#002 Looks Like Mad Dog Part.2
何周聴いたかも分からぬCDをケースに戻すと、フロイドは溜息を吐いた。日は既に傾き、灼熱の砂漠は一転して、極寒の地へ姿を変えようとしている。相も変わらず、目的地は姿を見せなかった。
「おい。本当に合っているんだろうな」
煙草に火を点けて、リプリーに尋ねる。彼女は助手席で大きな欠伸をしながら、
「気ままにいこうよ、フロイド。急いだところで村は動かない」
助手席と運転席の間にある灰皿には、既に煙草が山のように積まれている。愛煙家であるフロイドも、この悪臭はいかんともしがたい気持ちになった。何時までもトラックを路肩に停めておく訳にもいかない。しかし、目的地も見えないのにハンドルを握る気にはなれなかった。再び、ガンガンと頭が揺れ始める。気が付けば、リプリ―が先程出したはずのCDを戻していたのだ。ハードロックは嫌いだ。フロイドは、ゆったりとした、しかし芯のあるブルースが好きだった。繊細な音を紡ぎ、その中に自分たちの不平不満、理想を織り込むブルース。それに反して、ハードロックはどうだろうか。ただガチャガチャしているだけで、歌詞に意味もへったくれも無い。一度それをそのままリプリ―に言って、口論になってしまった事がある。それからは、ドライブ中の選曲はリプリ―に任せていた。リプリ―が、目の下にまで下がっていたテンガロンハットを持ち上げた。見ると、一台の大型のバイクが向かってきている。窓を開けて、親指を立てる。バイクに乗る若者は、少しだけスピードを緩めた。
「エスペンはこの先か?」
煙草を消してから尋ねる。若者は一度頷くと、そのままバイクを加速させていった。どうやら、道は間違っていないらしい。
小一時間程トラックを走らせていると、漸くエスペンが見えてきた。村というより、集落と言った方が正しいだろうか。手作り感の溢れる藁ぶきの屋根の小屋が、数軒、身を寄せ合う様にして建てられている。その村と周囲を隔離する為なのか、押せば倒れてしまいそうな木製のフェンスが、ぐるりと村を囲っていた。唯一の出入り口である大門のは、栄えていた頃の名残か、『ようこそ、砂漠のオアシス、エスペンへ!』と言う走り書きがされていた。その文字も既に擦り切れていて、こうして読める事すら奇跡と言えた。トラックを近付けると、一応村としての体をなしているという事は理解できた。少ないながらも果物の並ぶ商店に、暇そうに葉巻を吹かす保安官。小さな船が乗り降りできる、道を整えただけの空港。勿論、船と言うのは水に浮かぶ船ではない。宇宙へ飛び立つ、小さな足だ。門には検問が設置されていて、初老の警備員が、何やら不審そうにフロイド達を見つめていた。前髪が邪魔なのか、リプリ―が前髪をヘアピンでとめた。
検問所にトラックを寄せて、賞金稼ぎの免許証を見せる。賞金稼ぎ協会へ加入している正規の賞金稼ぎは、この免許証を持つことが義務とされている。逮捕して引き渡す際に免許証を持っていないと、非正規であると判断され、報酬が三分の一に減らされてしまうのだ。
「カウボーイが何の用だ?」
警備員が尋ねてくる。どうやら、あまり歓迎されていないらしい。それもその筈である。賞金稼ぎは、今や荒くれものの代名詞。そんなものを好き好んで招き入れる警備員など、警備員失格である。
「なに、情報があってね。ほら、知っているだろ? 『エスペンの吸血鬼』さ。この村でも何人も殺されている」
警備員の顔色が変わる。フロイドは、口元の笑みを隠せずにいた。この村には、何かがある。フロイドは、既にそう睨んでいたのだ。エスペンは小さな村だ。被害者の数も少ない。それなのに、何故か俗称が『エスペンの吸血鬼』。
「――帰れ」
「――あ?」
銃口を突きつけられる。――やはり、この村は何かを隠しているらしい。今にもリボルバーを抜こうとしているリプリ―を押さえて、フロイドは作り笑顔を貼り付けた。ここで下手に動けば、何の情報も入手できない。
「穏便にいこうや、警備員さん。俺だって、こんな所で死にたくはねぇ。でもよ、帰る訳にもいかねぇんだ。せめて、一晩泊めてはくれないかね?」
「ふざけるなよ、このハゲ。帰れって言ってんだよ」
「……何かあんのかい?」
警備員の目の色が変わった。警戒の意思ではなく、明確な敵意だ。警察官だった頃、何度も見たことがある色だ。――来た。村人達が、質素な家屋から次々と顔を出す。一様に、その顔にあるのは敵意と殺意だ。その集団の中央に、二人の男がいた。一人は、この村の保安官だろう。もう一人は、恐らくこの村の村長だ。良質――とまではいかないが、それなりに良いスーツを纏っている。
「騒がしいぞ、ベネット」
保安官の言葉に、警備員が背筋を伸ばした。
「こいつらが、一晩村へ泊めてくれ、と。何でも、賞金稼ぎだと言っています」
