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暴力や嘔吐表現、うつのような展開など人によっては不愉快と思われる表現が何箇所かあります。閲覧にはご注意ください。
そういう表現が苦手な方はお手数ですがブラウザの画面検索(パソコンならCtrlとFキー同時押し)に「人形」を入力し検索してください。不愉快なシーンを飛び越えます。
誘拐犯たちと対面したアルカは、自分は負けじと相手を睨みつける。
「オレらをどうするつもりだ」
「…………」
男の一人は無言でアルカに近づく。、
ガッ!
「お兄ちゃん!?」
無抵抗のアルカの頭をボールのように蹴った。
アルカは衝撃とともに世界が回る感覚を味わう。
「が……げ、げぇっ……!」
強烈なめまいが治まらず、気持ち悪くなってその場で吐き出した。自分の吐瀉物が服に容赦なくかかる。
「お兄ちゃん!お兄ちゃんっ!」
「生意気なんだよクソガキ」
シャーリンの悲鳴と、アルカを蹴った男の吐き捨てるような怒鳴り声が部屋に響く。
「げぇっ……ぐ……」
まだ痛みとめまいがするが、吐き出したおかげかさきほどよりは幾分マシになった。あの酸っぱいような嫌な臭いが鼻腔を刺激する。
本気で蹴られていたら首の骨が折れていただろう。おそらくかなり手加減して蹴っただろうが頭を直接蹴られるのはさすがにこたえた。冷や汗がアルカの全身を襲う。
「お前らをどう扱おうが俺らの勝手だ。お前に説明する必要はねぇ」
「はーっ……はーっ……ぜーっ……」
深呼吸をして、少しでも殴られた痛みとめまいが治まるのを待つ。口に残る味と臭いがなんとも不愉快だ。
「下手に殴ると価値が下がるぜ」
もう一人の男が注意する。だが蹴った男は鼻で笑うだけだ。
「構うものか。言われていたのは女だけだ。この男はいなくても問題ねぇ」
「なら消すか?」
「どーすっかなぁ……」
そう呟くと、男はアルカの髪の毛をつかんで無理やり持ち上げた。髪の毛が強く引っ張られ、ぶちぶちっと何本か抜ける。
「いぎっ!?」
あまりの痛みに呻くと、男はニヤニヤ笑いながらあるものをアルカの頬にピタッと当てる。それは無機質で冷たくて……。
――な、ナイフ!?
「今バラせば楽だし、後でバラせば高く売れるし」
「ば、バラ……?」
男の口の端が上がる。嘔吐とは違う臭い息がアルカの鼻をつく。
「どっちがいい? それくらいは選ばせてやらねぇとな?」
「う……あ……」
――バラす……バラすとは。
アルカも漫画で見たことがある。人をバラすとはバラバラにすること。それはつまり。
――殺サレル……?
恐怖で固まったアルカに、アルカの頭をつかんだ犯人は笑ってつかんでいた手を振り払った。その反動でアルカは縛り付けられていた柱に強く背中、そして頭を打ち付けられる。
「ぐぁっ……」
「お兄ちゃん!?」
シャーリンの悲鳴が聞こえる。だが今のアルカにはシャーリンに注意を向けるほどの心の余裕はなかった。
胸が動くたびずきずき痛い。頭ぐらぐら気持ち悪い。叩かれた顔や背中からも痛みがガンガンやってくる。まともに考える余裕すら作れなくてアルカはすでに疲労困憊だった。
――最悪……だ。
こんな辛い状態を早く終わらせてくれと、帰りたいと強く願う。
だが手っ取り早く終わるのは。
――死。
全身から冷や汗が吹き出る。痛みや吐き気とは違うものが頭を過ぎる。
――俺は殺されるのか……?
朦朧とする頭で見れば犯人たちが何かを相談し合っている。大方アルカの処理方法だろうか。
――俺、死ぬのか……?
孤児院で女の子にナイフを向けられたときは何も恐怖など感じなかった。それよりも大切なものを壊した犯人ということに怒りで頭がいっぱいだった。周囲に施設の職員やカインたちがいるという安心感も大きかったかもしれない。
でも今は。
殴られ、蹴られ、縛り付けられ、誰も助けてくれる人がいない。相手は大人の男二人だ。しかも精神状態が不安定だった女の子と違って彼らは冷静だった。……いや、子供を誘拐し、あまつさえ殺そうとしている時点で異常か。
はっきりと突きつけられる自分の未来に、底なし沼に嵌ったかのような絶望がやってくる。
「……い、嫌だ……いやだ……イヤダ……」
――まだ死にたくない……しにたくない……シニタクナイッ!
