【屠殺場、牛殺しの政】 人の為に犠牲になる牛、牛が殺処分されるまでの短い記録。
生き物は生まれてこの世に生を受けたからにはいつか死を迎える。
有名な僧侶や神の使い手でさえ、あらゆる手を使っても死を回避することはできない。
もし生まれながらにして死期が数ヶ月後に定められていたら、人はどんな気分を味わうだろうか?
この世に生を受けた、わずか9ヶ月の命。
人間の胃袋を満たすために飼育され、命と引き替えに最後は肉となり死を迎える。
人間のためにその身を捧げ、人間のために魂を献上する。
この物語は食べるために飼育された家畜、牛や豚たちのレクイエムである。
人の手によって殺され、そして食べられる運命にある牛や豚たちに捧げる鎮魂歌である。
彼らが自分の命を感じられるのは生まれてから出荷されるまでのごくわずかな期間。ほんの9ヶ月だけだ。
屠殺場。
許可された食肉解体場以外では牛を解体することはできない。法令で定められているからだ。
屠畜場法の対象になるのは牛、馬、豚、ヒツジ、ヤギの5種類。猪や鹿、クマなど、狩猟の対象となる動物は、屠畜場での解体が困難として、対象としていない。
この物語は1匹の牛が育てられ、そして食肉になるまでの短い記録である。
そこに悲しみなどあってはいけないと思う。
人間のエゴだと笑うがいい。
運命を呪うがいい。
人間は生きるために魚を殺し、牛を殺し、植物の命を断って今を生きる。
人の為。
人類の未来のため。
子孫をつなぐために牛や豚、にわとりは犠牲にならざるをえない。
ご存じの通り、犠牲の犠の字。犠牲の牲の字も牛偏です。
牛は広く、古代は日本の魏志倭人伝の時代から、またユダヤのソロモン王の時代から、祈りを捧げるための儀式に用いられ、そのたびに命を奪われ人々の胃袋を満たしてきた。
身も心も捧げる交換条件として、辛うじて今日まで遺伝子をつなぐことを許された。
猫や犬のようにもっと小型化して生まれてきたなら、どんなによかっただろうと思う。
この人間の時代だって、沙羅双樹の花の色のように、巨大な惑星が地球に衝突したりして、いつ終わりを告げるかもわからない。
永遠と呼べるものなんて、この世にない。
人の世の中は諸行無常の響きに満ちていて、ひとえに風の前の塵と同じだ。
今日も悩める1人の男がいた。
「もうあなたとは一緒に暮らせません」
「オレだって好き好んでこんな仕事してるんじゃない。誰かが汚れ仕事しなきゃ、世の中うまく回らないんだ」
「なぜ黙っていたんですか?」
またこの話しか。長尾政は日本酒をちびりちびりあおりながら身重な妻に説明した。
「オレはたしかに牛や豚を殺している。1日に数百頭。いや数千頭。肉にするため家畜を殺している。すべては人の為だ。感謝されるいわれはあっても非難されるおぼえはない」
政はついこの前まで妻に仕事内容を伝えていなかった。あえて詳細を語る必要はないと思っていた。
あるとき、些細なことがきっかけで妻に仕事の詳細を語ってから、夫婦喧嘩が絶えなくなった。
「私はね、身重なときは無殺生を貫きなさい。そう両親に教えられて育った。たとえゴキブリ1匹でも、殺せば生まれてくる赤ちゃんに影響を及ぼすって教えられた」
政は少しうんざりして日本酒をあおった。よく冷えた冷酒が、政の胃袋をじりじりと焼いた。
「あなたは1日に何百頭という牛や豚の命を奪っている。なんの罪もない牛や豚をその汚れた手で殺している。生まれてくる子供に何かあったらどうするの? あなたのせいだわ」
政の月収80万円に惹かれたのは麻巳子の方だ。麻巳子の猛烈なアタックに遭い,結婚を決めた政だったが、いつしか夫婦の関係は修復できないものになっていた。
政がこの仕事に就いたのは今から10年前のことで、れっきとした東京都の職員、国家公務員として採用された。
面接を受け、たしかにここで働いていては結婚できなくなるとは思ったけれど、いい人に巡り会えた。勤めて5年後、政は所帯を持った。その相手が今の妻、麻巳子だ。
月収80万円。
この話を断れる方が異常だろう。
