彼の言葉に、私は自然とほほ笑んでいた。








-----------



カタカタと音を立ててポットが揺れ動いている。

テーブルの上には幾つものケーキが並び、美しい装飾の施された食器が揃えて置かれていた。

「なんだい?今夜はティーパーティでもするのかい?」

ティーポットに沸いたばかりの湯を注いでいるソレに向かって、後方から一人の女性が声をかける。

紫の長い髪を揺らし近づいてきた彼女に気が付いたソレは、額にある三つの目をぱちくりと瞬きさせると何度もうなずく。

「はいっ。ご主人様。こちらは詠美様の奪還パーティの会場をセッティングしているのです。」

「……奪還パーティってねぇ…」

団子のような真ん丸な身体を浮かせ器用に紅茶を淹れるソレに、彼女は苦笑いを浮かべるしかない。

「あのねぇ。ミメ。そういうパーティは本人が居る時にやるもんだよ。」

「おぉぉっ?」

二つのカップに紅茶を注ぎ終えたミメは、喉の奥から唸るような声をあげて目を見開く。

呆れたような表情で見つめる女性をじっと見返したミメは、しょげたようにテーブルの上に降りてきた。

「まぁ、淹れてしまった茶も用意した菓子も一応は頂くけれど、今度は気を付けるんだよ?だいたいね。…奪還パーティって名目も良くない。本開催までに改めて考えておくんだよ。いいね?」

「はいーっ!わたくし、全力で考えさせて頂きますっ!」

「そうしておくれ…。」

勢いよくテーブルから飛び立ったミメは、その身体とは裏腹にお盆に乗せられたティーセットをダイニングへと運んでゆく。

やれやれとため息をついた女性は、ミメの後ろをついて行き自分の席へと腰かけた。

「そういえば、ご主人様。ご挨拶がてらにエルディオ様の所に行かれなくてもよいのですか?」

テーブルに並べられた食器を掴み、ミメは彼女の皿にケーキなどを盛りつけてゆく。

自分の皿へと同じように盛り付けをしたミメは、ちょこんとテーブルの端に降り立った。

「そうだねぇ…。」

ミメの淹れた紅茶を一口飲んだ彼女は、大きなため息をすると腕を組む。

「エルの奴が詠美から話を聞いてから行きたい気もするけれど…まぁ、こちらから早々に参上して話を進めた方が良い…のかもしれないが。どちらがいいもんだか。」

「詠美様はご自分の周りで起きた事をお話するはずです。が、彼女を取り巻いていた状況については、ルヴィア様のお言葉が必要なのでは?」

「ふむ…」

大きな口を開いてケーキを一飲みしたミメは、何事も無かったように他の物も口へと運んでいった。

恐らくは、テーブルに並べられたほとんどの食材はミメの腹へと消えてゆくだろう。

そのくらい、ミメの食べるスピードは衰えない。

「…そうだねぇ。そうしようかねぇ。」

紫の髪をかき上げたルヴィアは、思い立ったように頷くとにんまりと赤い口をひしゃげて笑う。

「ミメの言う通りだね。その方が良いだろう…何より詠美があの根暗とどういう生活をしているか見てみたいもんだ。」

「根暗?」

「そうだよ。根暗の坊主が一人いるじゃないか。あの家には。」

空になった皿を器用に持ち上げたミメは、ルヴィアの言葉に反応しつつもキッチンへと食器を片付けてゆく。

見れば、テーブルの上にあった食材はほぼなくなっており、ルヴィアの皿の上に残ったほんのひと固まりのケーキ以外は、数えるほどに減っていた。

ミメはルヴィアのティーカップに紅茶を注ぎなおすと、元の場所にちょこんと降り立つ。

「リディエル様は根暗…なのでしょうか?わたくしにはクールで超絶美形な紳士的吸血鬼様に見えるのですが…」

「お前のその言い回しは盛りすぎだよ、ミメ。」

「おぉぉ?そうでございますかねぇ?」

声を上げて笑ったルヴィアは、ぎょろりと目を動かしたミメを見て心底おかしそうに肩を震わせている。

ミメは大きな口をへの字にひしゃげて、悩むような表情をしていた。

「あれはね、お前が思っている方向性とは真逆だよ。愛するフィアンセ以外に興味がなく、下手をしたら他者に敵意さえ抱いている父親譲りの堅物さ。それにねぇ…なんにも紳士じゃないよ。あの坊やは・・・。」

