私は執事を愛している
発作的に新作投稿したくなる病。
「もうすぐ結婚式だわねえ。わたくし、エディトさんの花嫁姿をとっても楽しみにしているのよ」
未来の義母は羽根つき扇を手元で弄びつつ、にこにこと隣席のエディトに笑いかける。
「女性にとっては一生に一度のことですものね。これ以上ないぐらい素敵なお式になりそうでよかったわね、エディト。招待客も名士の方々ばかりだし、王室のロイヤルウエディングが行われたところと同じ教会だなんて!……ヴァーラ家の方々には感謝してもしきれませんわ。結婚する前からこんなにも大事にしていただいて……本当にいいご縁でしたわ」
エディトの母も上機嫌で隣の娘の手を握りつつ、ねえ? とエディトに同意を求めてきた。
「いいえ、こちらこそ。エディトさんを娘として迎えられて嬉しいわ。正直、トマスなんかにはもったいないぐらいと思ってしまうわねえ。エディトさんはとても可愛らしくて、気立ての良いお嬢さんとして有名でしたもの。トマスと釣り合うかしら?」
そう言いつつも、義母はそんなことは毛ほども思っていない様子で軽く笑い声を立てた。
紅茶とお菓子が並べられた丸テーブルで、義母と実母に挟まれたエディトはおっとりとした笑みを浮かべる。薄茶の髪と目を持つ彼女は、しとやかに微笑んでみせれば第一級の淑女と見なされ、求婚者の列が絶えなかった。もちろん、彼女の実家が大きな商会を持っていてのことだったが。
そんな彼女を射止めたのはこれまた資産家であり、子爵の爵位を持つヴァーラ家の長男トマスであり、これもまた美男として名が通っていた。
彼女とトマスを二人並べれば、どんなに素敵なことなのだろう、とエディトの実母が言い出したのが婚約のきっかけだった。
話はとんとん拍子に進み、数日後には晴れて二人は夫婦となる。
義母と実母はとても喜び、式の直前になってもこうして頻繁にお茶会を開催していた。場所は婚家の中庭で、当主と未来の夫は仕事だと言って欠席することが多い。
エディトは突然、ガタッと席を立った。心底悩みぬいたような、思いつめた顔だった。
「お義母さま。そのことで私、トマスに謝らなくてはいけないんです」
「あら、急にどうしたの、エディトさん」
「そうよ、あなたらしくないわよ」
「いえ、でも私、自分の心を偽ることがどうしても心苦しくて……」
二人の母親はどうしたものだと顔を見合わせる。自分の意志をあまり見せない娘が珍しい。
「言ってみなさいな、エディトさん」
「ありがとうございます……」
胸を押さえているエディトはなみなみと注がれたままの紅茶のカップを見つめながら、
「私、トマスを愛せません……もう、私の心は他に奪われてしまっているのです。なので結婚の話はなかったことに」
「エ、エディトさん? なんてことをおっしゃっているの?」
「エディト! お待ちなさい、そんな相手あなたにはいないはずよ。でしょ? 冗談だと言いなさい」
「いえ、冗談ではないのです、お母さま」
感情が発露したせいか、目を潤ませたエディトは懸命に訴えた。
「狂おしいぐらいに愛してしまったの……私の執事を」
「な、な、な? 執事ですって、エディトそんな馬鹿なことを言うのはやめなさい。彼は……」
エディトは母親に向かって首を振る。
「どんな障害があろうともこの愛だけは変えられないのです。彼はこの三年、私の心とともにずっと寄り添い、いつも私を励ましてくれました。私を見ると、人懐っこそうにまっすぐ駆け寄ってきてくれて。私がその頭を撫でるととても嬉しそうな顔をするのです。それが毎日続くとなれば、愛が芽生えたって不思議ではありません」
「ま、まちなさい。エディト……」
「確かに彼とは身分や立場の差があり、しかも私のほうがかなり年上です。私にはトマスもいましたが……今日ここに来る前、励ましてくれました。――『僕たちのことを認めてもらおう。もう、君への愛を隠しきれないんだ』と。だからここで告白したのです、私の真実の愛を」