政は3000万貯蓄したら、すっぱりこの仕事から足を洗うつもりでいた。
「牛や豚の肉、おまえも食べるだろ」
「私は食べません」
「なら魚や菜っ葉はどうだ?」
充血した目を血走らせ、政は妻の麻巳子に言った。
「魚や植物だって、もとは生き物だ。オレ達は生き物の命をいただいているんだ。仕事にキレイも汚いもないだろう?」
政が食い下がるが、それでも麻巳子は納得しない。2人の物言いは、いつも平行線だった。
残業はほぼない。そればかりか早く帰れることが多く、肉も食肉センターで安価で新鮮なものを購入することができた。
麻巳子はいつからか肉類を全く食べなくなった。というより食べられなくなってしまった。
「おまえが口にする野菜だって魚だって、元を正せばみんな生き物だ。野菜や魚だから殺してよくて、牛や豚だから殺しちゃいけないってことはないと思うが違うか?」
麻巳子はけして首を縦に振ろうとはしなかった。
1日、多い日で牛を350頭。豚を1200匹解体するのはたしかに骨が折れる仕事ではあったけれど、流れ作業で受け持つのはわずか1工程なので、牛や豚が苦しむところを直接見るのはごく限られた一部の人たちだけだった。
政は次から次へとやってくる牛の額にノッキングガンを発射する部署を任されていて、牛の死に直接関わる仕事をしていた。
頭蓋骨に1センチほどの穴を銃で開け、牛が失神している、気絶しているわずかなすきに脳への酸素供給を断つ。
牛の延髄を大型のナイフでえぐり、素早く後頭部から血液を抜き、そのあとに解体作業が始まる。
裂いた肉片から吹き出す血液は、まるで熱湯のように熱く、まるでお湯のように湯気だっている。
10年ほど前は、ハンマーで鼻の頭を強打する方法が採られていて、そのころはさすがの物怖じしない政もノイローゼ気味になった。
牛のこの世のものとは思えない悲痛な叫び声。グギー。ギャーという悲鳴のような叫び声が、しばらく耳にこびりついて離れない時期もたしかにあった。
夜、脂汗をかいて、うなされて何度も飛び起きることも多々あった。それもこれも金の為だ。夫婦が人並みに暮らしていくため、生活のために仕方なくやっているにすぎなかった。
鼻をハンマーで強打する方法はあまりにも残酷だということで、電気ショック法を採用するようになり、そして最終的にノッキングガンが採用され、今となり落ち着いた。
どちらにせよ牛は痛みを感じることなく、気を失っているほんのわずかなすきに、解体が手際よくすすめられることになる。
牛の辺り一面に広がる血の匂いと加工された生肉の匂い。
ドスンと倒れる牛の地響きで、順番待ちする牛も何かを感じるらしく、懸命にグギーグギー。ギャー。懸命にいやいやをして鼻にかけたロープを振り切ろうとする。
けれど運命を覆すことはできない。
皮をひんむかれ、胴体を左右均等、真っ二つに切断され、首を落とされる。素早く血抜きしたあとは悲惨だ。床が辺り一面、血の海となる。
それを1日、牛で350頭。豚で1200頭、ただひたすら繰り返す。常人でもよほど気を確かに持たないと気がふれそうになる。でも誰かがやらなければ、牛や豚の肉が食卓に並ばないのである。
政がこの仕事を打ち明けたのは酒の勢いも手伝い、また妻、麻巳子にだけは理解してほしいといううぬぼれがあったからだ。
公務員の仕事に惚れた麻巳子だったけれど、それがまさか屠殺の仕事だとは思ってもみなかった。
麻巳子は複雑な気持ちを抱いたまま、政の子供を果たして産むべきか、それとも堕ろすべきか決断がつきかねていた。
自分は悪魔の子を身ごもっているのではないか? 五体が満足でない子供が産まれてきたらどうしよう。麻巳子は気が気でなかった。
麻巳子はこれから生まれてくる子供を直人と名付けた。正直で、まっすぐで、実直な人に育ってほしいと願い、直人と名付けた。
不幸は不幸を呼ぶ。
一抹の不安は、悲しいかな現実となった。
麻巳子はその年、妊娠8ヶ月で2階の階段からころげ落ち、流産した。麻巳子は政を責めた。
責めなければ、自分がどうにかなってしまいそうだった。
