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#004 John Doe Troyes

 ラジオと言うものは、現代文明の中で最も優れた発明品である。それがフロイドの持論だった。テレビは、映像と音声を合わせて初めて『情報』という一つの媒体となる。それが、ラジオはどうだろうか。音声のみで、知りたい情報を教えてくれるのだ。それも、電波さえ届けば何処へでも、だ。ところがお気に入りの音楽を止められた事が気に食わないのか、リプリーは不機嫌そうに煙草を吹かしていた。


 エドワード・フィルムの事件から一週間が過ぎ、二人はグレイセスと呼ばれる大都市へと赴いていた。かつてこの地がフランスと呼ばれていた時代、グレイセスはパリと呼ばれていて、世界三大都市のひとつとまで呼ばれていた。それが今やどうだろうか。度重なる内紛とテロにより、今や半分ほどとなったエッフェル塔が、この地がパリであったという事を語っているだけだ。グレイセスは、そのエッフェル塔の残骸をぐるっと円形の様に囲んでいる都市だ。石造りの門を機械製の兵士が巡回し、空には流通のかなめとなっている宇宙船が行きかっている。観光地としても有名な都市だ。それなのにフロイドとリプリーはコンビニの駐車場に軽トラックを停め、ラジオのツマミを捻っていた。


「こんな所にまで来て情報が何もないってのは無しだよ、フロイド」


かれこれ小一時間はラジオと格闘しているフロイドを見かねたのか、リプリーが溜息交じりに言う。そもそもグレイセスへ行こうと言い出したのは、他ならぬフロイドだった。ジョン・ドゥ。英語で『名無し』を意味する単語だ。そして、今グレイセスを騒がせている殺人鬼。フードをすっぽりと被って性別すら分からないそいつは、まさに『ジョン・ドゥ』だ。


「お前も少しは動けよ。賞金稼ぎなら足を使え、足を」


「キミはどうなんだ。さっきから指先しか動いていない。大体、ボクはフランス語なんて話せないよ。パリジェンヌは苦手だしね。ボクとは正反対だ」


「このご時世に『パリジェンヌ』なんて女がいれば、是非ともお目にかかりたいもんだ。俺だってフランス語なんて話せねぇよ。ここはもうフランスじゃねぇんだ。英語だってちったぁ……」


ザザっと、スピーカーから砂を揺らす様な音が漏れる。どうやら、漸く電波を拾えた様だ。フロイドは頭を撫でると、煙草を咥えて聞く姿勢に入る。リプリーはというと、興味も無さそうにぼんやりと、半壊した塔を眺めていた。


 チェックインを済ませると、フロイドは溜息を吐いた。ツイていない。そんなフロイドを励ます様に、リプリーがフロイドの背中をポンと叩く。その動作すらも、今のフロイドには腹立たしかった。――結果として、ラジオは聴けた。聴けた事は聴けたのだが、繋がった先は一般人が勝手に放送しているラジオ。英語ではあったのだが、慣れていないのか、言葉遣いが滅茶苦茶で全く聞き取れなかったのだ。


「『趣味』を公共の電波に乗っけるんじゃねぇよ、まったく」


「それこそ個人の自由だろう。それが違法だろうが合法だろうが、ボク等に止める権利は無いよ」


賞金稼ぎは賞金稼ぎだ。賞金首を捕まえる事が仕事であり、犯罪者を取り締まる事では無い。そういう仕事は警察の領域だ。その領域に脚を踏み込んで、良い顔をされる訳もない。このご時世、やたらと敵を作る訳にもいかないだろう。


 このホテルは、二人が今まで泊まって来た中でもかなり快適の部類に入るホテルだ。三階建ての、かつては『普通』だったビジネスホテル。しかし、今や木を組んだだけで『宿』を謳う所も多い。まともに雨風を凌げるだけで、十分に快適なのだ。