「――捕えろ」
有無を言わせぬとは、まさにこのことだろう。しかし、これはフロイドの狙いでもあった。銃を撃って抵抗しようとするリプリ―に目で合図を送り、トラックの扉を開けた。
「留置所だろうが何だろうが、一晩泊めてくれるのなら構わんぜ」
――ぴちょんと、水滴が床に落ちる。リプリ―とフロイドは、二畳ほどのスペースしかない牢獄に閉じ込められていた。武器は全て没収。煙草まで取られてしまっては、暇をつぶす事など出来ない。
「そろそろ話したらどうだい? フロイド。物事を隠すのは、キミの良くない癖の一つだ」
ちらりと看守の様子を伺ってから、リプリ―が口を開いた。不安なのだろう。リプリーは眠る時でさえ、二丁のリボルバーを手放さない。きっと、思い出の品なのだろう。一度その刻印は何なんだと訊いてみた事があったが、適当にはぐらかされて終わってしまった。そのリボルバーは、今は留置所の保管庫の中だ。看守達から村の秘密を探ることが出来るかと思っていたのだが、どうやら看守は一人だけらしい。
「看守の交代が来るまで待ってな。……『火の無い所に噂は立たず』ってね」
「時々、キミの推理力が怖くなるよ。ボクみたいに脳直で動く人間とは、根本的に違っているのだろうね。少しは理性的になりたいものだ」
「理性的な人間が、ショットガン片手に賞金稼ぎなんてやってるもんかよ。このたちの悪い脳みそは、警官時代からの腐れ縁さ」
フロイドも賞金稼ぎを始めた頃から同じショットガンを使っているが、特別な思い入れがある訳では無い。近距離で撃てば、どんな銃よりも殺傷能力がある。ただそれだけの理由だ。
「ま、その内出られるさね」
そう言って、フロイドは自分の額をコンと叩いて見せる。フロイドの意図が伝わったのか、リプリーはにやりと笑った。今は大人しくしている事が一番だ。知りたい情報が手に入れば、いつでもここを逃げ出せる。
「トラック、壊されて無いだろうね?」
「不安の種はそれだな。この砂漠を歩いて移動するなんざ、おれは御免被るぜ」
恐らく、村人達はフロイドとリプリーを処刑するつもりでいる。『出る事の無い二人』の移動手段など、あっても無駄なだけだ。
身体が軋む。手錠のせいで身体が固定されて、関節が悲鳴を上げている。——そろそろだ。足音が聞こえて来る。
「交代だ」
「そうか。……なぁ。フィルは、今何処まで?」
「さあな。だが、俺達が護らねばならない。この村——エスペンの為にもな」
「でもよ、仮に村長がフィルになったとしても、フィルは……」
「罪人の前でする話じゃないだろ。とっとと帰れ。今日、結婚記念日なんだろう? 奥さんが待っているぜ」
「……だな。済まない」
足音が遠ざかる。——リプリーへ目で合図を送る。彼女は両手が拘束されていると言うのに器用にヘアピンを外すと、その先端を手錠に差し込んだ。やがて小さな音と共に、リプリーの手錠が外れる。
「次はキミだ」
「ああ。……分かっただろう?」
「ああ。エドワード・フィルムは、恐らく今の村長の息子。つまり、この村の次期村長だ。そんな奴が、四百人を殺した賞金首になっちゃったのさ。エドワード・フィルムが捕まれば、この村は終わり」
かちゃりと、フロイドの手錠が外れた。
鉄格子を掴む。
看守は曲がり角の向こうで食事を取っているのか、猫背の背中の影が、蝋燭の光で壁に揺れていた。
「おーい、看守さんよ!飯をくれ!」
「……チッ」
舌打ちと共に、『影』が立ち上がる。一歩、一歩と、足音が大きくなる。リプリーが、ヘアピンを咥えた。
看守の姿が見える。先ほどまで食べていた肉の骨を持ち、フロイドを見下す様な目で立っている。
看守が、鉄格子の隙間から骨を差し出してくる。
「お前らみたいな獣には、これで十分だろう?」
「ああ、十分だ!」
リプリーが、鉄格子の隙間から看守の腕を掴んだ。その腕を思いっきり引っ張ると、看守の鼻先が鉄格子に打ち付けられる。リプリーはその後頭部をがっちりと掴むと、看守の首筋にヘアピンを突き立てた。
「ガッ……ァ!」
看守が、声にならない悲鳴を上げた。ヘアピンが刺さったままの傷口を抑えて、空気を口から漏らしている。——フロイドが動く。素早く看守の腰へ手を回すと、数個の鍵が付いたキー・ホルダー・リングを抜き取った。
「兄ちゃんよ。看守ってのは、囚人を護る役割があるらしいぜ」
牢獄の鍵を開けて、看守の首を掴む。傷口から吹き出る血が、ぬるりと滑る。フロイドはヘアピンを抜き取ると、そこに親指を突き立てた。
「ギャアッ!?」
「護られるついでに一つ、訊きてぇことがあるんだ。保管庫は何処だ?」
看守が、ぐるりと白目を剥く。気絶しかけているのだろう。リプリーがフロイドからヘアピンを奪い取り、それを看守の右目に突き立てた。