バチが当たったのだと気違いのように病院のベッドで髪を振り乱し、麻巳子は半狂乱になった。
「これは天罰だわ。牛の呪いよ」
こんな殺気だった麻巳子を見るのは、初めてのことだった。
「子供はまたつくればいいじゃないか。直人には気の毒だけれど、また子作りすればいい」
「そういう問題じゃないわ、さわらないで」
政が肩に触れようものなら、麻巳子が怒鳴り散らし、威嚇した。
あの忌ま忌ましい事実を知ってからというもの、麻巳子は政に触れられるのも拒むようになった。
汚いものを見るような目つきで政を見るようになり、夫婦関係は3年で破綻した。政は独り者になり、またかつての独身に戻った。
それを知る前と知った後。
政は何も変わっていないのだけれど、麻巳子の目には何かが違って見えたのだろう。
誰が悪いわけでもない。人によっては全く罪の意識を感じない人もいるだろう。麻巳子は性格が優しすぎたのだ。
心が清く、温和なために、自分を許せなくなってしまったのだ。
水清ければ魚は住めず。
世の中とはいかに上手に汚れと馴れ合っていくかだ。
舞台は牛を飼育する牛舎へと移った。
牛を屠殺する人がいるからには、牛を大切に育てる人がいる。
種牛を買ってきて黒毛和牛を育て、時期が来たら牛をまとめて食肉センターに手放す。
近藤さんの家では黒毛和牛を50頭飼っていて、自宅でチーズの販売をし、ハムやソーセージをネットで売っていた。
近藤さんが育てた牛は政が勤める食肉センターに卸され、近藤さんは政とも顔見知りだった。
ミルクを絞り、チーズを作り、9カ月、肉牛を飼育して牛を食肉センターに送り出す。
牛は人々に食されることで天命を全うする。人の役に立ち、料理の食材となることで、その役目を担う。
悲しい運命だと言われようが、それを変えることは誰にもできない。もしも種牛として育てられたなら、その他、大勢の牛と異なり、寿命を全うすることができたかもしれない。
もしも乳搾りのために飼育された牛なら、違った意味でもう少し長く生き延びられたかもしれなかった。
選ばれし牛の特権。それが花子や太郎、次郎にはなかったということだ。
牛には子取り生産を目的とした繁殖用の牛と肉牛用の牛、そして牛乳用に飼育される牛がいる。
肉牛用の牛にもホルスタイン牛、和牛。色々な種類があり、やはり用途に分けて出荷された。
最近では肉の固いホルスタイン牛の肉を1ヶ月かけて冷蔵庫の中で熟成させ、発酵させ腐らせ、カビだらけの肉を食すのがブームになっていた。
肉は腐る一歩手前が1番おいしい。これは肉牛を扱う人なら誰でも知っていることだ。
腐らせた肉は発酵し熟成して、肉の味にまろみがでるからかなり本格的になる。
肉の内部にグルタミン酸、アミノ酸が大量に生成され、それが食べる者の舌をうならせる。
また肥育用の用途で、それぞれ飼養方式、エサも微妙に異なっていて、乳期、育成期、飼育期でも、それぞれエサの内容は異なっていた。
近藤さんは、多摩の食肉センターと契約を交わしていて、毎年、ある時期になると、牛をまとめて引き取ってもらっていた。
元気な牛の花子。牛の太郎も、あと2ヶ月ほどで出荷の時期を迎える。
子供達が花子、太郎、次郎になついていて、よく牛舎にきてはトウモロコシの葉、米ぬかの餌やりをした。
太郎も花子も近藤さんの愛情をいっぱい受けて育ち、なんの悩みなく平和な日々を送った。いつまでも続くと思われた牛の生活は9ヶ月で終焉を迎え、やがて次の命と引換えになる。近藤さんは庭に建てた《畜魂碑》の石像を毎朝拝むのを忘れなかった。
「今日まで暮らしていけるのは、おっかあと牛たち動物のおかげだ。動物がいなければ、オラ達は暮らしていけなかったずら」
近藤さんは瞼を閉じ、動物たちに感謝の言葉を述べた。
今日も朝4時半に起き、牛舎へと向かう。
牛たちは近藤さんが訪れるのを今か今かと待ちわびていて、モーと鳴いて、近藤さんを出迎える。
花子は風邪気味なのか、鼻水をたらしていて、寒い寒いと目で訴えた。エサに抗生物質を混ぜることにした。
