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賤ヶ岳異聞  作者: 梶原崇
2/3

手詰まり

玄蕃殿ならば長浜を救う手を講じてくださるのではないか。

柴田勝敏は淡い期待を抱いて軍議の間へ向かった。

勝手知ったる城だから迷うことはない。

廊下を曲がったところで、前を歩く男たちを見つけて声を掛けた。


「玄蕃殿」


呼ばれた男が振り返る。

気配で察していたのだろう。驚いた様子はなかった。


「これは若様。お久しゅうございます」

「様付けは止めていただきたい。玄蕃殿は織田の御家の重臣、私は家督も継いでおりません」

「では勝敏殿。お元気そうで何よりです」


佐久間玄蕃允盛政は穏やかな笑みを浮かべていた。

その隣にいる男が腕組みをして勝敏を睨みつけた。


「某は目に入らぬようですな、若様」

「失礼致しました。それと若様は止めていただきたいと兄上には何度も申し上げたはずですが」

「三左と呼び捨てでも良いのだぞ。俺はもう親父殿の養子ではない。相変わらず真面目だな」

「三左。勝敏殿を困らせてはいけません」

「久し振りに会えて嬉しかったんだ。今は喜んでいる場合ではないと承知はしているが」


柴田三左衛門勝政は前へ進み出て勝敏の肩を強く叩いた。

四年前まで二人は兄弟だった。柴田勝政も、父勝家の養子の一人だったのである。

隣に立つ佐久間盛政は勝政の兄である。さらに二人の母は柴田家の縁者だから、ここにいる三人は近しい間柄だった。

もっとも養子だった勝政はともかく、盛政は親戚だからといって兄のように振る舞ったことは一度もなく、常に礼儀正しかった。


「御三方。殿がお待ちです」


案内役を務める小姓が促した。勝敏たちの挨拶が終わるのを待っていてくれた。

小姓は主君の側に控えて主君の盾となる役目を担う。文武に秀でることと、人を気遣う配慮を求められる。

そして戦の折には主君が自由に動かせる手駒として、最も危険な戦場へ投入されることも珍しくない。


「では参りましょう」

「ああ。そうだ、土産を持ってきた。城の者に渡してあるから、皆で食してくれ」

「ありがたく頂戴します」


先導役の小姓が歩き出して、佐久間盛政がさりげなく前を譲ろうとしたが、勝敏は後ろに下がった。

佐久間盛政は軽く頷いて前を歩き、柴田勝政が続き、勝敏は二人に付き従うように追いかけた。


大きな方達だ、と前を歩く二人の後ろ姿を見て勝敏は呟いた。

佐久間兄弟は背が高い。柴田勝政は盛政の実弟である。

父勝家も大柄だが、盛政と勝政はさらに頭半分は高い。そして数多の戦を生き抜いた体躯は逞しいものだった。

今の勝敏と同じ歳の頃、この二人はすでに織田家の勇将だった。



案内されたのは軍議の間――ではなく城の中にある小部屋の一つだった。

首を傾げたが、そもそも軍議の間を使うほどの大人数ではないし、この小姓が間違えるとも思えないので戸を開けて入室した。

部屋には柴田勝家と山中長俊がいた。

中村文荷斎の姿は見えない。政にも深く関わっていて忙しいのだろう。


「よくぞ参った。加賀の雪はどうであった?」

「こちらと変わらず、皆難儀しております」

「兵を連れてくるのは難しいですな。無茶はさせたくない」

「うむ、今は待つ他に手はない。玄蕃よ、荒山の戦は大儀であった」

「お褒めの言葉は前田殿に賜りますよう。それに我らが勝てたのは与力の皆様方の御蔭です。私は家臣にも恵まれておりますし」


山中長俊が佐久間盛政と柴田勝政に席を譲ろうとしたが、二人はやんわりと断った。

山中の対面に佐久間が座り、その隣に勝政が座った。

そして勝政が己の対面に勝敏が座るよう促した。


「長浜の事は聞いておるな」

「はい。筑前殿は思い切ったことをなさる」

「感心はできませんがね。今はどうなっているのか」

「先程、近江に放っていた間者の一人から文が届きました。こちらを」


山中が差し出した書状を、柴田勝家が受け取って文面に目を走らせた。そして隣の佐久間盛政に渡した。

勝家も盛政も顔色を変えなかった。しかし次に書状を読んだ勝政は眉を顰めた。


「もう一つ報せがございます。上方では羽柴様の手の者たちが良からぬ噂を流しておるとのこと」

「その噂とは?」

「伊賀守勝豊はかねてより三左衛門勝政と不仲であったが、そこへ修理亮勝家様が三左衛門の実兄である佐久間玄蕃を跡継に迎えようとなさって邪魔な伊賀守に辛く当たったので、伊賀守は哀れにも行き場を失い、羽柴筑前様を頼ったと」

