#005 Stray Cats!
チャイナタウン、と呼ばれている土地がある。アジア系の人間が居住する地だ。チャイナタウンはアメリカでありながらも、中国語や日本語の看板が多い。その一つ一つを何の店かを考えていたのだが、フロイドは結局、軽トラックの中で溜息を吐いていた。ここ数週間、まともな物を食べていない。最後にレストランへ入ったのは、グレイセスにいた三ヶ月前の事だ。リプリーはついに空腹に負けて頭がおかしくなったのか、真面目な顔で賞金首のリストを眺めている。
チャイナタウン一の高層ビルを持つ幽玄堂に爆破予告があったのは、昨日の昼の事だ。タイムリミットは、明日の朝七時。幽玄堂のビルを訪ねてはみたのだが、「その件は警察に任せてある」と突っぱねられ、駐車場でぼんやりとシートに背中を任せているのだ。
「賞金は八百万ドルねえ……。一人も殺していないのに、随分と大金を払うものだ」
「世界屈指の大企業だからな。そのセキュリティも世界一でなければならない。爆弾なんて仕掛けられたら笑い者さ」
リプリーの見ているリストへ目を向ける。相変わらず、二千ドルや三千ドルの安物ばかりだ。——リストを読み終えたリプリーが、その紙の束をダッシュボードへ投げる。
「ボクはもう限界だよ、フロイド。少し食べ物を探してくる」
「中国語、読めるのかよ?」
「それなりの店に行くさ。ここは英語圏内だしね」
言うが否や、リプリーは軽トラックから飛び出して行ってしまった。一人になってしまったフロイドは、窓を少し開けて煙草に火を点ける。あと30分も駐車していれば、不審な車と判断されて通報されてしまうだろう。警察と賞金稼ぎには、深い溝がある。一度捕まってしまえば、幽玄堂ビルの爆破を留置所で知らされる事になるのだ。
「世知辛いねえ……」
溜息交じりにそう呟く。幽玄堂ビルは、まだ悠然と、チャイナタウンに聳え立っていた。
「お前ね……」
リプリーが膝に抱えているモノを見て、フロイドは溜息を吐いた。腹を膨らませたリプリーが軽トラックへ戻って来たのが、つい十分ほど前。彼女は「お土産だ」と言って、あろう事か一匹の猫を拾って来たのだ。
「戻して来い」
「嫌だ。もうボク達の仲間だ」
「お前一人でも食費がヤベェのに、どうやって猫の面倒なんて見るんだよ!?」
「ボクの面倒だって見切れてないじゃないか!」
「尚更ダメだろうが、バカ!大体お前、此奴首輪を着けてるじゃねえか!飼い猫だろ!」
——騒ぎ過ぎたのだろうか。一人の警察官が、コンコンと運転席の窓を叩いて来た。
「ああ、すまん。俺らは別に——」
対戦車用のバズーカ。警察官は、その銃口を此方へ向けていた。アクセルを踏み込む。先程まで軽トラックが停まっていた所には、バラバラと網が落下していた。どうやら、フロイド達を捕まえようとしていたらしい。
「あいつ、警察じゃないよ」
「分かってるさ。……捕まってろよ!」
人混みの中を、軽トラックを走らせて行く。そのすぐ後ろでは、黒塗りのバンがフロイド達を追っていた。
「おらおら、轢いちまうぞ!」
クラクションを鳴らしながら、スピードを上げて行く。リプリーは片手で猫を抱えながら窓を開けると、半身を乗り出してリボルバーを引き抜いた。
「しつこい男は嫌われるよ!」
二、三発、乾いた音が響く。銃弾はバンのバックミラーを弾いたが、バンはそんな事は構わないのか、一向にスピードを下げずに着いて来る。
「リプリー!舌ァ噛むんじゃねえぞ!」
「え?」
急ブレーキを踏む。バンも慌ててブレーキをかけたが間に合わず、軽トラックの後ろへ衝突した。軽トラックは、それなりに防弾加工を施してある。後ろが少し凹んだだけだ。しかし、バンはそうでは無かったらしい。勢い余ったバンは、空中を回転し、フロイド達の目の前に落下する。リプリーはと言うと、目を白黒させながら猫を抱き締めていた。
「そ、そう言う事はもっと早く言いなよ!」
「言ったらどうにかなるのか?」
「心の準備だ!」