太郎はまだ寝ぼけているようで、まだ眠たげだった。口から湯気を発しながら、エサを口に運ぶ次郎。
「おまえ達と暮らせるのも、あと2ヶ月だな」
近藤さんは少ししんみりして、次郎の鼻先を前後になでた。
今日は牛舎に牛が10頭運ばれてくる日で、その中には出産を数ヶ月後に控えた種牛も2頭含まれていた。
出産してくれるのはもちろんうれしい。でも出産と同じ数だけ別れの数があるのも事実だ。
動物たちを食肉センターに運ぶ際の、牛たちの喜ぶ姿が、目に焼き付いて離れなかった。
牛たちはどこか広い、牧草の生い茂った高原に運ばれるものだとばかりに喜び、近藤さんに別れを告げ食肉センターへ向かう。まさか自分が殺される運命にあるとは、そのときの牛は思わないのである。
牛たちが恐怖を味わうのは、食肉センターで気絶させるために狭い通路に追いやられ、鼻にかけたロープ、鼻ぐりを引っ張られる時だ。
その頃には血の匂いや生肉の匂い。気配で牛は死を悟る。
でもどうにもならない。
その場から逃げ出したくても、次から次へと後ろから牛がやってきて、前へ進むしかないのである。
後ろに数センチ後ずさりしたって、もう手遅れなのです。話を戻そう。
花子は生後7ヶ月を迎え、すくすくと順調に育った。黒毛和牛の花子は、このまま自分も歳を取り、雄牛に恋をして出産し、寿命を全うできるものだとばかり思っていた。
生育期を迎えた花子は、食べたいだけ食事を与えられ、なんの悩みもなく今日を迎えた。
毎日は平凡だったけれど、いやなこと1つなく、近藤さんにも暖かく見守られた。
《ここから出たいな~。外はもっと素敵なんだろうな~。太陽が空に昇っていて、エサも天然のエサが食べられて》
花子は隣の芝生が青く見えて仕方なかった。
《ここから出たいな~。ほんの一瞬でもいいから楽園を見てみたい。まだ見たことのないユートピアには、何があるんだろう?》
花子は胸をふくらませ、まだ出会えていない恋のキューピッドを思い浮かべた。
1週間が経ち、2週間が過ぎ。
やがて冬が訪れ、2ヶ月が過ぎた。
花子も次郎も太郎も、とうとうお別れの時を迎えた。
近藤さんがそれぞれの牛の頭をなで、
「今日までありがとうな。元気で暮らすんだぞ」
牛に祝い酒、ビールを飲ませた。牛たちに言った。
「おまえたちは今日までよく頑張った。立派だったぞ」
牛たちは自分の運命を知ってか知らずか尻尾をふり、新しい門出を喜んだ。
次の日の朝、牛は4トントラックに積まれ、多摩食肉センターへと向かった。
《これから何が起きるんだろう》
牛たちは、みなこれから起きる出来事を想像して思い思いにふけった。
牛に感情があるのかって?
そりゃおおいにあるでしょう。
ためしにストレスを与え続けた牛の肉は、固くて味もイマイチになるから、試してみるといい。
トラックに揺られ、10頭の牛が多摩食肉センターへ向かった。
牛たちはこれからどんなおいしいごちそうを食べさせてくれるんだろう。つかのまの楽園を夢見た。
これで狭い牛舎から出られる。念願の自由だ。
この日が訪れるのを今か今かと待ち望んだ。
ちょうど半年前にも、牛が大量に連れていかれたのを目撃していた牛舎の牛たちは、やっと自分の番が訪れた。そう言って喜んだ。
車で3時間かけて運ばれ、ようやく目的地へと辿り着いた。
牛舎が食肉センターの入り口で止まった。
運転手は建物の入り口にある畜魂碑の前に歩み寄り、石碑に深々とお辞儀をした。
手を合わせ、南無妙法蓮華経を唱え、持っていた数珠で祈りを捧げた。
「魂よ、静まり給え」
運転手は一言、小さな声でつぶやいた。
今日連れてきた10頭の牛も、あと4時間もすれば皮をそがれ、頭部を切り落とされ、電動ノコギリで背割りされる。
おまえたちが生きていられるのも、あと4時間たらずなのだ。運転手は時計を見て、時刻を確認した。
幸い納品する時間より30分早くついたため、積荷を急いでおろす必要はなくなった。
食肉センターの従業員が2人、車に近づき、車の荷台に傾斜をつけた鉄の板を取り付けた。手慣れたもので、運転手もそれを手伝った。