「姑息な手を使う」


勝政は苦々しく言い捨てた。


「勝豊は俺に喧嘩を吹っ掛けることはあっても、親父殿を裏切ったりはしない。越前では誰でも知っていることだ。しかも兄者まで貶められるとは。加賀の大名で満足している兄者が親父殿の跡目を欲するわけがないだろう」

「見え透いた嘘ですが、効果は覿面です。筑前殿は上方を押さえておられる。噂はすぐに羽柴殿と誼を結ぶ商人が広めるでしょう」

「清須で刺し違えてでも討つべきだった!」

「清須では羽柴殿は大軍を率いていた上に、側を固める者たちは手練れ揃いと聞いています」

「俺が連れて行った加賀の者たちも手練れ揃いだ。兄者はよく知っている筈だ」

「勿論。手強い敵でしたが、今は心強い味方です」


佐久間兄弟はそこで沈黙した。清須でどうにもならなかったことは、柴田勝家に従って現地へ赴いた勝政が誰よりも承知していた。


「清須の事は儂も悔いておる。だが此度其方たちを呼びつけたのは智慧を借りるためだ」


柴田勝家は脇に置いていた巻物を掴んで、床に広げた。

地図であった。


「長浜を救う手立てはないか」

「父上!」

「長浜が筑前の手に渡れば、次は信孝様の御身が危うくなる。稲葉家は筑前に組したからな」


勝家は勝豊を救うとは言わなかった。そのつもりもないだろう。北国を統べる者としては当然のことだった。

しかし結果的に勝豊を救うことにはなるだろう。

それにしても、と勝敏は地図を睨む佐久間盛政の横顔を見た。

父が玄蕃殿に寄せる信頼は篤い。亡き信長公も玄蕃殿を高く買っておられたと聞いている。


「親父殿。本当に軍議を行うのでしたら、金森殿や不破殿も呼ばれるべきではないでしょうか」

「兄者の言う通りだ。親族だけで勝手に決めていると不満に思われたら、羽柴が流した噂が効いてくる」


柴田勝家は答えなかった。

それで何かを察したのか佐久間盛政は困り顔で顎鬚を掻きながら、山中長俊へ視線を移した。

山中長俊は小さく頷いた。

二人の様子を見て柴田勝敏も気づいた。

柴田勝家は金森長近たちを疑っているのだ。軍議の内容を羽柴方に漏らすのではないかと。

この軍議の間でこれから、外に漏れてはいけない機密を話し合うのだろう。

だとしたら自分もここにいるべきではない――勝敏はそう思い席を立とうとしたが、重い声に制止された。

止めたのは山中だった。


「お待ちください。若様にも話に加わっていただきたいのです」

「しかし――」

「長浜を救う手立てをこの場で決めたとしても、すぐに動くわけではありませぬ。越前の諸将を一堂に集め、素知らぬ顔で皆に方策を問います。若様がここに居られれば、この場は親族の集まりに過ぎませぬ」

