02
帝都の首都シュエルゴから東にいったところにワイデンブクルという街がある。
首都方面へは利便性向上のため開発が活発であり、逆に離れるほど昔ながらのレンガ造りの街並みを残している。それだけでなく旧帝都時代に作られた建物や神殿が歴史遺産として残っており、つまりは首都に近いのに今と昔を一度に鑑賞できる珍しい街ということもあって、首都に通う平民だけでなく、少しでも帝都の歴史や文化を味わいたいという主に隠居した貴族たちが老後の場所として越してくるほどである。
そのため年々人口が増加しており、住みたい街ランキングで常にトップテン入りをしている。
今日はその一角で二人の兄妹がお出かけしてるところからはじまる。
「お兄ちゃんから買い物に誘ってくれるなんて珍しいね」
妹が嬉しそうな表情で兄に微笑んだ。
まだ十を超えたばかりの少女だ。白銀の髪を肩まで下ろし、エメラルドグリーンの瞳に兄の姿が映りこんでいる。まだ女の子特有の可愛らしさが残るが将来は美人になるであろう整った顔。
春先とはいえまだ少し寒いのか、羽織っていたカーディガンをしっかり抱いている。
「俺が誘わないとまったく外に出ないだろシャーリンは」
今年十四になる少年は唇を尖らせた。少女と同じ白銀の髪を短く刈り上げられ、瞳は真っ直ぐ正面を向いている。持ち前の童顔のせいか、時折年齢より低く見られるときがある。
妹の名はシャーリン、兄はアルカという。
アルカはシャーリンの服装を見るなり眉を寄せた。
「お前、それで寒くないか?大丈夫か?」
不機嫌そうな顔をしながらも気遣う台詞にシャーリンは嬉しそうな顔をする。
「大丈夫。今日よく晴れててお日様も暖かいし、カーディガンも羽織っているから」
「冷たい北風が吹いてるだろ。それにそのカーディガンは薄いし、寒かったら言えよ。俺のジャケット貸してやるから」
「ジャケット脱いだら半袖に短パンでしょう?お兄ちゃんを見るだけで寒くなるよ」
シャーリンが言うことももっともだったのでアルカは口を閉じるほかない。
妹の歩幅に兄は足を合わせながら、石畳の道路を黙々と歩く。周囲には他にも買い物客らしき人たちが何人も行き交っている。ワイデンブクルは毎年増えていく人口に比例して商店街や店舗なども着々と数を増やしていた。
レンガの家々や古めかしい街路樹が並ぶ町並みを見渡しながら、シャーリンは尋ねる。
「ところで今日はどこに行くの?」
「近くに雑貨屋があるらしいんだ。小物から変わったものまで取り扱うところらしい」
「何か買いたいものでもあるの?」
シャーリンの質問に、アルカは頬を引っかきながらそっぽを向く。
「……今日、お前の誕生日だろ」
「!」
シャーリンは誰もが振り向くような飛び切りの笑顔で微笑んだ。
「覚えてくれたんだね、お兄ちゃん」
「毎年やってるだろ?」
「そうだけどさ、やっぱり嬉しいよ。ありがとう!」
まだまだ成長途中だけど、最近少し男っぽく筋肉がついてきたアルカの腕に抱きつくシャーリンに、アルカは大慌てだ。
「ま、まだ何も買ってないぞ! お礼を言うのは早すぎるだろ!