牛たちが一頭ずつ、トラックからおろされた。
建物の出口には、ひんむいたばかりの湯気だった牛皮がベルトコンベアーに載せられ、大きな鉄のカゴに次々と重ねられていった。血の匂いをがきつけたカラスがせわしなく上空を飛び回る。
カアカアと鳴いて、何か食べられるものがないか建物の周囲をうかがった。
10頭の牛はすべてトラックの荷台からおろされ、洗浄するためにシャワー室へと向かった。そこからは流れ作業で、鼻輪にロープをくくりつけられ、次々と前へ向いて歩かされた。
ぬるめのお湯を浴びた牛はそれはもう夢見心地で、早くごちそうを食べさせてくれと鳴いた。
牛は次々に順番に並べられ、まだ解体の終わっていない50頭の牛の次に並んだ。
辺りには生肉のなんともいえない匂いと、甘い血の香りが立ちこめた。尋常じゃない悲痛な叫び声を上げる牛もいた。
牛たちは何が起きているのか現場を確認することもできず、ただいたずらに順番を待った。
少しずつ牛が前に進み、15分くらい間隔を置いて5メートルほど前に進む。
牛たちは自分たちが死の行進をしていることに気付くこともなく、ただ赴くまま自分の順番が近づくのを待った。
牛が気を失ってどすんと倒れる音が10分おきくらいに響き、ときどきいやな叫び声がこだました。
やがて4時間が過ぎ、とうとう花子の順番が巡ってきた。
狭い通路のダーティーゾーンに押し込められた花子は、通路を前に歩くように従業員の男に促された。
目の前を歩いていた牛がドスンと倒れる音がして、花子は後ずさりした。
グギー。
ギャー。
半狂乱の声が2メートル前の通路から聞こえてきて、花子は首を振っていやいやをした。殺されるかもしれない。いやだ。
わたしは死にたくない。
半狂乱の花子はついたてを蹴り飛ばそうとして場外に出ようとしたけれど、金属でできた鉄の板はびくともしなかった。
鼻ぐりを誘導レールにつながれた花子は、狭い鉄製の囲いの中に押し込められ、自由を奪われた。気絶させるために狭い通路に追いやられる花子。
花子は狭い空間に閉じ込められ、そこで数分を過ごした。
もはやここまできてしまってはどうにもならない。
何が起きるのだろう。でもここがパラダイスでないことは、自分でもよくわかった。
目の前には目が血走った30代の若者がいて、手に黒光りする銃のようなものを持っていた。その男が麻巳子と離婚したばかりの政だった。
身動きが全くとれない状態で額に銃があてがわれた。
「悪く思うなよ、エイメン」
政が言い、そして牛はノッキングされ、花子は手足を痙攣させて床に崩れ落ちた。ものすごい音がして、やはり後続の牛も後ずさりした。
花子の後頭部、延髄の部分に素早くナイフがあてがわれ、血があふれかえるように吹き出た。
流れ出る血液はヤケドするほど熱く、ものの数分で花子は失血死、即死した。
動脈を切られた花子は放血し、床に血のかたまりをつくり、手足をピクピクと痙攣させた。
前足と角を電動ノコギリで瞬時に切断され、後ろ足を天上のレールに吊すような形になった花子は、もう既に息をしていなかった。
手をだらんと下げ、下向きに吊された花子は、哀しいかなコンベアーの流れ作業に乗った。
むかしはハンマーで鼻を叩いて失神させたり、鉄の棒が飛び出すピストルで鼻を撃ち抜いたそうなので、それを思えば気を失った一瞬で精肉される牛は、痛みも少なくよいのかもしれない。
花子の手足はまだブルブルと震えていた。
大きく足をばたつかせて歩くような仕草を繰り返す花子。
四肢を痙攣させ、それでも歩くような仕草を懸命に繰り返した。これは脊髄反射によるものらしく、既に意識はなく、苦痛も感じていない状態らしい。
動脈切開の際、消化器官に入っている未消化のエサが逆流しないよう、食道バンドで消化器官を二重に、くくった。これから先は、牛は両足を吊された状態で作業が進められる。
床や壁には一切触れないので、雑菌がつく心配はなかった。吊された牛は、すぐさまエアーナイフで皮をひんむかれ、スチームバキュームで洗浄され、次の工程であるクリーンゾーンに送られた。
