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若旦那からの接待

 若旦那、星太夫は終始無言で、夏波は、ひたすら星太夫の後をついて行った。


 階段を昇った社長室には、もう一つ扉があって、事務所を通らずともフロアに出られるような造りになっている。


 扉を開けると、旧式のエレベーターが二機並んでいたが、それは使わず、物置なのか、従業員専用のような通路を抜けて、暖簾をくぐると、そこはもう、星流楼の中だった。


 広い廊下の先は吹き抜けになっていて、下にある玄関では、やってくる客を案内する者や、もてなす者達でごった返していた。


 そのような下階の喧騒を、上からわずかに見た後、先ほどの簡素な従業員専用とは違った、ガラス張りの来客用エレベーターに乗り込むと、一気に最上階まで上がっていった。


 エレベーターが止まると、人気は無く、静かな、室内にも関わらず、川が流れ、赤い太鼓橋を渡ると、重そうな扉があった。


 中は、スイートルームなのか、靴のままでも平気な洋風のリビングと、小上がりになっている方は和室になっていた。他にも扉がいくつかあるのは、バスルームか、もしかしたらベッドルームかもしれない。


 リビングには、既に二人分の食事が整えられていた。


 照明は暗く、広い窓からは、ゆかずち温泉の階段街の方と、遠くに夜景が見えた。


 ここが、三太郎の言う通り、異界なのだとしたら、あの明かりには誰が住んでいるのだろう。そんな事をぼんやり考えながら、夏波が窓の外を見ていると、ワゴンにのせられたいくつかの酒を手に、星太夫が言った。


「……お飲み物は」


「いいんですか? 私、こちらで働かせてもらう立場なんですよね」


「飲み物は?」


「あ……じゃあ、それ、お願いします」


 星太夫は、ワインクーラーの中のおそらくスパークリングワインの栓を抜こうとしていた。夏波は、せっかくなのでそのまま手に持たれているものを選んだ。後から請求されるかもしれないと思いながら、少しだけ自暴自棄気味になっていた夏波は、こんないい部屋に案内されて、しかもおもてなしをする方はすっかりその気であるのなら、じっくり堪能させてもらおうと思ったのだ。


 もしこれが、宮沢賢治の童話だったら、もてなしの後は食べられてしまうのかもしれないが、どこか自暴自棄になっていたのかもしれない。


 一瞬、夏波の帰省に合わせて好物を作ってくれているであろう母の事を思い出し、せめて連絡できないものかと、スマホを取り出してみたものの、やはり圏外。


 ……けれど、夏波は気がついた。スマホは、無線のアクセスポイントを検出している。


 通信手段は無くはなさそうだった。ただ、技術的な規格が夏波の持っている端末に対応しているかどうかまではわからないけれど。


 シャンパングラスに注がれたスパークリングワインが、グラスの中で細かな泡をのぼらせている。


 夏波は、星太夫にエスコートされるままに着席した。


 予想に反して、スマートに誘導された事に、夏波は驚いていた。


 三太郎の影に隠れるようにしていた星太夫は、言葉も少なく、仮面で顔の半分を隠し、見えている部分も前髪で目を覆っていて、没交渉なところは、客商売には向かないのではないかと思っていた。


 けれど、今、言葉は少ないけれど、星太夫の振る舞いや給仕はよどみがなく、所作が美しいのがわかった。


 夏波は、星太夫の所作に目を奪われていた。


「ん!」


「へ?」


 向いに座った星太夫が、さあ、どうぞ、とでも言いたいように、「ん」とだけ言ったのかと、驚きつつ、グラスをささげ持ってから、一口飲んで見る。


 夏波は、あまり酒が強い方ではないけれど、すっきりした口当たりと、爽やかな飲み口は、微炭酸なせいもあって、するりと喉を通って行った。


「美味しい」


 思わず夏波が口にすると、星太夫もうれしそうに目を細めた。


「えーっと、いただきます」


 そう言って、夏波が、いつものくせで手を合わせると、一瞬、星太夫が微笑んだ。


 それは、女であればどきりとせずにはいられないような涼やかな笑みだった。


 所作の美しさ、爽やかなほほ笑みだけ見ていれば、確かに彼は『若旦那』に違いないのに、どうしてこんなに言葉が少ないのだろうと、夏波は不思議に感じていた。


 並べられた料理は、目にも美しいものだった。


 どことなく、和食かと思いきや、盛り付けの美しさはフランス料理のようにも見える。


 夏波は、あまり高級な料理には縁が無いが、テレビや雑誌、フォローしている芸能人のインスタグラムに上げられた画像と伍するほど、インスタ映えしそうな料理の数々だった。


 もちろん、写真に撮ったりはしないけれど、美しく盛りつけられた料理の写真を撮りたくなる気持ちは、なんとなく理解できるような気がした。


 見た目は洋風なものの、カトラリーは箸なので、そのあたりは、気楽に食べられそうなところすらも演出なのだろうかと思えるほどに、それは見事なものだった。


 恐る恐る、先付けらしい皿に盛られた料理に箸をつけて、口にいれると、やさしい味がした。


 素朴な舌触りでありつつも、塩加減が絶妙というか、素材の味ぎりぎりのところで塩味がついている印象があった。


「……美味しい!」


 思わず大きな声を出してしまって、夏波が赤面すると、


「よかった」


 と、ほっとしたように星太夫が小さな声でつぶやいた。


 なぜだろうか、夏波は、星太夫が喜んでくれてうれしい、とも思った。


 そして、こうも思っていた。


 星太夫の顔を、夏波はどこかで見たことがあるような気がする。


 と。


 けれど、今は目の前の料理に集中するべきだと思った為、記憶の中を探る事はやめて、全力で料理を味わう事に神経を集中した。


 異世界の料理ではあるけれど、素材や味わいは夏波の感覚と大きくかけ離れていないのは、何故なのだろう。客人に合わせて調整しているのか、それとも、料理の味については、隔たりが無いのか。


 美味しいものは、どの時間でも、どの世界でも共通しているのかと思うと、奇妙でもあり、うれしくもあった。

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