空は飛べないけど
「オレは鳥になる!」
そう叫んでアタルは屋上から飛び降りた。
思いっきり助走をつけて翔んだアタルは、確かにそのとき空と太陽の一部になった。
しかし、それはほんの一瞬のことで、太陽はアタルを地面へと叩き落とす。
まるで、翼を失ったダイダロスの子のように。
アタル――馬鹿だよ、お前は……。
大馬鹿だ。
「うぇ〜ん。痛いよぉ、修ちゃ〜ん」
生きてやんの……。
病院に見舞いにきた俺を見て、アタルは泣きじゃくりながら俺に痛みを訴えてくる。
「あたりまえだ、ぼけ! 四階から飛び降りて、皹だけですんだのは奇跡的なんだぞ!」
「うにゅう」
俺が本気で怒鳴ると、体をシュンと丸めるアタル。
「今度、ばかりは本気でっ本気で――」
「ごめん、修ちゃん」
「…………」
アタルのごめんを聞き、俺は頭を抱えた。
「……もういい――」
俺はため息をついて、ベッドの脇にあったパイプ椅子に腰を下ろす。
日浦アタルは昔から変わった男だった。
幼稚園のときには俺の作った粘土のお団子を食べて腹を壊した。
小学生のとき、『夏休みの工作で東京タワーを作る』と言って校庭に机や椅子を高く積み上げ、それが崩れた拍子に初代校長の像が首から折れて、大目玉を食らった。
なぜか止めようとしていた俺まで。
中学のとき、地球の裏側が南アメリカだと知ったアタルは、『ちょっくらサンバ踊ってくるぜ』とか言って、穴を掘り始めて生き埋めになった。
そして、高2の今日、『オレは鳥になる』と叫んで屋上から飛び降りたのだ。
何度、友達止めようと思ったかしらないけど、結局はフォローしてしまう自分がいるのだから仕方がない。
「ほらよ」
「うわぁ〜」
俺は持ってきた画板から一枚の画用紙を取り出す。
それを見てアタルは目を輝かす。
「空だぁ」
アタルははしゃいで言った。
それは俺が描いた空の絵。
アタルが数日前から、『鳥っていいな。鳥っていいなぁ』と空を見ながらぼやいてたので、
嫌な予感がしていた俺は、慌ててこの絵を描き始めたのだが――間に合わなかった。
俺はアタルの目を真っ直ぐと見つめて言う。
「いいか、アタル。人間は鳥にはなれない。鳥みたいには空を飛べないんだ」
「…………」
アタルは寂しそうに目を伏せる。
うぐっ。こらえろ、俺!
「ちゃんと聞け! 確かに人間は空を飛べない。
でも、その代わりにこうやって絵を描いたり、物語を書いたり、歌を歌ったりして、心の中で空を飛ぶことができるんだ」
「修ちゃん……」
「俺はドラえもんみたいに、タケコプターだしてはやれねぇけど、絵は描いてやれる。だからそれで我慢しろ」
「うん」
アタルは素直に頷いた。
俺の描いた絵を嬉しそうに眺めながら。
昔、アタルのおふくろさんに聞いた話では、アタルの脳にはほんの小さな傷があるらしい。
日常生活を送るにはなんの問題もないけれど、ときどき突拍子もないことをしだすのはそれが原因のようだ。
だから、こうやって頭ではなく、心で理解させてやらなきゃいけないんだ。
「ありがとう修ちゃん」
「おう」
にっこり笑いながらそう言うアタルの頭を俺はぽんと叩いた。
多分、この言葉を聞くために、俺は友達止めれないんだと思う。
「ねぇ修ちゃん」
「ん?」
アタルはへらへらと笑って俺に告げる。
「オレ、魚になるよ」
「――――」
さすがにブチギレました、俺。
数年後、アタルは素潜りの世界大会で優勝した。
キラキラと太陽を反射させている波の上で、拳を突き上げながら、
「修ちゃん、オレ魚になれたぜぇい!」
そう、俺に向かって叫んだ。
アタル、お前は人間だよ。
人間だから――。