「と、言いますと?」

楽し気に笑みを浮かべていたルヴィアの表情が一変し、呆れたような表情を彼女は浮かべる。

あまりその表情の変化に関してミメは気にしていないのか、長い尻尾を左右に振ってはルヴィアの言葉を静かに待っていた。

「あいつは一歩間違えばバケモノになるよ。…昨晩のアレは本当にやばかったからね。……正直、手を出して止めた方が良いかと思ったほどさ。」

「昨晩の?詠美様をリディエル様がお助けした時のことでありますか?」

「あぁそうだよ。」

おもむろに指を鳴らしたルヴィアは、キッチンとは逆の方を見る。

すると、真新しい便箋とペンが宙を舞って彼女の目の前に降り立ってきた。

ミメはテーブルの上をちょこまかと歩き、残った食器を手に持つとキッチンへと運んでゆく。

流し台へと食器を置いたミメは、しっぽの先でシンクを叩いた。

ミメの合図をもって蛇口から水が流れ出し、脇に置かれたスポンジが誰もいないキッチンで食器を洗い出す。

「詠美様の傷をお癒しになるために、リディエル様は詠美様の出血している傷口を治療したのですよね?」

「あれを治療と言えるお前がうらやましいよ。…まぁ、いい。要略すればそういうことだ。…が、それに至るまでと実質的にはソレが危険だ。」

「むむむ?」

ルヴィアの言葉に理解ができないのか、ミメはぴんとしっぽを立てて訝し気な声を発する。

そんなミメを横目に、ルヴィアは一息入れるように茶を飲んだ。

彼女の目の前では、白い便箋の上を軽快にペンが動きまわり、何通かの手紙を書き綴っていた。

「あの坊やはね。詠美の血に酔っていたんだ。それも相当深くね。…傷を癒すためと本人も恐らく思っていただろう。だが実際は違うだろうさ。一口でも多く甘美なフィアンセの血を飲みたいと心の底では思ってしまっていたんだよ。」

「むむむ?ご、ご主人様は・・・ルヴィア様はリディエル様のお心を読んでいたのでありますかっ!」

「…阿呆。違うよ。」

「ふぇっ?」

ぴょんとテーブルの上で跳ねたミメをルヴィアは冷たい目で見つめる。

ミメは三つ目をぐるぐるとまわし、混乱したようにうなりだした。

「あの坊主から嫌でも感じ取れてしまったのさ。そういう感情をね。…嫌なもんだねぇ。長生きすると厄介な奴までわかるようになる。」

「おぉぅ。そういう事でありましたかぁ。」

書き終えた手紙を封筒へと入れながら、ルヴィアは深いため息をついて窓の外を見つめる。

中庭では鮮やかな薔薇の花が風に揺れ、向かい側の店舗にひかれたカーテンが微かに見えた。

「たぶん、メイリアかエルが釘をさすとは思うけれど、それでも困った事には変わりない話だ。本来であれば外国で過ごしている間に幾分かの血を飲んで耐性をつけるんだけどね。」

「リディエル様はおさぼりをしたのでしょうか?」

「さぁねぇ。あの頑固者の父親がいて、鍛錬を怠った…なんてしていたもんなら、ある意味拍手を送ってやりたいよ。」

「エルディオ様はお怖いですからねぇ。」

ルヴィアの書いた手紙を受け取り、ミメは一つ一つに封をしてゆく。

小さな手を器用に動かし、封筒に切手を張り付けたミメは、おつかいバッグ、と書かれた手提げの袋に手紙を入れた。

「明日の消印で出しておくれ。うちの両親と親しい親戚に当てた手紙だ。爺さんも婆さんも詠美の事を心配していたからね。早く教えてやりたい。」

「了解であります。速達で出して頂くよう郵便屋さんにはお伝えさせていただきます。」

「そうしてやってくれ。」

三つ目を細めてうなずいたミメに、ルヴィアは穏やかな表情で答える。

いつの間にかキッチンの方は静かになり、どうやら食器が荒い終わったようであった。

ミメは静かになったキッチンへと飛んでゆくと、洗い終えた食器を布巾で一枚ずつ丁寧に拭きながら棚へと片付け始める。

「……たまには墓参りにでも、一緒に行ってやろうかね。」

椅子から立ち上がったルヴィアは部屋の隅に置かれた飾り棚へと近づいてゆく。

幾つもの写真が棚の上には置かれており、今は亡き者達の姿が鮮やかに写っている。

「やっと二人に顔向けできるようになったよ。…長く待たせたね。」

幸せそうに微笑んでいる家族に向かって彼女はぽつりと呟いた。


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