「それじゃあ、情報を整理しようか」


ようやく乗り気になったのか、リプリーがベッドに半身を投げ出して言った。フロイドは鞄を開けると、テーブルの上に数枚のメモ用紙をばら撒く。『ジョン・ドゥ』に関する資料だ。とは言え、そのほとんどが眉唾物だ。何せ、敵はその性別や年齢すらも明らかになっていないのだ。分かっているのは、既に数十人の男女を見境なく切り刻んで来た、その狂気ともとれる悪行のみ。


「捜査は難航だな……。いや、まだ漕ぎ出してすらいねぇ」


事件の犯行現場を抑える事が一番手っ取り早いのだが、此方の戦力は二人だけだ。この円形都市をたった二人で見回るのは、不可能に近い。つまるところ、整理する情報が無いのだ。フロイドは窓際のソファーに腰を下ろすと、煙草に火を点けた。煙草の煙の向こうで、エッフェル塔が揺れている。リプリ―の溜息が聞こえてくる。退屈なのだろう。その退屈が最高潮に達すると、リプリーは見境なく暴れ始める。そうなる前に事件の尻尾だけでも掴みたいのだが、如何せん出来る事が少なすぎた。


「犯人の写真もこれだけだ。被害者の傷口の写真を見せられた所で、犯人の目ぼしなんて付く訳がない。賞金稼ぎ協会は一体何を考えているんだか……」


リプリーが手に取った写真。資料の中で唯一、犯人の姿が写ったものだ。夜のグレイセスの街角に立つ、血まみれの鉈を持った人物。街中にあるパン屋の監視カメラに映ったらしい。日付は五日前。最後の被害者が出た日にちだ。


「この写真を見る限りだと、『ジョン・ドゥ』は男の可能性が大きいね。女性にしては、骨格ががっちりとしている」


「だったら、この街の男を虱潰しに捕まえてみるか? そんな事をしてみろよ。今度は俺たちが賞金首だ」


「そうかっかするなよ、フロイド。ボクだって気が立っているんだ。――少し、外を歩かないかい?」


リプリーからの誘いに、フロイドは即決で頷いた。正直、事件の事を少しでも頭から消しておきたかったのだ。進展も無し、情報も無し。そんな状態で部屋にすし詰めでは、その内気が狂ってしまいそうだ。


 観光名所である塔をぐるりと囲う様に、石畳の散歩道が造られていた。所々に露店も出ていて、まるで祭りの様な華やかさがある。


「場違い感が凄まじいな……」


すれ違う人々は、皆一様に恋人を連れているか、家族連れや老夫婦だ。それが、自分達はどうだろうか。見た目で言えば二十歳にも満たない子供と、禿げ上がった頭の中年オヤジ。誘拐と間違われて通報されても文句は言えないだろう。おまけに言ってしまえば、銃をぶら下げているのもこの二人だけだ。


「不必要に周りを見るからそうなるんだよ」


「散歩ってのはそう言うもんだろうが」


散歩道は禁煙だ。フロイドは口元を持て余しながらも、塔へと目を向ける。この塔は、内紛によって半壊した、言ってしまえば『負の遺産』だ。それでも数十年このままにしておいているのは、やはり『戦争』と言うものを忘れないでおくためだろう。『ジョン・ドゥ』の騒動が起きる前は、グレイセスは賞金稼ぎの間では話題にすら上がらない程、平和を絵に描いた様な都市だった。そこだけ切り取られたかのように、ゆっくりとした時間の流れる都市。それが今やどうだろうか。行きかう人々は、楽しそうではいるものの、心の何処かで『ジョン・ドゥ』を警戒している。


「しかしお前、こう言う『洒落た』場所ってのがとことん似合わないな。砂漠にいた時は様になっていたが」


勿論だが、こんな所に時代錯誤のカウボーイの衣装に身を包んでいる人間は、リプリー以外存在しない。


「お互い様だよ。ご覧、フロイド。帽子を被った男が多いだろう? 薄毛を見せびらかしているのはキミだけだ。醜いったらありゃしない」


「俺はスキンヘッドだ、世間知らずのお嬢ちゃん。放っておけばフサフサなんだよ、俺は」


「まあ、ボクは構わないけどね。……フロイド。アレは何をしているんだい?」


リプリーが指を刺した方向へ目を向ける。一人の青年がベンチに腰を掛けて、ノートパソコンに向けて何やらブツブツと吹き込んでいた。周囲の人々もその風景が異様に感じられるのか、そのベンチの周りにだけ、小さな空間が出来ていた。