痛くて、頭ぐらぐらして気持ち悪くて、臭くて、めまいが酷くて、怖くて、恐怖で目の前が真っ暗になった。
「いやだ……いやだよぅ……もういやだぁぁ……」
ボロボロ、ボロボロ。
ガタガタガタガタ。
「お、おい。なんかこのガキ様子が変じゃないか?」
「あ? 泣いて震えるなんて恐怖でイってるだけだろ?」
一人の男が問うが、アルカを蹴った男は平然としている。だが二人とも汚いと思ったのかアルカから距離をとった。
「……お、兄……ちゃん」
シャーリンは兄から目が離せなかった。
瞳はこぼれんばかりに大きく開き、涙をどんどん流して。
口も大きく開けて、よだれがどんどん口を伝って流れ落ちて。
体はシャーリンの目にも見えるくらいはっきりと震えている。
アルカが壊れていっているのはシャーリンにもわかった。いくら状況が絶望だからってこれは異常だ。
――頭を何度も打ったから……!?
だが同じく縛り付けられているシャーリンには近寄って慰めることすらできず、ただただ見ているだけしかできなかった。
――お兄ちゃん……!
――いたいよ……いたいよぅ……。
――ぐらぐら、ぐらぐらきもちわるい……!
アルカの焦点は定まっていなかった。
――こわいよ……たすけて、たすけてよぅ……。だれかぁ……!
アルカにはもう誘拐犯もシャーリンも見えていなかった。
見えているのはあの日のこと。
――おとうさん……おかあさん……。
家で、空腹で、心細くて、待って待って待ちくたびれて泣いていた日々のこと。
――はやくかえってきてよぉぉ……。おなかすいたよ……!
――まつのはいやだ……だれもこないのはもういやだ……!
――……大丈夫、すぐ帰ってくるわよ。
「……うそつき」
――かえってこないじゃないか。
ずっとずっと待っていたのに。
何日も、何年も待っているのに! いつまで待たせるんだ!
――まつのはつかれた。まつのはもういやだ。やくそくなんてくそくらえだ。
――私もお前たちと離れるのは寂しい。必ず戻ってくる。
ふと、アルカの脳裏に蘇るのは約束したあの日の屋上でのこと。
「……きっと」
あの人形も。
好きだと、待てと両親と同じことを言ったあの約束も。
いや約束なんて最初から全部。
――うそつき。
「せ、と……せと……せとぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!」
「ここにいるぞ、アルカ」
鼓膜が破れるかのような爆発音とともに、天井が吹き飛んだ。
「!!?」
爆音と爆風に一瞬意識がどこか遠くへ行きそうになった。
「すまぬ、加減を間違えた」
ひどい耳鳴りと同時にどこか暢気な、けれど聞き覚えがある声が届く。
意識が薄れたときに何かがぶつかったのか、全身がひどく痛い。だが目を開けて状況を確認できるほどアルカに余裕はなかった。
「せ……せと?」
「ああ、私だ」
いつの間にか手の拘束がとれ、誰かに体ごと持ち上げられ抱きかかえられる。
その手は大きくて、とても力強くてアルカは大きく息を吐いた。
「せと……せとぉ……」
「アルカ。もう大丈夫だ。アルカ……」
不安定な心を支えるものがほしくて。アルカはとにかく目の前のものに縋りついた。思いっきり抱きしめたら同じくらいの力で抱きしめられた。
頭も腹も全身も痛いけど。頭クラクラして口の中もいまだ気持ち悪いけれど。
それ以上に頭を撫でる手つきと耳に届く優しい声がとても気持ちいい。もっとほしくてセトの名前を呼ぶ。
「御方、少女の方も保護しました」
「ああ」
セトともう一人の声が聞こえる。
さきほどの誘拐犯とは違う若い声だ。
「誘拐犯はさきほどの衝撃で気絶した模様です。二名とも身柄を確保しました」
「死ねばいいものを」
「……御方」
若い男の声は咎める口調だった。
「……了解した。後の処理は任せる。――行け」
「ハッ」
――おわった……の、だろうか……?
「アルカ、もう泣かなくていい。犯人は捕まえた」
とても優しい声でそう言ってくれたから、アルカは緊張と恐怖で固まっていた体の力を少し抜いた。
「ほんとう? もうこわくないの?」
「ああ。怖がらせてすまなかった。もう大丈夫だ」
「もうまたなくていいの? かえってくるの?」
息を呑む音が聞こえた。
「アルカ、お前」
「おれ、いいこでまってたよ。しゃーりんのめんどうもちゃんとみたよ。おなかすいたよ。だからはやく、はやくかえろうよおとうさん……おかあさぁん……」
――あれ……でもいまおれをだっこしてるのは……だれ?
自分を抱きしめる相手の顔を見ようと顔を上げたその直後、アルカの意識は暗闇へと落ちていった。