チェーンソーで首を落とされ、落とした首から脊髄を吸引し、頭部はすぐさまBSE検査に回された。
肛門をナイフで裂き、腸の先をまたバンドでくくり、更に次の工程に回す。
これは腸の内部にあるクソが、外部に流れ出るのを防ぐためで、次いで内臓を摘出する作業が待っていた。
白物と呼ばれる胃や腸を全摘出し、次いで赤物と呼ばれる心臓、肝臓、肺を体から取り出す。
こちらも焼き肉店用に卸され、貴重な食材となる。そして最後に花子は電動ノコギリで背割りされ真っ二つとなり、枝肉、精肉となった。その間わずか35分の出来事でした。
ひんむかれた牛革はベルトコンベアに乗せられ、鞄や靴などをつくる製造業者へと格安で引き取られていく。
皮は、ひんむかれたというのに、まだピクピクと動いていて、何か不思議な生き物を思わせた。
無駄なものは何ひとつなかった。
すべて食料、油、革製品。
食べられない部位は猫の缶詰。犬の餌に生まれ変わった。
ナイフを扱う作業なので、ときどき誤って人間が指を切断したり、骨折したりすることもあったけれど、それはまれな出来事で、滅多に起きることではなかった。
牛の肉をいただくということは、その動物の命をいただくことです。政の言葉が耳元でこだました。
病気で死んだ牛や豚の肉を食べるのは禁じられていますので、人々はどうしても生きた動物の命をいただくことになる。
かわいそうと思う人も多いでしょうが、人々の胃袋を満たすため、人が生きていくためには、ある意味しかたがないことなのです。
屠殺を専門に扱う人たちがいなければ、これまた人々が牛肉や豚肉、鳥肉を食べられないわけで……。
花子は残留毒素の検査を受け、肉から医薬品、過剰なホルモン剤が検出されなかったのを確認したあと、翌日、食卓に並ぶことになった。
乳牛は肉が固いのでハムやソーセージの原料になるが、花子は黒毛和牛なので加工されず、そのまま精肉となり、店頭に並ぶことになった。
家畜を育てるには大量の穀物がいる。
穀物を育てるのにも化学肥料や大量の農薬が用いられるわけで。それなりに費用がかかる。
それを食べる牛や豚が抗生物質や毒素を体に一定以上残留させていないかを見極める検査も必要だった。
これら牛の飼料となる穀物の何分の一かが先物に回されるわけですが、家畜の飼料としてではなく人間の食べ物として発展途上国の人々に回されたなら、おそらく餓死者の多くは救われることでしょう。
いまや家畜はマネーゲームに用いられるようになっていて、飼料に使われる穀物の値段も天井知らずだった。
メタボぎりぎりに育てられた北京ダッグやフォアグラのように。
霜降り和牛も、牛にとっては、甚だ迷惑な話なのかもしれない。
運動をまったくさせてもらえず、ただ高カロリーな食べ物を際限なく与えられ、人工的にメタボぎりぎりの霜降り肉を作り出す。
肉を軟らかくさせるために牛は去勢され、扱いやすいようにという理由で、人間が怪我をしないために角を切り落とされる。
やがて人類は癌や病気から身を守るため内臓移植用にクローン人間を1人1体、持つ時代が訪れるという。
胃がんや肝臓癌を患ったオリジナルである患者が、言葉をしゃべれない自分のクローンから肝臓、胃、目玉などを取りだして移植する日が,近々訪れるのではないかと言われている。
誰の世話にもならず誰にも迷惑をかけず。自分の力だけで今を生きる。そう思うのは勝手ですが、それは思い上がりというものではないでしょうか。
生きたくても生きられない命があるということ、犠牲になる命があること、心の隅でいいから知っておいてほしいと思う。
動植物の悲しい宿命。
死を直前に控えた悲痛な叫び声。
それらがけして無駄にならないためにも、人生を諦めないでほしいと思う。
あなたの命を明日へとつなぐために、犠牲になる無数の命がある。
人は何かの犠牲の上に成り立っていること。人が生かされていること。どうか忘れないでください。
花子は成仏した。
人々の記憶に残り、そして広く語り継がれた。