義母は呆けた顔をしていた。
対するエディトの母は厚い白粉じゃ隠し切れないほどの怒りを滲ませつつも、手だけは優雅にエディトを落ち着かせようと彼女の腕を掴む。
「私たちをからかってはいけませんよ、エディト?」
「いいえ、私は真剣です。お母さま」
エディトは母親の瞳を見つめ返した。
「……いいえ。あなたはからかっているのよ。申し訳ございません、夫人。娘が言っているのは執事のことではありませんの……いえ、こういうと誤解を与えてしまいますね。ですが、ご安心ください。娘には執事がついておりませんから。娘の傍にいるのは――『執事』という名の羊ですわ」
丸テーブルの傍でまったりと草を食んでいた羊の『執事』がふいに顔を上げて、メエ、と鳴く。ここにいるぞ、と自己主張するようであった。
自分の邸に帰った後、エディトは『執事』と一緒に両親からひどく怒られた。曰く、「冗談にするにしてもひどい」、「こんなことをする子だなんて思わなかった」、「これで向こうからの縁談が無くなったらお前はどう責任を取るというんだ」、「私たちの気持ちも考えなさい」、「お前が結婚したら、皆が幸せになれるんだ」……。
両親はエディトに向かって未来の婚家への手紙をしたためさせた。
さきほどのことは本気ではありません。
気の迷いというものです。
結婚を直前にして、不安に駆られていたのです。
お許しください。……どうか、お許しください。
母親の言う通りに文面を書いたエディトは、疲れた顔で手紙を母親に渡した。
「よろしいわ。今日は反省のために、あなたも『執事』も食事抜きですからね」
『執事』が不満を表明して、メエと鳴いた。
バタン、と派手に自室の扉が閉められる。
足音が遠ざかっていくのを確かめたエディトは、ゆっくりと立ち上がり、何やら口元をくっちゃくっちゃと動かしている『執事』の子牛ほど大きな身体をぎゅうっと抱きしめ、手入れされたふかふかの羊毛に顔を埋める。
「……私の『執事』。こんなにも愛しているというのに。やっぱり、駄目だったわね」
「メエー」
「でも覚悟はとっくにしていたのよ? ああ、きっと今のままじゃ何も変わらないって。期待しすぎていた。情を捨てられなかった。……それももう終わるけれど」
「メエー」
「大丈夫よ。『執事』はどこまでも私と一緒よ。仔羊の頃から大事に育ててきたのだもの。お肉になんてさせないわ」
「メエー」
「……それは感謝しての鳴き声? 『執事』、前々から思っていたけれど、あなたってどうにも不遜というか、過剰すぎるほどの自信があるというか……一体誰に似たのかしら」
両手で自分の『執事』の顔を自分の方に向けさせ、首を傾げるエディト。
ふいに彼女は窓の外へ笑いかけた。
「――もしかしたら、あなたかもね?」
若くして即位した女王陛下は白いウエディングドレスを着て結婚式を執り行った。それから結婚式のウエディングドレスの定番は白。エディトが纏うのも白いドレス。裾はこれでもかと長く、銀糸で細かな刺繍が施され、ところどころ真珠や宝石が縫い付けられた豪奢なドレス。
教会の扉が開かれ、エディトは結婚式の場に足を踏み入れる。ロイヤルウエディングを行った教会というだけあって、歴史と伝統を感じさせる建物で、拍手する参列者は名の知れた人物ばかり。義父母と両親、双方の見栄がうかがわれた。
バージンロードの先にはタキシードを着た新郎が緊張した面持ちで立っている。トマスは線が細く、繊細そうなイメージを持たせる青年だった。
エディトは父親の腕に掴まりながら、一歩一歩前に進む。ヴェールではどんな表情を浮かべているかわからない。
そんな新郎新婦が神父の前に揃った。神父は問う。病める時も健やかなる時も互いに互いを愛することを誓いますか?
