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「では以上でシャーリンさんの病状と今後の治療方針になります。問題なければこことここにサインをお願いします」
「…………」
「あの、聞いてます?」
「……はっ! わ、わかりました」
応接間にてハルアイドは施設長に検診結果の報告と今後の治療方針を報告していた。ハイアルドに見惚れていた白髪混じりの頭皮がかなり後退している施設長は、慌てた様子で書類にサインをする。だがミミズがののくったような字に相当緊張しているようだ。
ハイアルドはその美貌に笑みを浮かべながらも、内心はさっさと帰りたい気持ちになっていた。
――人間というのは面倒だ。
誰もが自分を見るなり同じ反応をする。中には心臓発作や不整脈で倒れる人までいる。おかげで診察どころか会話すらままならない。これなら独特の美意識を持つ獣人や亜人、同属のほうがきちんとコミュニケーションとれるだけ全然マシである。だから訪問医なんて本来はやらなかったのに。
――でもま、可愛い弟子の頼みですから仕方ありませんね。
いまやよぼよぼのお爺さんだが、昔は人を助けるためならば自分の時間すら惜しまない真面目な好青年だったのだ。出合った状況が状況だったのか、ハイアルドの顔を見てもまったく動じなかった稀有な青年。顔は平凡な人間そのものだったが、その魂は美しかった。
その弟子からの「長年苦しむ少女のために師の知識が必要なのです!」という稀なお願いくらい、聞いてやってもいいかと思って来たのだが。
目の前でなんとか手を動かしてサインしている人間を見ているとだんだんイライラしてくる。
――このような人間が孤児院の施設長とは。
エルフには真実の目があるという。正確にいえば違うのだが、ある程度の人間の感情がそのものの色となって見えるのだ。たとえば興奮しているときは赤色、悲しいときは青色、恋愛感情があるときはピンク色……という風に。まだ理由はわかっていないが魔素が見えるエルフであり、感情の起伏によって魔素は見えやすいためそのような判別ができるのかもしれないとハイアルドは思っている。
だが目の前の施設長からは濃度の高い赤ピンク、そしてそれに隠れてはいるが、時折見える限りなく黒に近い紫……。
「か、書けました」
そういってサインを書いた書類を出してきた施設長は、脳裏に焼き付けようとしているのかハイアルドの顔をじっくりと舐るように眺めてくる。
ハイアルドは脳内で施設長の目を潰しながら、顔は病院の看護師たちによく言われる聖母の微笑みを作った。
「ありがとうございました。ではそろそろお暇しようと思います」
立ち上がろうとしたハイアルドに施設長は慌てて腰を浮かす。
「あ! いや、これから一緒にお食事はどうでしょう!? 私が贔屓にしている貴族御用達の高級料亭があるのですが」
儲けなんてほとんどないはずの孤児院を運営してるはずなのになぜそのような店を贔屓にできるんだといった突っ込みをしたらそれこそ帰れなくなりそうなので、ハイアルドはしっかりと首を左右に振った。
「申し訳ありません。これからすぐ帰らないと次の診察を待つ患者がいるので。あとシャーリンさんの入院の手続きをしないと」
「で、では次の休暇は……!」
「お答えできません」
きっぱりと断ると、ハイアルドは書類をまとめさっさと応接間を出ていった。一分一秒たりともこの男の前にいたくなかった。
場所は変わって、シャーリンが入院することで絶望している人物がここに一人。
「ええっ!? シャーリンちゃん入院しちゃうの?」
翌日、一緒に遊ぼうと部屋まで迎えにいったナッシュに待っていたのはシャーリンから告げられた残酷な言葉だった。気分は天から一気に深海まで落とされた。
「せっかく仲良くなれたばかりなのに……」
「ごめんねナッシュ」
すまなさそうに瞼を伏せるシャーリンに、ナッシュはショックで反応ができない。口から何かが抜けていくような気がする。
ナッシュと一緒に部屋を訪れたカインが、シャーリンの荷物をまとめていたアルカに声をかける。
「いつ入院なんだ?」
「病院の方で受け入れ準備が終わり次第。といってもさほど時間かからないだろうから早くて今日だろうけど」
いつ連絡来てもいいようにこうして荷物をまとめているのだ。
「い、いつ戻って来るの?」
「一年半は無理だって。長いとニ年」
「に、ニ年……」
パタリとナッシュ少年が倒れた。慌てるシャーリンに、兄二人は呆れた様子で眺めていた。
「まったく会えないわけじゃないのだぞナッシュ」
「ニ年……毎日顔合わせできない期間がニ年……」
カインの言葉にも、ナッシュは陸に上げられた魚のごとく口をパクパクさせたまま反応しない。
「だめだ、壊れているな」
機能不全に陥った弟はほっといて、カインはアルカに手伝っているセトに声をかけた。
「セトは一ヶ月か」
「セトを引き取った店に持ち込めばいいらしい。すでに連絡はいってるから荷物が出来上がり次第預けに行く」
連絡はハイアルドがやってくれた。あの店は営業日、営業時間が不定期なので連絡が取り辛かった。
「メンテナンスから戻ってきたらそのままシャーリンに渡すからセトも当分こっちには戻ってこれないな」
「そうか」
カインが手を伸ばしたのでセトは素直に抱っこされた。セトの毛並みを撫でるとふわふわの感触が手の表面をくすぐる。
「セトには助けてもらってばかりだった。向こうでも元気で」
カインはどこか寂しそうだった。
人形に元気もなにもないが、セトは何も言わず頷く。
「ああ、カインとナッシュもな。シャーリンのお見舞いに来てくれれば会えるだろう」
カインは頷いた。
「ナッシュが使い物にならなくなるからな」
すでになってるのでは? という突っ込みは誰もしなかった。




