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その29 狙撃手と剣姫19

「ぅあっちぃ!! あちゃちゃ!! くっ! くそなんつー火力だ」


 掠めただけだった。ほんのわずかに時間を止めて動いたことが幸いする。

 しかしそれでも、熱風と火の粉だけで全身を軽く火傷していた。この上如月をかばいながらであるため、自分は戦えそうにない。

 走って角を曲がる。そのまま顔を出して様子を伺った。しかし……この炎の量なら術者自身もただじゃすまないんじゃなかろうか。明らかに倉庫全体を満たすほどの炎量だ。エクスは思考する。隣ではアイリスも、額に玉の汗を浮かべながら状況を伺っていた。


「無駄ですよ」


 サラの声が聞こえてくる。やがて静かな足音とともに、燃え盛る炎の中から彼は現れた。

 片手には仕込み杖。抜きさらわれたその剣の腹には、うずくまるトカゲの『紋章』が浮かんでいる。今はぼんやりと明滅を繰り返していた。覚醒している証だ。

 サラは無傷だった。濃紺のスーツには焦げ一つなく、炎が直撃しているというのに全く涼しげな表情である。

 遅れて現れたサラマンドラを後方に従えても、全く顔色を変えない。こちらは距離があるというのに、滝のように汗をかいていた。


「サラマンドラの真骨頂は炎を吐くことではありません。術者に強力な()()()を与えることです」


 ゆえに、


「剣姫、アイリス・アイゼンバーン。あなたは私には決して敵わない」


 一歩一歩、サラはエクスたちに近づいてゆく。


***


「おい、来るぜ」


「ええ。まさかまさかですわね。『銀色のスナイパー』の一味、あんたらと一緒に死にそうになるとは」


 エクスは如月を抱えなおした。さて、どうするか。万事休すとはこのことであろう。

 煙で目がかすむ。めらめらと周囲が燃え盛る中、孤児院の中庭で三人は対峙していた。


 強力な炎耐性。

 なるほど、アイリスがそれまで手出しできなかったのはそのためか。エクスは思考する。

 そもそもサラが奴隷の売買を斡旋しており、デーモアとアイリスがそれを止めようとしていたという構図。

 ならばアイリス……剣征会の真打ちがサラを殺せばそれで丸く収まるではないか。

 単体の武力なら超人的なものを持っている真打ち。普通なら一人の奴隷売買のブローカーを殺すことくらい、赤子の手をひねるよりも簡単であろう。


 ()()()()


 いわゆる『相性』というやつだな、とエクスは結論付けた。

 アイリスを見てみると、あのいつもの悠然とした笑みと振る舞いが存在しない。

 紅蓮の瞳はところどころ陰ったように揺らめき、表情は固かった。

 それになにより……


「ねえ、銀のスナイパーの仲間」


「あん?」


「お願いがあるんですの。『フレアクイーン』を……私の得物をとって来てくださいませんか」


***


 玄関から西の方にちょっと下ったところにある馬車。その中にありますから。

 炎に照らされる中、アイリスはエクスに言った。


 そう、彼も懸念していたことだ。

 戦おうにもアイリスは剣を持っていない。いや、持っていたとしても全く勝負にならないだろう。

 アイリスが炎使いで、サラに一切炎が効かない限り、この上下関係とでもいうべき相性は覆せそうにない。

 では、自分はどうか。いくら神の能力があろうと、負傷した如月を抱え、加えて戦うということ自体は……不可能だ。


「……勝算はあるのか?」


 エクスは尋ねた。アイリスは答えない。金色のカールした髪が、火炎の余波でゆらゆらと揺れている。

 周囲は炎が満たしていた。孤児院は萌え盛り、周りの雑木林にもその火が移ろうとしている。


「信用しますよ」


「あん?」


「さっき貴方はわたくしを助けてくれましたから、信用します」


 ()()()()()()()()()()? 


 それから彼女ははっきりと続けた。

 エクスは驚いた様子でアイリスを見る。彼女は依然として険しい表情で彼を見つめていた。

 それまでと異なっているのは、紅の瞳から敵意の光が消えていることである。


 アイリスは一度空を見た。焼け付く炎が登る暗黒の空は、うっすらと赤らんでいる。

 垣間見える月が、エクスの顔を青白くてらした。


「なあ、お前は本当に……無実なんだな?」


 こちらを見ずに、今度はアイリスは即答した。


「わたくしは、奴隷でしたから」


 再び角から顔を出してサラに視線を移す。感じる熱量が一層増していた。

 案の定だ、もうあと少しでここまで到達してしまうだろう。勝利を確信するかのようにその足取りは遅く、かといってこちらに打開策はない。


 エクスは、

 少なくともお人好しである。人の頼みは断れない人間だ。

 だが、そのような性格からアイリスの言葉を了承したのではない。


「……」


 ()()()()()()()


 彼はアイリスのその言葉を反芻する。そう、自分にそれを告げたのだ。

 剣征会に入隊する際に誰にも明かさなかったほどの身の上を、今この段階でエクスに話した。

 エクスの黒色の瞳と、アイリスの赤色の瞳。双方もう一度視線を合わせた。

 どちらともなく頷くとアイリスは一歩前へ。そのままサラマンドラ……この事件の真の黒幕と相対する。素手で、得物なく、だ。

 サラは歩みを止める。つづいてニヤリと笑った。「ほう」


「自分から死ににきましたか。真打ちよ」


「おい! アイリス! 5分だ! なんとか5分持ち堪えろ!!」


 同時に、エクスは駆け出す。どういうことなのかサラは理解できたが、かといって追うことはしなかった。

 どこぞの知らない殺し屋の仲間より、目の前のこの剣客を確実に殺そうではないか。仕込み剣をきちりと鳴らし、その刀身の紋章を撫でる。

 呼応するように後方のサラマンドラがぐるるると唸った。それを見て、アイリスはゆっくりと拳をに握る。

 サラマンドラの吐く息に、紅のドレスと真紅の剣装がふわりと揺れる。


「ひとつお聞きしたいのですが、サラさん」


 剣姫は拳を胸の前に構えた。

 エクスを圧倒した体術だが、そもそもこのような強力な精霊相手には、気休めにもならないだろう。

 それでもいい。5分だ。5分持ちこたえればなんとか。

 それはそうと、彼女は気になることがあった。スーツの裾にまとわりつく炎を払うサラに言葉を紡ぐ。


「貴方、闇ギルド所属の人間じゃないですね」


 サラもまた剣を構える。アイリスの問いかけに彼は無言だった。

 だが、やがてわずかに口角を上げる。「ご明答」

 隠していても良かったが、どうせ目の前のこの人間は殺すのだ。ならばネタばらししてもいいだろう。冥土の土産というやつである。

 

 それに、

 どうやらこの真打ち……アイリスは自分の所属を知っているらしい。

 サラはほんのわずかに考えた。孤児院関係で『自分たち』と繋がりがあるなら、それはひとつしかない。なるほど、そういうことか。


「私は『ジェイド帝国』の人間です」


 彼は言う。






「───────貴方を奴隷としてこの国に売った、帝国の人間ですよ」 

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