沈黙が落ちた。最前列に座る二組の夫婦はあまりにも長く二人がだんまりしていたので、随分とやきもきしている。
「……誓いますか?」
しびれを切らした神父はもう一度問う。
「誓いますわ! ええ、誓いますとも。ね、トマス?」
「神父様、エディトも誓うと言ってますわ! 心の中で!」
義母と実母が揃いも揃って代わりに愛を誓った。参列者からは失笑が漏れる。
「……エディト」
トマスが花嫁に困惑の視線を向けると、彼女は新郎に向かってぼそぼそと何かを囁いた。トマスの身体は強張った。エディトは構わず後ろの参列者へ振り返った。
「ごめんなさい。私は……」
そう言いかけた時、扉が開かれたままのバージンロードに長い影が差した。それは力強い足音を響かせながら、エディトのいる方へと突進してくる。
それは羊だ。エディトの愛羊、『執事』であった。
参列者たちはあまりの珍事に目を瞬かせた。なぜ今、ここに羊が。
エディトは白いヴェールをむしり取った。現われたのは、元気はつらつとした幸せいっぱいの娘のものだった。
「やっと来たわね、わたしの『執事』!」
ハイヒールを投げ捨てて、彼女は『執事』に飛び乗った。心得たように全力ダッシュをする羊。
状況が呑み込めない周囲を横目に、花嫁を乗せた羊はバージンロードを逆走し、扉から教会の外へ、そして器用に階段を下りていく。
道には馬車が一台止まっていて、扉からは燃えるような赤毛を持つ青年がエディトへ手を伸ばしていた。
「お嬢さん!」
「アーベル!」
エディトは羊ごと愛する青年の元へと飛び込んだ。青年は一人と一匹分の体重をどうにか耐えきり、エディトを馬車に乗せ、『執事』も押し込み、最後は自分も入って御者に指示を出す。
「今すぐ港へ行ってくれ!」
鞭うたれた馬がすぐに走り出す。
本当に一瞬の出来事であった。
一方、式場の内部では新郎の両親と新婦の両親が激しいののしり合いを繰り広げていた。
「おたくの娘、どういうこと? あんな真似をしでかして! 綺麗な顔をしてとんでもないあばずれだったじゃないの。わたくしたちにとんだ恥をかかせてくれたものね!」
「何をおっしゃっているの。私たちのせいじゃありませんわ。そちらの息子さんがしっかりとエディトを繋ぎとめてくれなかったのがいけなかったのではありません? ちっともお茶会にも顔を出さないじゃないですか。それなのに、毎回毎回そちらの邸に出向かなくてはいけないだなんて、エディトが愛想をつかせるのも道理ですわ。それにそちらの息子さんには妙な噂があったではないですか……」
「うちの息子と婚約させてやったというのに、何かしらその言い草は! 援助の話もご破算にしていただくわ!」
「あら、あなたとご主人の弱みを握っていたことをお忘れではなくて?」
「なっ……このアバズレ!」
「はっ、元はただの田舎娘の癖に!」
父親二人は互いに睨み合っている。視線だけで戦いを繰り広げていた。
それを中央でおろおろと口を挟みかねている神父。
元新郎はもはや収拾がつかなくなった式場を眺めながら、「諦めた」。
二組の親の真ん中に割って入る。
「父さん、母さん。これ以上怒ったって仕方がないよ。終わったんだよ、全部。結局はよかったんだよ、これで」
「トマス、あなたはそれでいいっていうのっ!」
彼は頷く。そしてがらりと口調を変えた。
「だって、アタシ……エディトのこと、友達として好きなの。結婚しても長続きしなかったわよ。アタシ――オトコが好き。エディトにも背中を押されたわ。ずっと我慢しつづけるのが嫌なら、辛いとしても真実の姿で生きてみるのを考えてみたらって……。アタシ、今日から女として生きるわ! これからはクリスティーネと呼んでちょうだい!」
そう言って、颯爽と……それでも女らしい足取りで去っていくトマス。
実の母親は、ひっ、とひきつけをおこしたまま気絶した。夫が慌ててその身体を支えるが、重くて耐え切れず、一緒にずるずると床に座り込んでしまった。
「……随分と、ド派手な退場を選んだもんだ」
