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ユキヒト

 運賃を表示するものも特に無く、夏波は列の最後について、車掌に運賃を聞いてから支払うつもりで財布の準備をしていた。


 見ると、皆が皆、貨幣ではなく紙幣を出しており、なおかつ釣り銭を渡している様子が無い。


 これは、千円を覚悟しなくてはなるまい、と、夏波は、財布の中から野口英世の描かれた紙幣を出して、準備をした。


 念の為、後ろに待つ人が居ない事を確認して、夏波は車掌に尋ねた。


「すみません、おいくらですか」


「百円になります」


 夏波は、そこで少し奇妙だな、と、思いつつ、千円札を財布にしまい、中から百円硬貨を取り出して、渡した。


 車掌は、百円硬貨を受け取りながら、めずらしそうな顔をして夏波に言った。


「おや、あんた、ユキヒトかい」


「ユキヒト?」


 聞き慣れない言葉に、夏波が聞き返すと、


「電車に乗り込むのはめずらしいな、さて、どうしたもんか」


 と、夏波の問いかけに答えようとせず、少し困った様子で、先ほど降りたばかりの客に向かって叫んでいた。


「おーい、星流楼さん、このお嬢さん、ユキヒトらしい、口留番所まで送ってやってくれんか、今年の正名主はおたくだろう」


 車掌に呼び止められて、男二人連れが振り向くと、一人、白いシャツの方がにこやかに、片方の半仮面の男は、顔は見えないけれど、緩慢な動きで、仕方なくといった足取りで、車掌の方まで戻ってきた。


「車掌さん、うちの若旦那、まだ跡目を継いで日が浅いもんで、今年の正名主は、ひとつ飛ばしの雪輝荘さんなんだよ」


 白いシャツの方は、自分たちの役目で無いことを言外に主張するかのようにこう言った。


 けれど、車掌の方も、面倒事は避けたいのか、間髪入れずにこう言った。


「とは言っても、ユキヒトの管理は『大屋』の仕事だろう、番所まで連れて行ってやるくらいは、してもらえんかね、こっちは、時間通り、定刻運転が御役目のゆかずち軌道線なんでね」


 白いシャツの方も、これ以上は言っても無駄だとあきらめたのか、仕方ないという様子で夏波の方を見た。


「おや、これは、途中から乗ってきたお嬢さん、そうか、少しかわった様子の方だと思ったら……」


 夏波に笑顔を向けた後、半仮面の男が、白シャツの男へ耳打ちした。白シャツの方も、それに答えるように、半仮面の男の耳元で何か囁いている。


 小さな声で、内容はよく聞こえなかったものの、最後の方、『若旦那』という言葉が、かすかに聞こえた。


 半仮面の男は、顔を上げて夏波の方をまじまじと見たが、すぐに顔をそむけ、白いシャツの男にごにょごにょと何か言った。


「おや! めずらしい!」


 唐突に白いシャツの男が声をあげたので、夏波は少し驚いてしまったが、白いシャツの男が、詫びるようにして言った。


「いやいや、突然大声をあげてすみません、わかりました、じゃあお嬢さん、こちらへ」


 白いシャツの男は、まるでダンスのお相手を、とでも言うように、うやうやしく夏波の手をとった。


「よし、じゃあ、頼んだよ、ああ、お嬢さん、この百円硬貨はいただいておくから」


 そう言って、車掌は、停留所に待っていた、折り返しの乗客をさばくためか、そそくさと行ってしまった。


 夏波は、今、自分の身に何が起きているのか全くわからないが、ともかく、この男二人連れがしかるべき場所へ案内してくれるものだと決めて、後についていく事にした。


 先ほどの車掌の話からすると、どうも口留番所というところへ連れて行かれるものと夏波は思い、『番所』という言葉から連想される『交番』というイメージに、まるで罪を犯してしょっぴかれるような不安にかられていた。


