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賤ヶ岳異聞  作者: 梶原崇
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雪解けを待つ

天正十年の年の末、伴天連の暦では1582年のこと。

北国の越前は豪雪に閉ざされていた。

重苦しい空ではあったが、越前の人々は慣れたもので雪掻きに精を出していた。

冬の間、上方へ通じる敦賀の峠は物を運ぶのに難儀する。何十年も前からのことだった。

人々は分厚く積もった雪をかき分けて蔵に蓄えた粟と野菜を取り出し、家に運び込んだ。

しっかり食べて体力を落とさないこと。それが大切である。雪が溶けたら忙しくなるのだ。

そして次の春は例年よりも忙しくなると、皆が知っていた。


越前を治める柴田勝家の居城である北庄城は、銀世界の中でも道行く人々を仰がせる威容を誇る。

城内にある板の間の一室では四人の男が座っていた。

床から伝わる冷気は尻に敷いた獣皮の敷物で和らげても尚痛いほどだった。しかし雪国に慣れた彼らは日々の鍛錬と戦で心身を厳しく鍛えており、我慢していた。

部屋の奥に鎮座している老いた豪傑は柴田勝家。

隣に控えるのは柴田家重臣の中村文荷斎と山中橘内長俊。

柴田勝家と向き合う形で入口近くに座しているのが柴田勝敏。勝家の子であり、今年で十五歳を迎えた。

この場では主君として柴田勝家を見ている勝敏は、年経た三者が沈黙を破る時を待っていた。


「大変なことになりましたな」


山中長俊が口火を切った。


「春までに持ち堪えればよいのですが」


山中の言葉に、中村文荷斎が答えた。


「難しいでしょうな。勝豊様お一人が抗われても、与力の者たちは羽柴様に降る算段を今頃つけておるのではないかと」

「あちらからの報せはすでに途絶えておりますからな。中村殿の御懸念は正しいと思われます」

「長浜を救う手立てはないものでしょうか」


柴田勝俊が堪えきれなくなって口を挟んだ。勝豊は柴田勝家の養子で、勝敏にとっては兄同然だった。


「城を囲む羽柴の兵を退けることはできなくても、玄蕃尾まで我らが征けば長浜の者たちを励ます術を見出せるのでは」

「若様が仰る通りかと。ですが近江路へ出るまでの道は厳しく、羽柴様が逆心を抱いておられるなら、我らは敵軍と雪に挟まれて、生きて帰ることはないでしょう」

「長浜を囲み、美濃の信孝様にまで無理難題を強いる始末。遠からず織田の御家に弓引く野心は明らかですな」

「…………」


三人は沈黙を続ける城主の顔色を窺った。


「……筑前を甘く見た儂が愚かであった」


先頃、柴田勝家は与力の前田利家たちを上方へ遣わして、筑前――羽柴秀吉の野心を押し留めようとした。

あくまで雪解けまでの時間稼ぎではあったが、万が一にも羽柴秀吉が織田家の忠臣に戻るのではないかと期待したのだった。


「勝豊に付けた与力には丹羽殿に仕えていた者もおる。長浜は筑前の手に落ちたものと考えねばなるまい」

「父上、それでは兄上が」

「後詰は叶わぬ。見捨てる」

「………」

「話の続きは玄蕃が来てからにする。皆、一度下がれ」

「御意」


半年前、柴田家の前途は明るいものであった。

柴田勝家の主君であった織田信長は海内静謐の大義を掲げて日ノ本の平定に邁進し、その志を妨げる力を持つ大名はすでに存在しなかった。

柴田勝家は北陸地方を治める諸将を束ねる織田家の重臣である。

勝家は四万人を越える大軍を率いて、長らく織田家に歯向かい続けてきた越後の上杉家に止めを刺すべく越中国へ出陣していた。

柴田勝敏は初陣を済ませて父の軍に加わり、越中に赴いていた。

この時の上杉家は盟友の武田家を失い、西と南から織田軍に攻め込まれて敗北は必至だった。

