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#008 PUPPY'S FANG

 つい、固まってしまった。フロイドの手から、火が点いたままのタバコが落ちた。リプリーはそれを拾って、テレビへ目を向ける。——ジョセフ・ゲイシー。三十二人を虐殺した殺人鬼、脱獄。テレビのモニターには、そう映されていた。


 「——手を退け、フロイド」


葉巻を吸いながら、ブルースが呟く。ディーン共和国一の橋の歩道で、フロイドはブルースと落ち合っていた。リプリーとダニエルは、ホテルの部屋に残してある。フロイドは苦笑しながら、煙草に火を点けた。


「俺は賞金稼ぎだぜ? 近場で賞金首が出たら、それを捕まえる。何の違和感も無いだろう」


「手を退けって言ってるんだよ。お前はもう刑事じゃねえ。今回はヤマがデカ過ぎるのさ。1人の殺人鬼を捕まえれば良い訳じゃねえ」


ふうと、ブルースが煙を吐く。フロイドはフィルターにまで迫った灰を川へ落とすと、足元で煙草を揉み消した。息を吸い込む。


「俺もお前も、今は変わっちまったんだな、ブルース。あの時のお前は絶対に、『手を退け』なんて事は言わなかった」


「時代の流れさ、フロイド。宇宙に手が届くと、見たくも無い物が見えちまう。——俺は手伝わねえぞ。警察ってのは、上ばっかりがデカくなっちまっている組織だ」


上からの圧力。ブルースなりの助言だろう。『彼奴』に、そんな権力など無い。恐らく、脱獄を手伝った組織がいるのだ。そしてその組織は、警察をも脅かす巨大な影。


「……明日、もう一度この時間に此処へ来てくれ」


ブルースはそう言い残すと、路肩に停めてあった船へ乗り込んでしまった。フロイドは新しい煙草に火を点けると、煙を吐き出す。口の中が、妙に苦かった。


 「新しい情報は手に入れたのかい?」


ホテルへ戻ると、ベッドに仰向けになったリプリーが、スマホを弄りながら尋ねて来た。ダニエルは、彼女の足元で寝息を立てている。


「……何も。明日も留守番頼むわ」


フロイドは、この仕事をリプリーに手伝わせるつもりは無かった。これは、自分自身でケジメを付けなければならない事件だから。ダニエルの頭を撫でる。リプリーはそれ以上何も聞かずに、テンガロンハットで顔を覆った。


 翌日。フロイドは、また約束の地を訪れていた。昼間なのに、車は一台も走って居ない。橋の手すりに身を預けると、大きく溜息を吐いた。ブルースはまだ来て居ない。彼に何と言われようとも、フロイドは調査を辞めるつもりなど無かった。


「待たせたな」


声が聞こえる。ブルースだ。どうやら、今日は歩きでやって来たらしい。


「ブルース。俺はな——」


視界が揺れる。

旧友が、此方へ銃を向けている。

銃口からは、細い煙が上がっていた。

弾は何処へ?

脇腹が疼く。

ブルースが近付いて来る。


「……悪いな、相棒」


ブルースが、フロイドの襟首を掴んだ。抵抗する力など無い。それどころか、意識を保つ事が精一杯だった。——脚が持ち上がる。地面を求めて必死に足をばたつかせるが、ブルースはそらを気にも止めず——フロイドを、橋の下へ落とした。最後に見た、嘗ての相棒の顔。それは、苦痛に満ちていた。水面が近付いて来る。意識も遠のく。此処で死んでしまうのだろうか。嫌だ。リプリーを一人にしておけば、何をしでかすか分かったものでは無い。しかし、身体は動かなかった。やがてリプリーの事すら考えられなくなり、フロイドは完全に、その意識を手放した。


 ——「なあ、フロイド」


ホットドッグを齧りながら、ブルースが口を開いた。大して美味いホットドッグでは無い。ジャンクフードに在り来たりな、調味料と油の味しかしないホットドッグだ。


「あん?」


しかし、何も食べないよりはマシである。ましてや、此処数日は水とカロリーメイトしか食べていないのだ。


「お前さん、キャシーとの生活はどうだい?」


キャシー。その名前を聞いた途端、心臓がとくんと強くなった。キャシーは、フロイドが結婚を前提に同棲している恋人だ。新米刑事で金など持っていないフロイドとは違い、彼女は大学の首席。ハイスクールではチアリーダーをやっていた程の実力者だ。そんな彼女が、何故フロイドを選んだのか。フロイドすら、それが分からなかった。


