プロローグ
中川夏波の信条は『迷ったら前へ進む』だ。
進学に悩んだ時も、恋愛に悩んだ時も、立ち止まるな、前へ進めと自らを鼓舞した。
その結果、進んだ学部が新設で、実績が少なく、就職に苦労しているとか、恋人を問い詰めた結果、追い込み、友人と浮気をされて別れても、信条に基づく行動をとった事に後悔は無かった。
それは、結果にすぎないからだ。
結果的に、今持って就職に苦労はしているけれども、卒論が必修では無かった為、就職活動に専念できるし、進学した学校では友人にも恵まれて、楽しい学生生活を送る事もできた。その友人と、元友人だった恋人が浮気をした挙句、夏波と別れる事になっても、その後、友人が、実は妊娠しており、卒業と同時に結婚を余儀なくされていたとしても。
つまらない相手と縁が続かず、労せずして縁が切れたと思えば、最終的な結果は夏波にとって悪い事では無いと。思うことにした。友人は何もその二人だけでは無いのだから。
だから、今、背後に濃霧が立ち込め、目の前のトンネルをくぐる他無い今も、蛇行し、曲がりくねった崖沿いの道を戻るよりも、トンネルを抜けた先に多分あるはずの温泉街にたどり着けばそれで良し、と、割りきって、車を進める事に決めた。
そのトンネルは、ナビには表示されていなかった。
トンネル、と言うよりも、隧道、とでも言ったほうが似つかわしいほどの古さだった。
けれど、『ここ』が多分新設されたバイパスに通じる近道なのだと信じる事にした。
新道のはずが、伊豆半島で見た、某心霊スポットのトンネルの外観にとても似ているような気がする、と、思うのも、心の不安が見せる幻に違いない、きっとそうだ。と、夏波は不吉な想像を払拭するように首を振った。
だって、トンネルの先は明るい。霧の立ち込めたこちら側とは違い、晴天晴れ渡っているに違いない。
温泉地に着いたら、どこか安い宿を見つけて一泊して、ゆっくり温泉に浸かればいい。
一晩眠って、翌日の昼にでもなれば、さすがにこの濃霧もおさまっているだろう。
夏波は、後続の車が居ない事を幸いと、超低速で車を進めた。
トンネルの中は、ナトリウムランプのオレンジ色で照らされている。
山中で電波状態が悪いのか、ラジオは電波をひろわず、かわりに、内蔵ハードディスクに入れてある音楽を再生し、景気付けに歌う事にした。
一旦停止し、既に用を成していないナビからメディアコントロール用の画面に切り替えて、データソースを選択すると、甲高いアニメ声の歌が再生された。
夏波は、一瞬、自分の選択を間違えたか、と、思ったが、よく考えれば今夏波が運転している10年モノの古いヴィッツは弟の車なのだ。当然、音楽再生させれば、弟が聞いていた曲が再生されるのは自明な事だった。
内蔵の曲をいちいちチェックするのもわずらわしく、この際音が出ていれば何でもいいか、と、やたらと明るいアニメソングのような曲をBGMに、夏波は再びアクセルを踏み込んだ。
『ここから先は、見知らぬ異世界♪ 転生転生レッツゴー♪』
古ぼけたトンネルに、むやみに明るい、機械的な声が響き、青い小型車は一点透視の消失点目指して、消えるように進んでいった。