「番所より先に、うちへ寄ってもらいましょうか、若旦那、……と、その前に」


 停留所には、小ぶりな建物があり、中には、待合用の為の椅子が並んでいる。待っていたであろう乗客は、既に到着した車両の方へ行ってしまい、待合には誰もいなかった。


 そこで、白いシャツの男と、半仮面の男が自己紹介をした。

 正しくは、半仮面の男は口を聞かず、白シャツの男がうやうやしく頭を下げた。


「私、ゆかずち温泉星流楼の手代、三太郎と申します、こちらは、私の主、星流楼当代の星太夫、どうぞおみしりおきを」


 驚いた事に、先ほど代替わりしたばかりだという若旦那が、目の前にいる半仮面の男だった。およそ、旅館の若旦那とは思いがたい風貌、かつ、無愛想を通り越した没交渉ぶりに、夏波は少しばかりたじろいだ。


「主は、少しばかり人見知りで引きこもりなのです」


 にこやかに、しかし、よく考えると主に対しては見も蓋のないような事を、三太郎は言った。


「いえ……、あの……、あ、私は、夏波と言います、よろしくお願いします」


 目の前の二人が、フルネームを言わなかった為か、夏波も苗字は名乗らず、下の名前だけを名乗った。


「ほう……『かなみ』様、ですか、……して、どのような字を書かれるのですかな?」


 一瞬、三太郎の目が抜け目なく光ったような気がしたが、夏波は特別不審には思わず、素直に聞かれたまま答えた。


「季節の『夏』に、海の波の『波』と書きます」


「ほう……『夏』の名をお持ちですか、それは……僥倖ですねえ、若旦那」


 三太郎が意味ありげに星太夫の腕を掴むと、星太夫は半仮面の顔をあげて、じっと夏波の顔を見た。


「……どうか、しましたか?」


 あまりにもじっと見られたので、夏波は不思議そうに尋ねたが、星太夫が言葉を返す事は無く、替りに三太郎が、


「夏波様がお美しいので、若旦那は見とれていらっしゃるんですよ」


 などと軽口をたたいた。


 夏波は『美しい』と言われてわずかに気をよくしたものの、二人の態度にどことなく不審な気配も感じ、あまり気を許すべきではないなと警戒を強めた。


 停留所から、三人連れ立って歩き始めると、明るかった外が、じわりと暮色に染まり始めているのがわかった。


 夏で、日が長いものと油断してたが、思いがけず時間が経過したようだ、と、思いながら、温泉街の方へ向かって歩き出すと、見慣れたはずの階段の両脇にはぼんやりと灯りがともり、どこか猥雑な様子に変わっていく。


 ゆかずち温泉のメインストリートは階段街になっていて、階段を登り切った最奥にある、ゆかずち神社の参道でもある。


 その両脇には土産物屋や旅館が立ち並び、街灯も並んでいたはずなのが、街灯の灯りはどこかぼんやりとしていて、陰影が淡い。


 ソーラーパネル内蔵の街灯に切り替えたのは、夏波が中学になった頃だったろうか。明るいねえ、明るいねえと、弟妹と競い合うようにして階段を駆け上って行った記憶と、あまりにもそぐわない光景がそこにはあった。


 ネオンサインどころか、ライトを内蔵した看板も無い。


 まるで、生まれていない頃の、セピア色の写真のような、彩度の低い、そのくせやけに全体的に赤みがかかった光景は、夏波の記憶の中のゆかずち温泉とあまりにも異なっている。


「……どうされましたか?」


 少し先を歩く三太郎が、振り返って夏波を見る。

 赤い光で縁取られた白と黒の一対は、禍々しいような美貌で、一瞬、夏波は目を奪われた。


「いえ、なんか、随分と様子が変わってしまったな、と、思って」


 夏波は、未だに、ゆかずち温泉郷が、自分が帰省しない間にリニューアルを重ねて、街の景観ごと変わったと信じたいと思っていた。


 けれど、決定的な違和感も感じていた。


 ここは、私の知っている『ゆかずち温泉』とは違う。


 では、ここはどこなのだろう。


 ……と。

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