03
店員が起動ボタンを押してから何分経ったのか。人形を見守る三人の前で、人形の口が静かに開く。
「システム起動。スキャン実行中……異常ナシ」
「……――接続完了。D-38a……起動……」
人形からアルカが理解できない言葉が何度も聞こえて来てアルカは段々不安になってきた。
――本当にこんな人形、妹に預けて大丈夫か……?
てっきり起動というのは手足が動く、鳴き声がするくらいだと思っていた。実際そういうぬいぐるみならアルカもおもちゃ屋で見たことがある。
だが実際は予想とは大きく違うことが目の前で起きている。尚且つ、店員が「あいつ」と……人形をまるで生き物のように言ったのだ。
三人が見守る中、今まで閉じていた人形の瞳がゆっくりと開かれる。
「目覚めたか。気分はどうだ?」
そう言ったのは店員だった。人形に向かって。
そしてそれに返事するものがあった。
「……ああ、悪くない」
目の前の狼獣人型が。
目の前の人形が。
「で?私を買うという奇特な者は誰なのだ」
口を動かし、声を発した。
「…………」
どう見ても店員の声に意思を持って反応している。現に視線はアルカとシャーリンを交互に見ている。
「しゃ……しゃべった……?」
呆然とするアルカとシャーリンに店員はしてやったりと風に笑う。
「そうだ。あいつには意志がある」
「人形じゃ…ないの?」
「体はそうだ」
「体……?」
アルカの横から一歩前に出た人がいた。
緊張した面持ちのシャーリンだ。
「人形さん、人形さん」
呼ばれた狼獣人型人形の瞳がすっと細められる。
「なんだ、娘」
「はじめまして人形さん。私はシャーリン、あっちの兄はアルカと言います」
シャーリンが自分を、そして次にアルカの方を指し示すと、人形は二人を見比べて納得したように頷いた。
「ふむ、シャーリンとアルカだな」
「人形さん、人形さん」
「なんだシャーリン」
「だっこしてもいいですか?」
「抱っこ……」
考え込むように俯いた人形だったが、やがて顔を上げるとシャーリンに向けて両手を広げた。
「構わぬ」
肯定の返事にシャーリンの顔に笑顔が戻る。
「ありがとう」
シャーリンは人形の腋下に両手を伸ばそうとして、アルカに静止された。
「……お兄ちゃん?」
「よくわからないものにいきなり触るんじゃない。危険だ」
アルカの顔を見れば今までシャーリンが見たことがないくらい怖い顔をしていた。
伸ばした手を引っ込めた人形は、警戒するアルカに顔を向けた。
「危険……か」
咄嗟にアルカが睨む。
「人形はそうやって話したりしない」
「自力で話したり動いたりする人形が開発されていたとしたら? そこの男から説明はなかったか?」
人形が店員を振り返れば、店員は同意するように頷いた。
「さっきプロトタイプだって言ったろ? ……えーっと、アルカくん?」
「う……」
言葉に詰まったアルカはしかし、その場から離れようとはしない。
「だが俺はこの人形は鳴いたり手足を動かすだけのごく普通の人形とばかり――」
「普通……か」
アルカの反論に、人形が鼻を鳴らした。
「くだらん」
アルカの眉間に皺が入る。
「……なんだと?」
「お前の言う普通の基準は私にはわからぬが……人形を抱き上げたいという願いすら聞き届けない器量の狭い兄を持ったそこの娘が不憫でな」
「は?」
堅苦しい言い回しをされ、一瞬何を言っているか理解できなかった。
「……お前、もしかしてバカにした?」
「バカにするとは? 私はただ人形を抱かせてやればよいと言ったまでだ」
アルカの米神に血管が浮き出た。
「お前はどう見てもただの人形じゃないだろーが! 俺だって上から目線で嫌味を言わない人形なら遠慮なく抱き上げるわ!」
「ほう? ならば抱き上げてみよ。私は上から目線で嫌味を言う人形ではないのでな」
「お前それ本気か? 本気で言ってるのか? 自分がつい先ほどまで言ってた台詞忘れたのか!?」
「妹がやりたいことをやらせてもらえないのは可哀想と言ったが?」
「肝心なところ省き過ぎだろ! オレに嫌味言ってただろ!」
「嫌味ではない、指摘しただけだ」
「自覚がないのかよこの人形!」
「ウガーッ!」と野生の獣のように叫びながらアルカは頭を抱えて蹲った。その様子を人形は首をかしげて観察している。
「何を叫んで頭抱えているのだ。病気か?」
「言葉のキャッチボールが全然出来てないこの状況に頭抱えてるんだよ!」
「それは大変だな。相談に乗ってやる」
ふんぞり返る人形に、アルカは思わず掴みかかった。
「なんでキャッチボールできない相手に相談しなきゃいけないんだ!」
「私ならしっかり受け答えしてるではないか」
「俺の認識とお前の認識に多大なズレがあるみたいだけどな!」
アルカの突っ込みにも、人形はどこ吹く風だ。
そしてこれまた一人と一匹(?)の様子を見守る二人。
「フフッ……」
シャーリンはとても楽しそうに笑っている。店員は呆れ顔だ。
「すごく欲しいな。あの人形」
「嬢ちゃんの兄ちゃん、すげー嫌がってるぞ」
「お兄ちゃんのものじゃなくて私のものでしょう?」
少女の中ではもはや確定事項のようだった。
シャーリンはアルカからサッと人形を取り上げた。アルカが声にならない悲鳴をあげた。
「人形さん、人形さん」
「なんだ?」
少女は人形を抱え自分に向けた。
「私とお兄ちゃんの家族になってくれませんか?」
人形の瞳が大きく見開いた。
「家族……か」
「だめですか?」
人形が少女を見る。人形を真剣な眼差しでまっすぐ見つめている。
人形が少年を見る。高速で首を左右に振っている。
人形が店員を見る。一服した店員は顎をしゃくった。どうぞご自由にという意思表示だった。
人形は決心した。
「いいだろう。よろしく頼む」
少女は黄色い声を出して人形を抱きしめ、少年は絶望した顔で地面に蹲った。