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ゆかずち温泉星流楼

 三太郎と星太夫の後について夏波がたどり着いたのは、立派な門構えのホテルだった。クラシックな看板には『紫暮総本家 星流楼』と刻印されている。


 二人は、来客用の正面玄関では無く、その横の通用口から、夏波を案内した。


 まず通されたのは、事務所のようなところで、机が並び、スタッフらしい男女が三人、着物に『星流楼』と文字の入った半纏を羽織っていた。


 比較的年嵩の女が一人と、若い男と若くない男が一人ずつ。


「三太郎さん、お帰りなさい」


 若い方の男がにこやかに出迎えて、見慣れない女を連れて来た事に、いささかも動じずに言った。


「あれ? 布団敷き、見つかったんですか?」


「いや、この子は違うよ、奥にいるから、何かあったら呼んでおくれ」


 三太郎はにこやかに答えて、星太夫と夏波を連れて、奥にある扉を開けた。そこは狭い階段になっていて、すぐ上に昇れるようになっていた。


 夏波は、何となくその場にいた三人に会釈をすると、三人は、いかにも旅館のスタッフらしく笑顔で会釈を帰してくれた。


 狭く、薄暗い階段を星太夫の後について昇っていくと、社長室のような部屋に出た。


 入ってすぐの場所に、応接セットのようなソファとテーブルが並び、さらにその奥にはいかにもといった社長席然とした机がでんと置いてある。


 すすめられるまま、夏波がソファに腰を下ろすと、その向いに星太夫が座った。三太郎は壁にかけられた電話機に、お茶を三人分、と、注文をしている。


 その電話は、二つ並んだ呼び鈴が目、おそらくはマイクなのだろうと思われる集音器が口に似たユーモラスなもので、古い映画などで見た覚えのあるようなしろものだった。


「あの……ユキヒトっていうのは……」


 電話を終えて、三太郎が座るのを待ってから夏波が切り出した。


「あー、その前に、夏波さん、あなた、ここにはどうやってたどり着きました?」


 三太郎は、夏波の問には答えず、質問を返した。その事に、夏波は少々鼻白みながら、まずは質問に答える事にした。


「トンネルを、くぐったんです、古い、石造りのトンネルを。……でも、トンネルをくぐった後、背後を見ても、トンネルが無かったんです」


 夏波の言い分は、まったく理屈が通らないのだが、三太郎はなるほど、と、即座に理解した。


 半仮面の星太夫の方は、居心地悪そうに浅くソファにかけて、くつろいだ様子を見せない。


 夏波は、少し奇妙だと思っていた。


 三太郎の言い分が正しければ、若旦那は星太夫のはずだ。けれど、この宿へ来てから、この部屋へ来るわずかな間でも、三太郎がイニシアチブをとり、星太夫は言われるままになっているようにしか見えない。


 先ほどいた三人は、宿のスタッフなのだろうが、若旦那に対しては挨拶ひとつ述べない。


 夏波は、なんだか星太夫が気になってしまい、じっと見つめてしまった。


 黒衣に仮面、さらに挙動不審な星太夫は、夏波とコミニケーションをとる気持ちがまるでなさそうだ。


 けれど、その場から動きはしない。それこそ、若旦那という立場にいるのなら、後は三太郎に任せて立ち去ったっていいだろうに。


 一瞬、仮面の視線と夏波の視線が合ったような気がした。けれど、顔の半分は仮面におおわれ、もう片方の目には前髪がかかり、星太夫の視線がどこを向いているのかはわからない。


 けれど、なんとなく目があったような気がして、夏波が笑顔を作ると、星太夫はおもむろに顔をそむけたので、目が合ったのはどうも間違いないようだった。


 無言で視線を交わし合う夏波と星太夫の間に割って入るように、三太郎が夏波の前にぐいっと顔を突き出すと、驚いて夏波と星太夫は揃って腰を引いた。


「若旦那、このお嬢さんが気になるんですか?」


 そんな風に言う三太郎の物言いは、主に対してというよりも、目下の者に言うかのような態度が透けて見えて、夏波はあまりよい気持ちがしなかった。


「あの、話を! 続けてくれませんか」


 結果的に、夏波の言葉は、星太夫に助け船を出すような形になっていた。三太郎は、そんな様子もおもしろくなさそうにため息をつき、ふんぞり返るようにして足を組み、こう言った。


