35
シャーリンはあの時見たことは一生忘れないだろう。
――忘れたくない。
初めて見た本物の魔道車。
見知らぬ男たち。
何をされるかわからない恐怖。
殺されると知って壊れていく兄。
爆音と爆風。消えた天井。
そして。
壊れた兄を抱き上げる長身の男の人の背中。
――兄はあの男の人をセトと言った。
違う。セトは人形のはずだ。
十歳のシャーリンより小さい、狼の獣人型の。
決してアルカより大きい男の人ではなかった。
――ならばあの男の人は誰なのだろう。
初夏なはずなのに白いブーツに白いコート。
そしてマントのように広がるとても長い髪。
――ああ、あの髪はとても綺麗だった。
艶やかで、ストレートで、漆黒なのに光の加減で怪しく煌く髪。
――顔も見てみたかったな。
残念なのはその直後、長髪の男とは違う誰かに抱きかかえられあの現場から病院に運ばれたこと。
あれ以降、アルカを抱きしめたあの男の人には出会えていない。
誘拐した犯人は逮捕された。もう二度と顔を合わせることもないだろう。
アルカとシャーリンはその後、現場近くの病院で応急処置が行われた。そのまま入院するかと思いきや、シャーリンが入院予定だった帝都大付属病院へとなぜか二人とも運ばれた。
シャーリンの方は幸い怪我も擦り傷程度でたいしたことなく自力で歩行も可能だったため、数日後にはハイアルドの下で魔素中毒の治療が始められた。
問題はアルカの方で。
最初に蹴られた腹は肋骨が二本折れていた。頭も殴られたり蹴られたりしたためか脳震盪を起こしており、意識が戻るまで数日かかった。目が覚めても吐き気や眩暈、頭痛が残ってしまい、完治するまで入院することになった。
そして誘拐され、頭を蹴られた後の記憶は残っていなかった。
「激しい眩暈と吐き気がしたことまではなんとなく覚えてるんだがな」
お見舞いの許可が下りて遠い孤児院からはるばるやってきたカインとナッシュに、アルカは軽い口調でそう言った。
個室の部屋でアルカはベッドの住民だった。怪我をしていたのか、頭や体に包帯が巻かれている。折れた肋骨は包帯を巻くような箇所ではないらしくそのままだが、動かすどころか呼吸をするにも痛みが走るので顔しか動かせられない。
シャーリンのお見舞いにいくどころか、シャーリンの方がお見舞いに来る始末だった。ただ同じ病院内のため毎日顔合わせできることもあって、シャーリンは少し嬉しそうだった。
「ま、命あって生還できてなによりだ」
どう見ても軽症とはいえないアルカに、カインはそう返事するので精一杯だった。ナッシュは挨拶も早々にシャーリンの方にお見舞いに行っている。
「ところで孤児院の方はどうだ?」
「アルカたちが誘拐された直後は騒がしかったけど、無事見つかってからは落ち着いてきてる。……ただ気づいたら施設長が違う人に変わってたんだよな。なぜだか知らないけど」
アルカも初耳だ。
「施設長が? あの剥げたおっさんってオーナーだろ?」
「オーナーも新しい施設長に変わってた。だから前の施設長は完全にいなくなった形だな。行方も職員すらわからないらしい」
職員すら知らないとかそのようなことがあるのだろうか。
ふと、アルカの脳裏に何かが思い出しかけたが、とたんに軽い頭痛が起きたのでやめた。
「でも今度の施設長は渋くてかっこいいおじさんでよく孤児院の子たちと遊んだり、時間あればイベントを手伝ったり参加したりしてるから見た目も性格もいいってことで前の施設長より好評だな」
良い人だというのはカインの笑顔からなんとなく伝わってくる。期待でアルカの口元がつい緩む。
「へぇ、孤児院に戻ったらちゃんと挨拶しないとな」
「今度仕事の合間にお見舞いに行くって言ってたからそのうちここにも来ると思う」
ずいぶんとまめな施設長らしい。子供と遊ぶどころか行事すら参加しなかった前の人とは大違いだ。
「そういえばアルカ、お前よく個室なんてとれたよな」
キョロキョロと小さいながらも綺麗にされた空間を見て、カインが感想を漏らす。
アルカも不思議だった。
「確かになぁ。ベッドから動けないだけで感染症とかじゃないんだから別に個室にする必要はないと思うけど「そういう指示なので」って言われたんだよ」
「一体誰が指示したんだろ。孤児院にそんな金ないと思うけど」
二人そろって首を傾げるばかりだ。
でも個室はありがたかった。聞いた話だと四人部屋は夜中のいびきとか煩くて眠れない場合があるらしい。個室なら医者と看護師以外に見知らぬ人も入ってこないし緊張することもない。
カインは時計を見て、手荷物をまとめだした。
「じゃあ俺、もう帰るわ」
「え、もうか? まだ来てそんなに経ってないだろ?」
荷物を背負いながら、カインは苦笑いした。
「せっかく首都の中心地まで行くのだからって孤児院の奴らに土産頼まれててさ、職員から金貰ったからいいけど。あと観光もしたいし。早くいかないと孤児院の夕飯に間に合わないからな」
「あ、そうだな」
「本当は夕飯も外食にしたいけど交通費とお土産代くらいしか貰えなかったから」
お小遣いが厳格な孤児院では仕方ないことだ。
アルカは納得すると、出ていくカインに声をかける。
「新しい施設長と孤児院の皆によろしくな」
「ああ。思ったより元気だってこと伝えておくよ。じゃあな」
扉の向こうにカインが消える。誰もいなくなった個室で、アルカは胸が痛くないようゆっくりと息を吐いた。ちょっと会話するだけでも凄い疲れたらしい。
襲ってくる睡眠欲に抗わず、そっと瞼を閉じた。