「……」


勝敏は愕然とした。勝家も山中も、勝敏がこの軍議で役に立つとは思っていない。世間もそうは思っていない。そう言われたのだ。

そのことは百も承知だから席を立とうとしたのだ。

見かねた勝政が口を挟んだ。


「親父殿。言いたいことがあるなら山中殿に頼まず自分の口から言うべきでは?」

「何も期待せぬわけではない。この場で学ぶことはある」

「中将信忠様を育てられた上様を見習うべきでは?」

「……」

「兄上、某は気にしておりませんから」

「……若様がそう仰るなら引き下がりましょう」

「若様は止めてください……」

「話を始めてもよろしいでしょうか?」


佐久間盛政が声を掛けた。

盛政は懐から一通の書状を取り出した。


「実は某も親父殿と山中殿に見ていただきたい文があります」


盛政は書状を柴田勝家に渡した。

勝家は一読して先程と同様に顔色を変えなかった。

山中は書状を読むと微かに呻き声を漏らした。

勝敏も目を通し――驚いた。


「上杉家から前田殿への密書……本物なのですか!?」

「佐々家に婿入りした弟勝之が佐々殿から預かり、金沢へ自ら携えて参りました」


勝敏はもう一度書状を読んだ。


「この書状が偽物である疑いはあるでしょうか?」

「書に詳しい者たちに調べさせたところ、筆跡は上杉景勝殿に仕える祐筆のもので間違いありません」

「この書が前田殿を貶める上杉の謀であるという疑いは?」

「大いにありえます。むしろ北国衆の間に疑心の種を撒くために仕掛けた策と見るべきかと。佐々殿もそのことを懸念しておられるそうです。親父殿にもくれぐれも気をつけていただくようにと」

「今後この手の文が出回るから、気付かない振りをしろ、手に入れても破り捨てろということだな」

「大事にしなければよろしいのですね」


安堵した勝敏に、佐久間盛政は笑みを浮かべて頷いた。


「はい。ですが上杉家の者の目で考えてみると、このような策は上手く運べずとも実りはありますから、今後も策を弄することでしょう」

「新発田殿と北条家を敵に回して苦しい上に、越中では佐々殿に攻められて負け続きだからな。さっさと羽柴を北陸に入れたいか」

「しかし羽柴様が力を付けすぎても上杉家は困るでしょうな。それ故に前田殿の立場を危うくしたかったのか」

「旧知の長殿のお話では、能登でも怪しげな噂が広まっているとのこと。それでも前田殿が睨みを利かせている間は荒山のような大事になることはないでしょう。ですが――」


佐久間盛政の目に険しい光が宿っていた。


「上杉家は衰えたとはいえ越中、能登に手を出す余力がまだあるようで。来たるべき羽柴殿との戦において、佐々殿と越中衆は上杉軍に備えていただくことになるでしょう。先頃飛騨を平定されたばかりの姉小路殿も同様に」

「雪さえ無ければな。俺たちと前田殿が佐々殿に加勢して一気に上杉を叩き、飛騨から美濃へ入る手もあったが」

「そういえば昔、朝倉殿が冬の度にすぐに引き揚げるので京人が朝倉の殿様は愚か者だと嘲笑していましたが……朝倉殿も雪には苦労させられていたのでしょうな」

「あの頃は今よりも雪の害が酷かったからな。しかも加賀の一揆にも背を任せられなかった筈だ。雪と上杉家に囲まれている俺たちも似たようなものだが」

「そう、ここまでが我ら北国衆の進軍を阻む障害です」


佐久間盛政はそう言って、柴田勝家に向き直った。


「長浜へも美濃へも後詰を送れぬからには、北国の船衆を結集して若狭を押さえる一手のみ。信孝様、滝川殿に兵を挙げていただき、かねての密約通り紀伊衆に決起を促せばあるいは」

「ふむ。我が領に匿っている京極殿に頼むか。姉殿は武田元明の妻だったからな。しかし――」


「若狭を押さえたところで、近江衆が動かねば手詰まりとなる」

「殿の与力だった南近江の者たちとは約定を交わしておりますが、丹羽殿が高島を押さえておられる限り我らとの合流は無理と考えてしまうのではないかと」

「丹羽殿はそれほどの名将なのですか。政では並ぶ者はいない方だと伺っておりますが」


話に入れなかった勝敏が、ふと疑問に思って尋ねた。


「丹羽殿が戦場を巡っていたのは其方が幼い童の頃だったからな。知らぬのも無理はない。丹羽殿は若い時分は上様の“うつけ仲間”であったし政に長けていた故、上様の御相談に与り戦からは離れていたが――仮にそうでなければ、丹羽殿は儂や筑前に代わって上杉や毛利をとうに叩き潰していただろう」

「まさかそのような――」


大袈裟ではないかと勝敏は思ったが――佐久間盛政も柴田勝政も山中長俊も渋い顔で黙り込んだ。


「我らが頭を悩ませているのは、織田の御家を守る上で最も頼りになる筈の将が筑前に組したからだ」

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