「――訊いてみればいい」


何処かで聴いた事のある声だ。フロイドは煙草に火を点けると、遠慮も無しにその青年の隣に腰を下ろした。青年は作業に夢中になり過ぎて此方に気付いていなかったのか、ぎょっと驚いて見せる。――根暗を絵に描いた様な青年だ。金髪の頭を短く刈り込み、クマの深い目を誤魔化す為か、大きな黒縁のメガネをかけている。生活も不摂生なのだろう。肌荒れが目立つ。ノートパソコンの画面には、一本の黒い線が映っていた。


「な、何だい? 君達は」


たどたどしい英語。青年がその言葉を発した途端、画面に映る線に小さな波が生まれた。どうやら、声を録音していたらしい。


「趣味か?」


青年と反対の方向へ煙を吐き出してから、フロイドが尋ねる。


「ああ。しゅ、趣味でラジオをやらされているんだ」


「『やっている』」


「へ?」


リプリーも、フロイドと挟む様にして青年の隣に腰を下ろした。女子の隣に慣れていないのか、青年が少しフロイドの方へずれる。


「『やらされている』じゃなくて『やっている』だ。趣味とは言え、公開しているんだろう? 綴りくらいはきちんとした方が良い」


「そ、そうか。有難う。……少し前までは、き、近所の総菜屋の売り物くらいしか話題が無かったんだ。でも、今は違う」


ここにきて、フロイドは漸く、この声を何処で聴いたのかを思い出していた。トラックの中だ。あの時ツマミを捻って拾ったラジオは、彼のものだったのだ。


「『ジョン・ドゥ』か? 俺達もそいつを追ってるんだ」


――青年の顔色が変わる。ちらりとリプリーを見ると、彼女もフロイドを見ていた。何かを知っている。


「け、警察か何かかい?」


「そんなお行儀の良い連中じゃないさ。賞金稼ぎだよ」


「しょ、賞金稼ぎか。へ、へぇ。そ、そうか」


怪し過ぎる。青年の挙動は、ただの人見知りの様な動きではない。焦っている。――フロイドは腰を上げると、リプリーに合図を送った。


「そろそろ行くぜ。……ラジオ、頑張れよ」


「ああ。有難う」


 ――日が傾いて来る。フロイドとリプリーは、グレイセスの居住区の中にある、小さなレストランに居た。ガラス張りの店内からは、外の様子がよく見える。二人は、なにも食事を楽しみにここへ来た訳では無い。寧ろ、味に限ってしまえば缶詰の方が美味いと感じる程だ。目的は、窓の向こう。居住区の道を、一人の青年が歩いている。先程の青年だ。きょろきょろと周囲を見渡しながら、ふらふらと歩いている。


「どう思う?」


安酒を流し込みながら、フロイドが尋ねる。


「何かを知っている筈だ。関係者か、もしくは……」


もしくは、あの青年が『ジョン・ドゥ』か。――青年が、家の間の小道に入る。フロイドは立ち上がると、勘定を済ませて外に出た。既に街灯の灯された街中は、夜を迎える体制に入っていた。日は沈みかけて、グレイセスの街を橙に染めている。二人は一息置いてから、青年の入って行った路地へ足を踏み入れた。汚らしい路地だ。ポリバケツのごみ箱はひっくり返り、生ごみが散乱している。レンガ造りの家の壁には、若者が描いたであろう、奇怪なアートやサインが散りばめられていた。申し訳程度の街灯には、小さな羽虫が集まってきている。あまり長居はしたくない場所だ。