アルカの怒鳴り声に、周囲で歩いていた人たちから視線を集めた。
シャーリンを連れてアルカがたどり着いた店は住宅街の一角、袋小路になっている道路の奥にあった。土地勘のないものなら迷子になりかねない場所だ。
一見住宅と間違えそうな店前には雑貨屋を示す看板と小さなアクセサリーが何点か並んでいる。子供でも買える金額ではあるが大小色とりどりのものが置かれている。シャーリンはそれを興味深そうに見つめた。
「色々あるね」
「何か欲しいものあるか?」
「んー……後でまた見ていい?」
「時間はあるから焦らなくていい」
アルカが扉を開けると甲高いベルの音が響く。
店内は薄暗かった。テーブルの上に雑然と並べられてる小物や宝石のような石、壁の棚に並べてある古本、テーブルの下にあるカゴに乱雑に入れてある駄菓子、天井からぶら下げられているタオルやぬいぐるみ、天井に貼り付けられている子供用プールセットの箱などなど。隙間なく物が溢れていれば店内の光も届きにくいだろう。
尚且つ狭い。人一人が通れるくらいの通路しかなく、すれ違うのにも互いに体を捻らないと無理そうだ。幸いアルカとシャーリン以外に客はいなかったので店内をゆっくり巡る。店員もいないのが気になるが。
アルカは置いてある掌大の魔動車の模型をなんのけなしに弄っていると、シャーリンの声が耳に届いた。
「あ、これ」
魔動車の模型を置いて声のしたほうを見ると、シャーリンが人形を両手に抱えあげるところだった。
「……獣人型の人形か?」
獣人というのは獣の体をしながらも二足歩行をし、人間のように考え行動する種族のことだ。だから人と同じように扱われる。ただ帝都では他の種族同様獣人もあまり見かけない、珍しい部類に入る。
シャーリンが抱えた人形の身長は大人の頭三つ分くらいある。鬣のような蒼い髪を持つ二足歩行型の狼獣人だ。人形らしく頭と手足が大きめにデフォルメ化されている。関節部分も折り曲げられるようになっており、特に日焼けや壊れている箇所もないみたいだから保存状態もよさそうだ。獣人特有の毛並みも悪くない。大きな尻尾のモフモフ具合はアルカも見てて撫でたくなってくる。
顔も狼そのものだがなぜか瞳が閉じられていた。
「何かのマスコット?知ってるかシャーリン?」
「知らない。でも可愛いしモフモフ具合がいい……」
シャーリンは恍惚と毛並みを撫でている。
対してアルカは首を捻った。確かに人形なだけにデフォルメ化されているとはいえがっちりとしたムキムキの筋肉、本物っぽい鋭い爪。ここまでくれば閉じられている瞳もきっと鋭い眼光だろう。狼獣人は基本体格が良いためそれを再現したのだろうが、これなら可愛いというよりカッコいい、または怖い部類だ。
「大きいし抱き心地もいい……」
「……欲しいのか?」
シャーリンから返事はなかったが人形をしっかり抱く姿が物語っていた。
その時だ。入り口とは反対の店の奥にある扉が開く。
「ん? 客が来たか?」
トレーナーにエプロン姿の男性だった。アルカより頭一つ分背が大きい。長い髪に目元が隠れているため歳がわかりにくいが、声からして青年とはいい難い歳だろう。
「お邪魔しています」
「らっしゃい。兄妹で来るとか珍しいな。……嬢ちゃんよ、その人形が欲しいのか?」
「欲しいです」
「即答かい」
店員は苦笑したようだった。
「でもシャーリン、それ高いぞ」
アルカが指し示す値段はとてもじゃないが子供の小遣いで買えるような額ではない。アルカの手持ちでも到底届く額ではなかった。
同じく金額を見て恍惚としていたシャーリンの表情が暗くなる。
「……でもこれが欲しい」
「他の人形ならどうだ? 小さくなるけどこれなら買えるぞ」
アルカが買えそうな金額の人形を見せても、シャーリンは首を横に振るだけだった。
「じゃあこっちならどうだ? こっちも大きいぞ」
「獣人型じゃない」
「これならどうだ? 獣人型だぞ」
「豚獣人はモフモフがない」
「こいつならどうだ!? ちゃんとモフモフの獣人型だぞ!」
「小さすぎ……」
「そいつ以外にしろ!」
「やーっ!」