喚き散らすリプリーを他所に、ドアを開け、バンへ歩み寄る。勿論、愛用しているショットガンも持ち出して、だ。バンは本来天井である部分を地面に着け、黒い煙を上げている。フロイドは運転席の扉をこじ開けると、ショットガンの銃口を突き付けた。
「……!?」
迂闊だった。アンドロイドだ。機械製の人間が、フロイドに向けてバズーカを向けていた。慌てて右へ転がる。バズーカから放たれた小さなミサイルは、小さな中華料理屋を木っ端微塵にした。その轟音で、しばらく耳鳴りが続く。フロイドは片耳を抑えながら、軽トラックへ駆け込んだ。
「ど、どうしたんだい!?」
「やっこさん、どうやら少しだけ身体が頑丈らしい!」
軽トラックをバックさせる。アンドロイドはバンの運転席の扉を蹴り飛ばし、全く無傷の状態で這い出して来た。トラックを急発進させる。スピードは一瞬で60キロに達し、そのままアンドロイドの頭を弾き飛ばした。——しかし。
「まだだ、フロイド!」
首の無いアンドロイドが、猛スピードで走って来る。どうやら、人間と違って頭が急所では無いらしい。
「だったら最初から車なんて使ってんじゃねえよ、全く!」
橋に差し掛かる。フロイドはリプリーへ合図を送ると、運転席の扉を蹴り飛ばした。アンドロイドが、バズーカを此方へ向ける。二人が、橋の両側から川に飛び込む。爆風が、フロイドの背中を焼き付けた。
男は、ただ歩いていた。言葉は発さない。否。『発する機能を持っていない』。病室で目を覚ました時、男は気が付いた。——俺はもう、人間では無いと。その時、自分が何を考えていたのかは分からない。男はただ、その病室にいた全ての人間の首を、いとも簡単に引きちぎってみせたのだ。血まみれになった指を舐めながら、男は笑う。これだ。これが、俺の生きる道だ——と。
それから暫くして、男はテロリストとして活動を始めた。ただのテロリストでは無い。テロリストから依頼を受けて、指示のあった場所に爆弾を仕掛けるのだ。楽しかった。自分の仕掛けた爆弾で、人間が四散するのだ。——今回も、簡単に行く筈だった。芸術的な爆弾を作り上げたのだ。この爆破は、芸術的なものでなければならない。爆破予告はもう出してある。あとは、コレを仕掛けるだけだ。問題が発生したのは、その後だった。——『爆弾が、一目散に逃げ出した』のだ。
頭がぼんやりと、靄がかかったようだ。目を覚ました時、フロイドはまずそう口走った。フロイドは、チャイナタウンを流れる川の、コンクリートの川岸に打ち上げられていた。運が良かったのか、リプリーも隣で気を失っている。そのリプリーの頬を、びしょ濡れの猫がペロペロと舐めていた。流されている間に取れてしまったのか、既に首輪は着いていない。
「……やれやれ。こうなりゃ、地の果てまで連れ回してやるよ」
猫の頭を撫でてやる。猫は気持ちよさそうに目を細めると、ゴロゴロと喉を鳴らした。
いた。男は、にやりと笑った。川の端に、男女とアレが座っている。あの男と女は、ただものではない。恐らく、それなりに死線を潜って来た連中だ。しかし、アレでは意味が無い。爆弾を抱えた状態で、生きていられる訳がない。予告した時間までは、まだ多少余裕がある。予備の爆弾でも仕掛ければ良い。——起爆スイッチを取り出し、ボタンを押してみせる。
——男の背中で、水柱が上がった。
「……?」
顔が濡れる。しかし、そんなことは気にしていられない。何故だ? 何故、後ろで——。
男の襟を掴んで引きずりながら、リプリーが川岸に戻って来た。男は白目を剥き、完全に気を失っているようだ。
「これで八百万ドル。餌代は出せるだろう?」
「上等だ。なあ、ダニエル」
猫の頭を撫でてやる。ダニエル。フロイドが付けてやった名前だ。それが気に食わなかったのか、リプリーがフロイドを睨み付ける。
「ダニエル?」
「此奴の名前だ。名前も無いんじゃ、旅をしている間気まず過ぎるしな」
そう言って、ダニエルの顎を撫でる。ダニエルはにゃあと鳴き声をあげると、フロイドの指を舐めた。