「此奴——『ジョセフ・ゲイシー』を捕まえたら、暫く休暇を取りたいって」


「別れ話か?」


「違うよ。その反対。——子供が出来た」


ブルースが、ホットドッグを吹き出した。その汚らしさに顔を歪めながらも、フロイドはコーヒーを渡した。ブルースは胸部をトントンと叩きながら、それを飲み干す。


「そいつはめでたい!男か? 女か?」


「娘さ。ブルース。この件が片付いたら、相談に乗って貰いたいんだ。お前、確か娘がいただろう」


「任せておけよ! ウチのじゃじゃ馬のお古で良ければ、何だってくれてやる」


——ブルースが立ち上がる。二人が食事をしていたファストフード店から、大通りを挟んだ対面にある小さなアパート。その非常階段を、ジョセフ・ゲイシーが降っていた。三十人を殺した、ピエロ姿の殺人鬼。その正体はジョセフ・ゲイシーであると割れているのだが、いかんせん決定打となる証拠が無かった。故に二人は犯行現場を抑えようと、ジョセフ・ゲイシーのアパートを張り込んでいたのだ。


「祝いの酒は後だ、フロイド。追うぞ」


「分かってるさ。……店員さん。悪いが、片付けて置いてくれ」


トレーを置いたままに、店内から飛び出す。ジョセフ・ゲイシーは、普段着で大通りを歩いていた。


「買い物か……?」


「勘弁してくれよ。俺、この仕事が終わったら労働局に直訴するわ。危険手当を貰っても良い位さ」


そう言って、ブルースが溜息を吐く。ジョセフが、一軒のスーパーマーケットに入る。それとすれ違う様にして、フードを目深に被った男が店から飛び出して来た。


「ひったくり!」


と言う、中年女性の叫びが響く。気が付けば、フロイドは駆け出していた。一歩遅れて、ブルースも後を追って来る。


「良いのか!?」


「説教は覚悟しておかなくちゃな!」


人混みを縫いながら、ひったくりの背中を追い掛ける。見慣れた通りだ。此処は、フロイドとキャシーが同棲しているマンションのすぐ近くの通りだ。ひったくりが何処の路地へ逃げ込もうとも、その道は端から端まで熟知していた。


路地を曲がった所で、ブルースが銃を引き抜いた。フロイドはそれを抑えると、足元にあった空き缶を蹴り飛ばす。空き缶はくるくると回転しながら、ひったくりの股の間へ転がっていった。ひったくりの脚が縺れる。その隙に、フロイドがひったくりの背中へのし掛かった。


「やったな、フロイド!」


「ジョセフを見逃しちまってるとは言え、此奴は手柄だな!休暇も取りやすくなるぜ!」


フロイドはそう言って、ひったくりの手へ手錠を掛けた。


 その日の夜。ジョセフ・ゲイシーを放置した事は軽く怒られたものの、ひったくりを捕らえた事実は褒められた。照れ臭い。


「ところでフロイド。お前、キャシーを一人にさせて良いのか?」


上司からのお褒めのメールを見せていると、ブルースが口を開いた。目の前にあるジョセフ・ゲイシーの部屋は、煌々と電気が点いている。どうやら、今夜も部屋から出るつもりは無い様だ。


「行ってやれよ。腹に子供を抱えたまま一人ぼっちってのは、中々辛いもんらしいぜ」


「……ジョセフ・ゲイシーは?」


「俺が見張っているさ。どの道、この様子じゃ今夜も犯行は起こさないだろうしな」


その言葉を聞いて、フロイドは駆け出した。兎に角、早くキャシーの顔が見たい。フロイドは、この仕事が終われば警察を辞めるつもりでいた。子供と嫁を抱える身では、警察官は少し危険過ぎる。——路地を曲がる。そうだ、スーパーマーケットで何か買って行ってやろう。そう思い、フロイドはひったくりが飛び出して来たスーパーマーケットへ入った。


 レジを済ませ、食材をビニール袋へ詰める。今夜は、久々にキャシーと食事が取れるのだ。少しくらい贅沢をした所で、バチは当たらないだろう。自動ドアの前を通る。——脚が止まる。フロイドの視線の先。狂気のピエロが、人混みの中を歩いていた。


「……くそッ!」


駆け出す。ジョセフ・ゲイシーの元へでは無い。奴がピエロの格好をしていると言う事は、何らかの犯行を犯したと言う事だ。脳裏に、キャシーの笑顔が過る。


「……くそッ!くそッ!」


そんな訳が無い。そう思っていても、嫌な予感は脳裏から消え去らない。


階段を駆け上がり、鍵を差し込む。開かない。鍵を閉めてしまったのだ。——キャシーは、いつもフロイドが居ない時は鍵を閉めていた。嫌な予感が、むくむくと膨らんでいく。脚が震える。もう一度鍵を差し込んで、扉を思いっきり引っ張った。


「——あら、おかえりなさい。どうしたの?」


キャシーの声。——そんな声が、聞こえて来る事はなかった。力が抜ける。ビニール袋が、フロイドの足元に落ちた。血溜まりだ。真っ赤な血溜まりの中で、キャシーが倒れていた。新たな生命を宿したばかりの腹部に、複数の深い傷を作って。

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