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路面電車の行く先は

 背後や前方から来るであろう車両に配慮しながら、夏波はとりあえず停車場らしいところまで歩いてみる事にした。


 温泉街の路面電車というと、四国松山、道後温泉の路面電車を、夏波は思い出していた。青春18切符でローカル線を乗り継いで、友人達とわいわい言いながら旅した事が、今更ながらに思い出される。


 けれど、あの居心地のよい場所に、戻る事はもうできない。


 仲間内でくっついたり離れたりするのはやめよう、と、最初に言い出したのは誰だっただろうか。思えば、あの言葉に従うべきだったんだ。夏波は思った。


 仲のいい、友人同士でいればよかったんだ。と。


 いたずらに距離を縮めるから、痛い目を見たのだ。


 忘れようと思って、気分を変えようと思って、夏の間帰省する事を選んだのに、やっぱり不意に思い出してしまうな、そんな事を考えているうちに、少し広い場所へ出た。


 一段高くなっているのは、停留所かもしれない。見ると、『四本松』と書かれた木製の掲示板がある。


 四本松という名前は聞き覚えがあった。たしかそれは、ゆかずち温泉へ行くバスの停留所にあった名前だ。


 そう思って、もう一度路面電車の線路の方を見ると、新緑に囲まれた道には見覚えがあった。

 けれど、記憶の中のその場所は、国道で、線路では無かったはずだった。


 それに、おかしい、もしかりに、路面電車を走らせるのならば、どこを出発しているんだろう。駅前にあった送迎用のマイクロバス。こんな風光明媚な場所を走る路面電車があるならば、自分ならそっちに乗りたいと思う。


 一瞬、突風のような強い風に、夏波が目を閉じると、先ほどからそれほど時間は経過していないはずなのに、路面電車が一両、夏波のいる停車場目かげてやってくるのが見えた。


 ともあれ、こんな山の中では何もできない、と、夏波は停車した路面電車に乗り込んだ。


 当然ながら、非接触式交通カードには対応していないようで、整理券を吐き出す機械のようなものも見当たらない。きょろきょろしている夏波に、乗り合わせた乗客が注目した。


 そして、夏波の方も驚いた。


 着物姿が数人。女性だけならともかく男性もいた。洋装もいるにはいるが、どことなくクラシカルな出で立ちだった。


 きょとんとしている夏波に、車掌が声をかけてきた。


「どちらまで?」


 車掌は、口ひげを蓄えて、白い、軍服のような制服を着ている。

 もちろん、夏波は軍服など見たことは無い。映画か何かで見かけた、海軍士官の格好に似ているな、と、思っただけだ。


「あ、ゆかずち温泉まで行きたいんですけど」


 夏波が言うと、手に持っていた機械をくるくると回し、『11』と、刻印した紙を渡してくれた。


 なるほど、これが整理券の変わりという事か。


 そう思って、趣のある紙に印字された整理券を大事そうに手に持ってみた。渡された紙には、あらかじめ地紋が刷られていて、紙の風合いと、スタンプの色味で、クラシカルなカードのようにも見えた。


 なかなか素敵なデザインで、夏波は、降りる時に言って、持って帰れないかと思った。


 乗り込んだ時こそ、奇異なものを見るような視線の集中を感じたものの、すぐに興味を失ったのか、乗客からの興味は薄れた。


 路面電車は緑のトンネルの中を、がたごとと進んでいく。時折、停車前にチンチン、と、澄んだ鐘の音がするのが、どこか趣があった。


 バスで昇るより、趣向が凝っていていいと思いながらも、車道はどこか別のところへ移ってしまったのか、そういえば、新しいバイパスができたとか、弟に聞いていただろうかと、夏波は考えながら、流れていく車窓の風景を見ていた。


 四つほど停留所を過ぎ、ゆかずち温泉の一つ手前、『見晴台下』で、五人降りると、車内に残っていたのは、夏波を含めて十人ほどになった。


 『見晴台下』で、緑のトンネルが一度切れ、眼下に山の稜線が見えるはず、と、窓から下の様子をみようとしたけれど、霧なのか靄なのか、白くて下がよく見えない。


 残念だな、と、一度視線を車内に移すと、ふと、男の二人連れのうちの片方と目が合った。


 正しくは、『目が合ったような気がした』何しろ、全身黒い羽織袴のその男は、顔左半分を仮面で隠していた。そして、もう片方の目を覆うほどに、前髪を長く垂らしている。後ろ髪は、一つにくくられているにもかかわらず、前髪は、目を隠すために、わざとそうしているように見えた。


 そんな風に、顔を隠している様子なわけだから、口元についても、動いたかな、というほどの変化であって、夏波の気のせいだったのかもしれない。


 対して、連れらしい、隣に座るもう一人の男は、ぱりっとした白いシャツに、サスペンダーなどしている。髪の色も、淡い茶色で、どこか日本人ばなれした風貌だ。色味からして対象的な二人連れは、夏波とは別の意味で目立つのだけれど、車内に残された者達は、特に気にとめていないような様子だった。


 夏波は、ふと、『見晴台下』の少し先にある、有名な温泉まんじゅう屋の事を思い出して、ちらりと見た。下車した何人かは、そのまま、まんじゅう屋に入っていくのが見えた。


 けれど、あの店の外観は、あんな風だったかな、もしかして、温泉街全体をクラシックにリニューアルしたんだろうか。と、思ってしまうほどに、記憶の中のまんじゅう屋の外観と違っている。


 看板を見ると、確かに知っているのと同じ屋号が書いてある。ただし、横書きの文字は、左からではなく、右から書かれていて、一瞬違う店かと見誤るほどだった。


 字面を見て、文字の並びが違うだけなのだと気づき、同じ店だというのがわかったくらいだ。


 向いのホテルも、日帰り入浴施設だった場所も、全般的に木造が多い。ホテルの方は石造りだけれど、あのホテル、あんなに階数が低かっただろうか。


 かと思えば、小さな祠などは、記憶の通りにあったりする。


 二年間でここまで変わるものだろうか、夏波が少し考え込んでいるうちに、路面電車は終点、『ゆかずち温泉』に停車した。

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