「何事も、派手な演出が大事なの。これであの二つの家に目を向ける人が出てくるでしょう? 本当のところ、どちらの家も見せかけは立派でも内情は火の車。うちはともかくとして、あっちの家は気づいてすらいないのは滑稽だったけれど。今回の事が公になれば、少なからず両家とも立ち行かなくなるわよ」
「ああ、なるほど。相当イラついていたってわけか」
まあね、とエディトは馬車の中、膝に乗りかかった羊の頭を撫でている。正直重くて仕方がないが、これも愛の重みというやつだろう。その正面で頬杖をついていた青年は羊が羨ましくてたまらない。
「どうせしばらくはこの大陸からはおさらばよ。今まで溜まっていた恨みを晴らしただけ。大事な両親というならともかく、勝手に娘を売り払う毒親なんてこっちの方がいらないわ。商会のことだって、私に預けさえしてくれれば、もう少し上手く立ち回れたものを……!」
拳をぷるぷると震わせるエディト。
経営する商会は祖父が一代で築き上げたもので、その祖父に可愛がられていたエディトは祖父の経営手腕を引き継いでいた。一方派手好きで、しかも経営の仕方がド下手くそだったエディトの父母は、祖父とも仲が悪く、祖父の忠告もまったく聞き入れない。結局祖父が亡くなった途端に、経営状態は悪化。父母は資金繰りのために娘を売りに出した。買った先もエディトが調べてみれば、見た目はともかく中身は腐りきっている。トマスがある程度それを押さえていた形跡があったが、よくよく見れば、義父母は犯罪にも手を出し、どうやら大規模な詐欺にあっている最中で、目も当てられない。
「でもそれも今日で終わりよ。新大陸で私たちは新しい商会を立ち上げるわ。私たちはものすごくまっとうでクリーンな経営をするの、それでどしどしのし上がってやるわ……! 覇道を貫くわよ、アーベル!」
「気合入ってるなあ、お嬢さん」
「当たり前よ! 次に帰ってきたら、一緒におじい様の墓前で山のような金塊を見せびらかすのよ!」
彼女の決意を後押しするように『執事』がメエ、と啼いた。
アーベルは笑う。
かつてアーベルはエディトの執事だった。そしてその前にはエディトの祖父に可愛がられ、徒弟として商売を学んだ。アーベルとエディトは兄妹弟子であり、主従の関係にあった。……そして秘密の恋人同士だったのだ。
エディトの婚約が決まった時、エディトはアーベルを辞めさせた。すべては今回の計画のためだ。
三年……三年もかけた。
その時間はアーベルに新大陸での商売の足場を作らせるのに必要な時間だったし、エディトがどうにか家を変えられないかと最後にあがいた時間でもあった。道は二つ用意しておいたのだ。両親が改心して、エディトとアーベルのことを認めてもらい、家に残る道。もう一つは、家も両親も何もかも捨てて、新天地に赴き、新しく商売を始める道。
後者を選んだ彼女は、今はこうして『執事』を撫でて癒されている。アーベルとのことが気づかれないように、ずっと演技をしていたようなものだから今になって疲れが出ているのである。
「あー、ホント、うちの『執事』は可愛いわ……どうしてこんなに可愛らしいんだか」
「当てつけみたいに言うな」
「まさか。そんなつもりじゃないわよ? 私に向かってぞんざいな口調で話しているのはいつものことだもの」
ねえ? と『執事』に同意を求める。メエ、と啼いてみせた羊は言うべきタイミングがよくわかっていた。
エディトは元々動物の中でも羊が好きだった。でも『執事』と名付けたのは完全な気まぐれというやつだった。ちょうどアーベルが執事をやめた頃飼い始めたこともあったし、彼女なりに彼以外のの人間が彼女の執事をやるということが許せなかったからかもしれない。
あと、もう一つある。
エディトは羊をゆっくりと抱きしめて、ちらりとアーベルへ微笑み、告げた。
「アーベル。私は『執事』を愛しているの」
いつもなら素直に告げられない言葉を告げるために。
結局はダジャレ
元トマス……現クリスティーネさんはそれなりに人がいいので、家を出てもどうにか生きていけると思います。
読んでいただきありがとうございます