「あなたは、迷い込んでしまったんですよ、この『ゆかずち温泉郷』へ」


 ここがゆかずち温泉である事は、夏波にもわかっている。けれど、三太郎の言う『ゆかずち温泉郷』は、夏波の知っている『ゆかずち温泉』とは違うように思えて、夏波は答えた。


「……ゆかずち温泉なら、私も知っています、でも、『ここ』は、私の知っている『ゆかずち温泉』ではないんじゃないでしょうか」


 夏波が言うと、


「ご名答!」


 と、三太郎がおどけたように拍手をした。


「あなたは、頭は悪くないようだ」


 三太郎が、上から物を言うようなのは、もしかしたら誰に対してもそうなのかもしれない、と、夏波は思った。主に対しても、初対面の自分に対しても。


「何故、そう思ったんですか?」


 三太郎は教師が生徒に質問するように尋ねる。

 この態度が、鼻につくのだと夏波は思ったが、それは言葉にはしなかった。


「違和感、が、まず一つ、見覚えのある景色だし、雰囲気や場所なんかはすごく似ていますが、ディテールが異なります、……第一、路面電車は無かったはずですから」


 他にも違和感はたくさんあったが、一番大きく異なる部分を夏波は口にした。


「どこなんですか、『ここ』は」


「ゆかずち温泉郷ですよ」


 夏波の問いかけに対して、からかうように三太郎が言うので、さすがに夏波も不快感をあらわにした。


「そうですね……何と言ったらいいのかなあ……」


 三太郎は、夏波が浮かべた不快感は無理からぬものだと思ったのか、特にそれについては気にとめない様子で、説明の為の言葉を探している様子だった。

 そこに、悪意のようなものは無く、夏波は、三太郎は、単に少し無神経なところがあるだけで、それほど『悪い』人では無いかもしれない、と、思った。


「境目」


 終始無言だった星太夫が始めて口を開いた。

 その声は、夏波が想像しているよりずっと低く、ずっと聴いていたくなるようなよい声だった。


「さかいめ……って?」


 夏波が聞き返すと、星太夫は沈黙してしまった。


「そうだねえ、誤解を恐れずに言うなら、ここは、あの世とこの世の境目、って事になるのかなあ」


 少し困った様子で三太郎が言うと、


「え……つまり、私、死んじゃった……って、事?」


 恐ろしいほどの早さで夏波が思った事を口にすると、


「ああ、やっぱり、そう考えちゃうよねえ、ちょっと違うんだよなあ、今のあなたは、別に精神体では無いし、僕らも、幽霊とかでは無いんだよ、ただまあ、……幽霊っぽいモノもいるにはいるというか……」


「つまり、そういう色々なものが混ざっているから、境目、って事?」


「そうだね、それくらいの曖昧さでとりあえずはかまわない、何しろ、君はユキヒトだから」


「そう、そのユキヒトって言うのは何?」


「たまに波長が合うというか、迷い込んでしまう人がいるんだよね、ここは『行かずの地』境目でもあるけど、ここから動けずに留まるモノ達の場所、ただ、誰もが留まるわけじゃない、ただ通りすぎるだけのモノがいて、それがユキヒト。時折迷い込んで、去って行くモノってこと」


 三太郎の口ぶりで、『戻れる』事がわかったのか、夏波は少しだけほっとしていた。偶々迷い込んだ場所、ならば元いた場所へ『帰る』事もできるという事か。そう思ったらやっと安心できたのか、力が抜けたように夏波は体をソファに預けた。


 どうやって、とか、何故、とか、疑問がよぎらない事も無いが、それを知ったところで、夏波のなけなしの好奇心が満たされるだけなのだ。ならば早々に『帰る』算段をとるのが得策だろう。


「ああ、でも、ちょっと、手続きがいるんだよね、帰るには」


 そう言いながら、三太郎はにこにこと夏波を見た。

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