兄妹喧嘩に発展しそうな雰囲気に、成り行きを見守っていた店員が声をかけた。
「嬢ちゃんよ、そんなにその狼獣人の人形が欲しいのか?」
「欲しいです」
「どう見ても女の子受けしないのに?」
「わたしはこの子がいいの」
そう言って固く抱きしめるその姿は何が何でも手放さないという意思表示だ。
店員は懐からタバコを取り出すと、その場で一服。
「ならこれならどうだ? その人形、無料で嬢ちゃんに貸してやってもいいぜ」
兄妹はそろって顔を見合わせた。
「いいの?」
「実はその人形、ただの人形じゃねぇんだ。知り合いから「置いてくれ」って頼まれたものでな。なんかのプロトタイプらしい」
「プロトタイプ……?」
「ああ。ちょっと詳細はなぁ……。まぁ俺もざっくりとした説明だけで托されただけだが」
そう言うと店員はシャーリンから人形を取り上げた。
一瞬寂しそうな顔をするシャーリンに店員が安心するように微笑むと人形をひっくり返して背中の毛並みを広げる。そこに表れたファスナーを下ろした。
ファスナーの下にあるボタンのような突起を指差す。
「ここが起動ボタン。数秒間押し続ければ起動する」
「き、起動?」
物騒な言葉に、尻込みするアルカ。そんなアルカの様子に気づかず、店員は説明を続ける。
「動くんだよこれ。んで少し待てば起動完了。……と、まぁこれだけだ」
そう説明すると店員は人形のファスナーを閉めてシャーリンに渡した。
「金額は無料。貸し出し期間も指定なし。ただお前たちが人形を手放したくなったら店まで持って来い。あ、勝手にゴミに出すんじゃねーぞ。……あー、それとメンテナンスは必要だから1ヶ月に1回は店に持ってこい。異常がなければその日の内に返却できると思うから」
どこか投げやりに、でもしっかり説明する店員に、アルカとシャーリンは呆然とする。
「なんか……いいのかな。無料だなんて」
「さっきも言ったように預かっているだけだから店には損はない。けどメンテナンスはしっかり受けて貰う。それでも良いという条件ならば無料で貸してやるよ。こんなところで埃被ってても可哀想だしな」
「……だ、そうだがどうするシャーリン?」
アルカの質問に、人形を抱きしめながら少し不安そうな顔をしていたシャーリンだったが、やがて小さく頷いた。
「それでお願いします」
「わかった。じゃあ今契約書を持ってくるからちゃんと中身読んで問題なければサインくれ」
「はい」
シャーリンが書類にサインをしている最中、店員はアルカに別の書類を差し出した。
「あとこれ保護者への同意書。帰ったらサイン貰ってこい。店まで持ってくるのが面倒なら後日手紙にして送ってくれればいい」
「保護者……」
書類を受け取ろうとしたアルカだったが、少し悩んだ末に店員に書類を返した。
「あの……オレたち親がいなくて……今孤児院に世話になっているんです」
店員の目が見開いた。
「孤児なのかお前ら」
「……はい」
本当は違うのだが、そこまで店員に説明する必要はない。
孤児院の場合、保護者になるのは基本孤児院の施設長になる。
「あー……。となると施設長がサインだとこれ、人形の所有者は個人じゃなくて施設? となると少女のもんじゃなくなるのか?」
「……!」
サインした書類を返そうとしたシャーリンがショックを受ける。それを見たアルカが店員に詰め寄った。
「あ、あの!それ分割払いにできませんか!?今はまだお金足りませんが……いつか必ず全額支払いするので!」
「けどなぁ……」
渋る店員に、アルカは必死になって縋りつく。
「自分で購入したものなら孤児院のものではなく購入した人の物になるので! 買わせてください!」
「買わせてください!」
悲鳴にも近い懇願とともに兄妹は揃って頭を下げた。
そんな二人をしばらく見つめていた店員は、小さくため息をつくと人形を手に取り、再び背中のファスナーを開けた。
「仕方ねぇなぁ。ならばあいつに決めて貰うか」
「あいつ?」
顔をあげたアルカの目に映ったのは、人形の背中にある起動スイッチを押し続ける店員の姿だった。
「そうだ。あいつがいいと言ったら……あいつと嬢ちゃんのサインだけで貸し出ししてやるよ」