上杉家が見捨てた魚津城を攻め落とした織田軍は、続いて東の松倉城へ向かおうとしたところで――主君が謀反人に討たれたことを知った。


主君の横死を知った柴田勝家は直ちに兵を返し、逆臣明智光秀を討つべく出陣の準備を進めた。

しかし越中・能登の両国は上杉に組する者たちが上方の異変を知って策動を始めており、上方へ兵を送ることができなかった。

両国の戦に備えて加賀の兵も動かせない。一気に京へ上り明智に決戦を挑むことはできない。

ならば先ずは近江に足場を確保しよう――そうして柴田勝家が近江へ送り出した武将の一人が柴田勝豊だった。

勝豊たちは明智方を追い払って速やかに近江北部――羽柴秀吉の領地だった土地を確保した。


「その働きが巡り巡って兄上を追い詰めるとは……」


勝敏は重い息を吐いた。

義理の兄だが仲は悪くなかった。

柴田勝豊は中村家の出で、柴田勝家が中村家に請い願って養子に迎えた。勝家は他にも佐久間家から何人も養子を迎えていた。

世間ではこの養子たちが大変仲が悪いと噂しているが、勝豊は屈託なく他の養子や勝敏に接していた。妻は柴田家ではなく美濃の稲葉家から迎えているし、勝家の跡を継ごうとは思っていなかったのかもしれない。

柴田家の家中が勝家の跡継と見なしていたのは、勝敏だった。兄たちが夭折し、父勝家の血を引く男子は勝敏のみとなっている。養子の兄たちは別の家の娘婿に迎えられたり、すでに独立して大名となっている。


「しっかりしなければ」


勝敏は頬を叩いて気合を入れた。

先頃、柴田家は新しい家族を迎えた。妹たちに情けない顔は見せられない。




襖の向こうに気配を感じた勝敏が少し躊躇っていると、向こうから開けられた。


「兄様、お帰りなさいませ」


そこに座っていた妹たちが仰々しい仕草で頭を下げた。

勝敏が戸惑っていると、奥に座る女性たちがあくまで上品に笑い声を上げた。父勝家の妻たちである。


「皆様お揃いでこちらへ?」

「娘たちが早くお話を聞きたいと駄々をこねまして」


申し訳なさそうに告げたのは、その娘たちの母であるお市の方だった。

女性たちに席を勧められて、勝敏は部屋の奥へ進んで座った。

気後れはしたが、跡継の身であるから毅然としていなければいけない。いざという時はここにいる皆を守ることになるのだと自分に聞かせた。


兄勝豊は長浜で羽柴の大軍に囲まれて孤立、父は後詰を送らないと決めている。その事実を伝えてよいものか。

勝敏はしばし逡巡したが、皆が覚悟を決めた顔つきであることに気付き、伝えようと決めた。

居並ぶのは柴田勝家の妻たちである。不安を民に言い触らすような真似はしない。

伝えて拙いことなら、伝えるなと父は釘を刺していただろう。そう考えて、勝敏は長浜にいる義兄の苦境を伝えた。


「兄上は羽柴様に降ることになるでしょう」

「病を患っていると伺いましたが……」

「兄上は羽柴様と懇意ゆえ、羽柴様も悪いようにはなさらないかと」

「そうでしたね。京には優れた医師がおられますから、きっと良くなるでしょう」


そう聞いて一番安堵したのはお市の方の娘たちだった。

自分たちが柴田家に入ったことで、勝豊の居場所を狭くしてしまったのではないかと後ろめたい気持ちを抱えていたのかもしれない。

もう少し気を遣うべきだったと勝敏は反省した。

けれども勝豊が父勝家と再会できる望みがあると知って、妹たちは喜んでくれたようだ。


「若様、若様はこちらに居られますか?」


声が近づいてくる。侍女が誰かに頼まれて探しに来たのだろう。

勝敏は一礼して席を立った。


「ああ、こちらに居られましたか」

「皆に請われて話をしていた。何事か」

「佐久間玄蕃允様、柴田三左衛門様がお越しになられましたので、軍議の間に参られますようにとのお言付にごさいます」

「よく報せてくれた。すぐに参る」


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