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アルカを襲ったリティだったが、その後ぱったりと孤児院で見なくなった。
職員はまるでリティがいなかったかのように振舞ったが、あの現場を見た児童の一部はよほど衝撃だったらしい。突如泣き叫んだり夜中のおもらしが頻発したりなど情緒不安定となり、精神科に通っている児童もいるようだ。
襲われた当人であるアルカはシャーリンが元気になったからか、それとも持ち前の精神力のせいか、特にトラウマになることもなく日々を生活している。
「お前の場合単純バカな可能性が高いけどな」
「カイン、いくらなんでもそれはちょっと言い過ぎじゃね?」
またあの事件の後から変わったのは何も周囲だけではない。
「おはよう、シャーリンちゃん!」
「おはよう、ナッシュくん」
廊下でナッシュが挨拶すると、シャーリンも笑顔を見せながら挨拶を返す。
「ねぇシャーリンちゃん、今日は何するの?」
「今日は図書館で本を借りに行くの」
「じゃあボクも一緒に行っていい? 返したい本があるんだ」
「いいよ」
カインの弟ナッシュとアルカの妹シャーリンが仲良くしている姿を見かけるようになったのだ。前までの他人扱いとは違うシャーリンの対応にナッシュは日々有頂天だ。
そんな和気藹々とした二人を物陰から見つめる二人の兄。
「…………」
「アルカ、視線だけで俺の弟を殺さないでくれよ。あと物陰からストーカーはやめろ」
そして変わったのはシャーリンだけではない。
「ただいまセト」
「おかえりアルカ」
学校から帰ってきたアルカが荷物を置いてセトに両手を広げると、セトは尻尾を振りながらその腕の中へと収まった。アルカはそばに置いていたブラシを持ち上げると、セトの背中の毛並みを優しくブラッシングする。気持ち良いのかセトがうっとりと目を細めた。
――もはや獣人というより完全に犬なんだよな。
二足歩行ではなく四足歩行だったらペットショップにいても違和感ないだろうなとアルカは思う。
あの日以来アルカも、そしてセトもお互いのことを理解し合おうと積極的に触れ合い、言葉を交わすようになった。セトに関してはあまり動かなかった尻尾までよく動くようになったので、今どんな感情しているのか少しわかるようになった。
アルカにブラッシングして貰いながらセトは尋ねる。
「今日は何かあったか?」
「学校では体育と国語と数学と――あ、そういえば国語のエマリー先生、結婚するとかで近々退職するって」
「寿退社か、めでたいことだ」
素直ではないセトの考えていることを少しでも理解しようと、アルカはどんな些細なことでもセトと会話するようになった。
「エマリー先生はボンキュボンの大人な女性だったから結構ショック受けてる男子や先生が多かったなぁ」
「妖艶な美女か。魔女のようだな」
「魔女かー、そうかもしれない」
適当に相槌を打っていると、セトが起き上がってこちらを向いた。
「お前は魔女に魅了されなかったのか?」
「オレ?」
アルカはしばし考えてから、首を振った。
「……確かに美人だとは思うけど女性の先生が結婚や妊娠でいなくなるのはときどきあるから別になんとも思わなかったな。それに」
「それに?」
「エマリー先生って常に厚化粧で香水の匂いがやばかった」
痛烈な香りの強さを思い出してげんなりしているとセトが小さく吹きだす。
「いくら美人でもあれは無理だわ。近寄れない」
「そうか、無理か」
「うん。あの先生に付き合えた旦那さんを尊敬するよ、マジで」
アルカも綺麗な女性は好きだ。だから気合いれて厚化粧になってしまうのは仕方ないのかもしれない。だがあの先生はなんであんなに香りが強いものが好きなのか。嗅覚がおかしくならないのか。担任のサラ先生は薄化粧で柔軟剤の匂いしかしないのに。
それを言うとセトが口の端を上げた。
「お前もまだまだお子様ということだな」
「なんだよそれ」
アルカが眉間に皺を寄せると「そうやって簡単な挑発にも引っかかるところがだ」とセトが言う。
なんだかバカにされた気がしてアルカが押し黙ると、ブラッシングが終わったとみなしたのかセトはするりとアルカの膝から飛び降りた。
「そういえばシャーリンとナッシュが部屋に来たときにお前の机の上に紙を置いていったぞ」
「ちょっと待てなんで二人でこの部屋に来てんだ図書室だけじゃないのか……ってなんだこれ?」
セトにいわれたとおり自分の机の上に紙が一枚置いてあったのでサッと目を通す。どうやら連絡内容が書かれた紙のようだ。
「あ、定期検診か」
半年に一度、街の医者がやってきて孤児院内で定期健診を行っていた。健康診断自体は学校でもやっているので、孤児院で行っているのは健康診断で要再検査になった児童や通院している児童への検診だ。
勿論、そこにはシャーリンの名前も入っている。
「あ、今度来るのはいつもの先生じゃないんだな。見たことない名前だから新しい先生か」
見覚えがない担当医名を見てアルカが呟く。シャーリンに借りた本を開きかけたセトが顔をあげた。
「いつも来ていた医者はどんな医者だったのだ?」
「老先生だったよ。結構なお年寄りだったから交代したのかも」
「……ふむ」
アルカは扉の内側に定期健診の紙をテープで貼り付けた。大事なことが書いてあるプリントの定位置だ。こうすれば部屋を出入りするときに必ず視界に入るからだった。
もう一度プリント内容の担当医の名前を見て呟く。
「担当医はハルアイド・ラ・ガディ先生か」
「――!?」
ドサッと何かが落ちた音がしてアルカは飛び跳ねた。
「な、なんだよ? いきなり」
音のする方を見ればセトが慌てて本を拾うところだった。
「すまぬ。手が滑って本を落としてしまった」
アルカの記憶ではセトがドジを踏むのはこれが初めてだった。
「お、おう。大丈夫か?」
「大丈夫だ、本は問題ない」
「いやお前が」
「私も問題な、いっ」
そう言いながら足元に置いてあったボールで滑って転んでいるセトを見て本当に大丈夫か?と思うアルカだった。