「何処へ行きやがった……?」


路地を抜けて、左右を見渡す。そこは貧困層の人々が暮らしているのか、薄汚い服を纏った人々でごった返していた。つんと鼻を刺す様な臭いが漂っている。その中に、ちらりとフードの頭が見えた。


「いたよ、フロイド」


「ああ。俺にも見えた」


この人混みの間を抜けていては、その内見失ってしまう。


「お前、俺に負ぶされ」


そう言って、リプリーの前にしゃがみ込む。


「何のつもりだい? ボクはもうそんな歳じゃない」


「お前の方が視力が良いんだよ。何のために『狂犬』なんて仇名を貰っているんだ」


「少なくとも、キミに負ぶさる為ではないよ」


そう言いながらも、リプリーは素直にフロイドに負ぶさった。フロイドからでは、既に青年の姿は見当たらない。それでも彼女には見えているのか、フロイドの頭をポンと叩いた。


 人々の間を縫って、路地の間を抜けていく。――何かが、きらりと光った。向かいの路地だ。


「――急げ、フロイド!」


リプリーが叫ぶ。その瞬間、目の前を浮浪者の集団が列をなして歩き始めた。――かちゃりと音がする。何か固い物が、フロイドの頭頂部に当たっていた。


「おいおい、嘘だろ?」


轟音。頭頂部に、鋭い痛みが走る。硝煙の匂いが漂ってくる。


「俺の頭を銃座にしやがったな!」


「良いから急いで!」


後でブッ飛ばしてやる。そう思いながらも、列をどかして路地へと駆け込む。鉈が転がっていた。リプリーの銃弾が命中したいたのか、黒い穴が開いていた。――その先。一人の少年が、目を見開いて座っていた。腰を抜かしたのだろう。そして、その前に立つ青年。昼間の青年だ。銃弾に鉈が弾かれた時に怪我を負ったのか、指先からタラリと血を流している。フロイドはリプリーを下ろすと、青年の後頭部にショットガンの銃口を突きつけた。勿論脅しだ。本当に引き金を引けば、彼が殺そうとしていた少年もただでは済まない。


「今日でラジオは仕舞いだぜ、『ジョン・ドゥ』さんよ」


青年の肩が揺れる。笑っているのだ。くっくと空気を漏らしながら、フロイドを睨み付ける。


「平和過ぎるんだよ、この街は!何の事件も事故も無い!僕が騒ぎを起こさなければ、この街は時代に埋もれていた!」


狂っている。と、リプリーが呟いた。


「テメェのラジオのネタ欲しさに人を殺してただけじゃねえか。――それに、悪いが俺達はお前の動機なんざ毛ほども興味が無えんだ」


青年を殴り飛ばす。青年は壁に頭を打ち付けて、気を失ってしまった。ヒビの入ったメガネが、フロイドの足元に落下する。フロイドはそれを踏みつけると、煙草に火を点けた。


 『ヘイ、地球の皆!今日のテーマは……』


余りにも陽気すぎるDJの声に、フロイドは顔を顰めた。クーラーをガンガンに効かせている車内は、生暖かい空気が充満している。二人を乗せた軽トラックは、グレイセスから離れていない砂漠を走っていた。


「何で俺らはまた砂漠を走っているのかね……」


「仕方が無いだろう。賞金がパーになっちゃったんだから」


そう言いながらも、リプリーは満足げだ。それもその筈である。二人は『ジョン・ドゥ』の賞金である二百万ドルを、全て高級レストランのディナーへつぎ込んだのだ。フロイドも、それを食べている時は後悔なんてしなかった。後悔し始めたのは、愛車のクーラーが壊れていると気が付いた時だ。


「それにしてもシュールだね、今のキミ」


「……放っとけ」


リボルバーのグリップを頭に付けられた状態で引き金を引かれて、無傷でいられる訳もない。フロイドの頭頂部には、小さな絆創膏が貼られていた。しかし、リプリーが引き金を引かなければ、あの少年は殺されていたのだ。今更文句も言えない。フロイドはそのイライラを吐き出すように、窓を開けて、煙草の煙を吐き出した。

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