「聞こえないのかい? 保管庫は何処?」
「ああああああ!?」
看守の右目から、赤黒い血が噴き出す。その返り血を浴びながらも、リプリーはヘアピンへ力を込め続けた。看守の口から泡が溢れる。
「……この先!この階の、階段の隣だ!」
泡を撒き散らしながら、看守が叫んだ。リプリーはようやくヘアピンを抜くと、満身創痍の看守を牢屋へ入れた。牢獄の中に投げ飛ばされた看守は、ピクリとも動かない。死んでいるのかもしれない。しかし、それはフロイド達には何の関係もない話だ。牢屋の鍵を閉めると、フロイドは返り血を払った。リプリーは血塗れのヘアピンを再び髪につけると、にやりと笑う。
「楽しいねえ、フロイド。どんなに強がっている人間でも、悲鳴ってのは同じなんだ。ただ声帯を震わせるだけで、言葉の形を成していない」
「狂犬に戻るなよ、リプリー。理性ってのは、人間だけにある唯一の特権だ」
「……言ってみただけさ」
リプリーは、ごく稀にこうして過去に戻ってしまう事がある。それに助けられた事も幾度かあるが、やはりフロイドは、今のリプリーの方が好きだった。
角を曲がり、階段の脇の扉に鍵を差し込む。左右の壁を覆う、数多のロッカー。この一つ一つを確認するのは、些か骨が折れそうだ。フロイドはつるりとした頭を撫でると、ため息を吐いた。
「今更だけどね、フロイド。ボク達の他に、捕まっている賞金稼ぎはいないのかな?」
「居たらどうする? 助けるのか? 俺らは正義の味方じゃねぇんだ。ライバルを増やしてどうする」
適当にロッカーを引き出す。フロイド達の物ではなかった。一丁の拳銃が入れられていた。フロイドはそれを拝借すると、ベルトに差し込んだ。その隣のロッカーを開ける。二丁のリボルバーが入っていた。フロイドはそれをリプリーに渡すと、ウィンクしてみせた。
「リプリー。俺はここの武器を拝借して、戦力を強化しておく。その間、お前は好きにしな」
「……ああ、そうさせて貰うよ」
甘くなったもんだ。と、フロイドは苦笑した。リプリーは、きっと他の賞金稼ぎ達を助けに行っただろう。自由に動ける賞金稼ぎが増えれば増えるほど、フロイド達がエドワード・フィルムを捕らえられる可能性は低くなって行く。ロッカーを開ける。書類の束が入っていた。
「……あん?」
どうやら、誰かの日記らしい。
『2118年10月20日。フィルが姿を消した。村長は、メキシカンマフィアの生き残りの仕業だと言っていた。』
『2118年11月1日。フィルが帰って来た。何も喋らない。ショッキングな事があったのだろう。しかし、この村はもう安泰だ』
『2118年11月20日。畜生。フィルがまた姿を消した。世話をしていたジェシーが死んでいた。フィルに何があった?』
『2120年4月9日。フィルが帰って来た。俺の家に匿っている。何かあれば、バイクを貸してやるつもりだ。俺は信じない。こいつが』
これより先の文章は、血に塗れていて確認できない。フロイドはため息を吐いた。フロイド達は、エドワード・フィルムに一度会っていたのだ。あの時、道を聞いた青年。彼こそが、エドワード・フィルムだったのだ。恐らく彼は、今頃砂漠を縦断している事だろう。少なくとも、この村にはもう居ない。——しかし、気がかりな事があった。
「……終わったよ、フロイド。他の連中は、皆んな出て行った。この村を消してやるって。ここもじきに燃やされる。時間は無いよ」
リプリーが戻って来た。この村は、消してしまった方が良いのかもしれない。エドワード・フィルムは、もうエスペンへ戻って来る事は無いだろう。フロイドはリプリーに日記を手渡すと、次のロッカーを開けた。ショットガンと、タバコのソフトケースが入って居た。
「おっと、有り難え」
フロイドの物では無い。しかしフロイドはショットガンを片手に持つと、誰のものとも知れぬタバコを咥えた。
「メキシカンマフィアの生き残り、ねえ。エドワード・フィルムは、其奴らに身体を改造でもされたのかな? こう、麻薬とかで」
「目に見える物を見ろよ、リプリー。この周りにあるのは何だ?」
「何って、ロッカーだろう?」
「言い方が悪かったな。この村の周りにあるのは何だ?」
「……砂漠だ」
ここがかつてアメリカと呼ばれて居た時、この砂漠は、アメリカとメキシコの国境の役割を担っていた。しかし、今やメキシコ全土は砂漠となっている。そんな中に、メキシカンマフィアなどいるのだろうか。
「じゃあキミは、エドワード・フィルムを攫った人間は別にいる、と?」
「ああ。リプリー。外に出るぞ」
フロイドの予測が正しければ、これはフロイド達には処理しきれない問題かも知れない。大人しく、エドワード・フィルムを追っていればよかったのだ。知ってしまった。知ってしまったからには、狙われ続けるだろう。