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その26 狙撃手と剣姫16

 まさかまさかだ。

 エクスは思う。全く頭を抱えたい気分であった。なんてこったい、どうしてこっちに剣姫がいるんだ。

 デーモアの護衛ならあいつの寝室の方に付いていた方が、よほど現実的であろう。

 そういう可能性も考慮して如月にデーモアを打たせに行ったのであるが。今頃向こうで拍子抜けしているはずだ。そして証拠を探しているためこっちには戻ってこない。


「う、うりゃああっ!」


 ええい、文句ばかり言っていても仕方がない。戦うぞ! やってやる!やってやる!やってやる!

 己を鼓舞しながら彼は剣姫に走り込んだ。そうだ、そもそも自分だって殺し屋の一員だ。殺しは嫌いだがその自覚ならあるさ。


 拳を振り抜く。当たらない。寸でのところで屈むことで回避されてしまった。

 カールした金髪にわずかに触れるのみ。間髪入れずに前蹴りを放つ。

 これもまた体を開くことで回避された。紅のドレスがはためく。赤色と錯覚しそうなその腕が動き、直後に伸びきったエクスの足を下から真上に跳ね上げた。


「うわっ!」


「おほほ、そらどうしました。こちらですよ」


 バランスを崩してつんのめる。ソファにぶつかりそのまますっ転んでしまった。

 慌てて起き上がるが、追撃はこない。口に手を当てて笑っている。


「ちくしょー……舐めやがって」


「悔しかったらビンタの一発でも入れてごらんなさいな。逃げも隠れもしませんわよ」


 「うわあああっ!」吠えながら再び彼は走った。右手で拳を作り、そして左手は


()()()()()()しないんだな」


 左手は、ペンダントに触れている。

 この時、ほんの一瞬だった。時間にしてまさしく『1秒』きっかりである。

 万人にとって時間とは平等なものだが、この場の1秒ニオイテその認識は正しくないものとなったのだ。

 その1秒、エクスは動き、アイリスは動けなかった。


「!?」


「喰らえっ! おりゃあ───────」


 目の前にエクスはいた。剣姫が明らかに『1秒』遅れをとったのだ。いくら剣豪でも停止した時間の中で動くことはできない。

 拳をそのまままっすぐ振り抜く。アイリスの真紅の瞳がハっと見開かれた。

 直後に彼女は首を傾げて回避を試みた。このまま振り抜いていては、あと僅かのところで当たらないだろう。拳闘の範囲であるこの状況。

 近距離の攻撃でも反応し、回避することができる。さすがは『剣姫』だった。


「(……いまだ!!)」


 今度は、0.5秒。ペンダントに触れた瞬間ずきりと体が痛んだ。先ほど警備員をやり過ごす時に使用した30秒の影響である。

 一度に長く止める分はまだ楽だが、立て続けに使用するのも問題であるらしい。

 とはいえ、この1秒の半分。彼はその一瞬で僅かに拳の向きを修正した。戦闘の素人で、当然ながら技もなにもあったものではないが、しかし、拳の位置をほんのわずかに傾けることくらい可能だ。


 近距離から、至近距離へ。


「っ!」


「────あああ───────」


 またもやアイリスはわずかに遅れることになる。刹那の思考時間、彼女は思う。どうも妙だ、先ほどから明らかに自分は回避しているにもかかわらず、その回避を辿ってくるかのような動き。

 目の前のこの殺し屋の仲間……の拳が、もう鼻先まで迫っていた。考えている暇はない。

 体を大きく傾け、今度こそ再び拳を避け


「(させるかっ!)」


 今度は、0.1秒。もはや針は動かさすほんの少し『触れた』だけだ。

 追従するように拳の位置を微調整する。いや、そもそも動かしたかどうかも定かではない。

 ちょうど、数ミリにも満たないずれだ。まさしく『紙一重』のアイリスの回避を、紙一枚分動かすことで潰そうとしているのだから。


 至近距離から、


 至近距離から、零距離へ。


「──────ああああ!! もらったぁぁああ!!!」


 0.1秒後。

 ちょうどエクスの拳はアイリスの鼻っ柱に触れていた。


***


 そこからまるでスローモーションだった。ゆっくりと状況が流れてゆく。

 切羽詰まった状況であときに体感時間が極めて遅く感じられるというが、

 今エクスが見ているその光景は、まさしくその現象によるものだ。自分の拳がゆっくりと進み、アイリスと距離が肉薄する。

 ちょうど彼女の形の良い鼻に触れ、端正な顔立ちに一打入れようとしていた。もう次の瞬間には……

 そこで気づく。紅蓮の炎を思わせるアイリスの瞳、その真紅と目があったのだ。

 一瞬のことであった。それからすぐにアイリスの視線は下に向けられる。釣られるように彼もそちらを見た。


 ちょうど自分の腹部。その中央。

 ドレスから伸びた腕。その拳がぴったりとくっつけられている。


 これは、

 当て身────────────






     ドゴンッ!!!






 直後、

 エクスは痛烈な衝撃と共に吹っ飛ばされた。

 悲鳴をあげるまでもなく壁に激突し、これまた悲鳴をあげる暇もなく激痛が襲ってくる。

 どうやら正中線のど真ん中にもろに打撃を入れられたらしい。声にならない声をあげ、彼は悶絶した。

 口の中に酸っぱいものが溢れ出す。血混じりの唾液を吐き出した。


「う……そ、だ……ろ」


 あ、無理だこれ。

 ぐらつく視界で彼は剣姫を見た。ちょうど腹に一撃入れた体勢のまま、こちらを見下ろしている。

 無理だ。絶対無理。勝てるわけがない。そもそも今の俺の拳に反応したってのかよ!? ほとんどままならない思考であったが、それでも驚愕を禁じ得なかった。

 彼は思う。『零距離』のあの状況で、即応しカウンターを叩き込む反射神経、動体視力。

 改めてアイリスの身体能力に驚かされた。こりゃダメだ。とても敵いそうにない。


 立ち上がろうとしたが、直後目の前に感じる気配。

 近づいてきたアイリスに思いっきり蹴り飛ばされ、またしてもエクスは吹っ飛ぶ。机に思いっきり頭をぶつけた。


「ぎゃっ!!」


「茶番はこの辺で終わりにしましょうか。さてどうしましょう、首を絞めて殺そうか、それとも骨を折って殺そうか」


 言いながらゆっくりと近づく。ああここで死ぬな、とエクスは思った。

 考えてみると自分が剣姫に戦いを挑もうなんて、その時点で無謀だったのかもしれなかった。

 原因不明だが剣を持っていないアイリス。得物がなければ勝てると思ったのだが、そうはいっても基本的な動きからして次元が違ったようである。

 身体能力、格闘センス、慣れ、何もかもだ。それこそ、自分が敵いそうなのは逃げ足くらいのものだろう。


「う、うぅ……」


 と、そこで目に入るものがあった。

 小型金庫である。あの中に目当てのもの、すなわち奴隷売買に関する闇ギルドとの書類が入っているという。


 逃げ足、


「……こ、こうなったら」


 そう、逃げ足だ。











 ()()()()()()()()()()











 彼は最後の力を振り絞って立ち上がった。再びペンダントに手を触れ、1秒!

 本当ならもっと多用したいところであるが、これ以上長い時間停止を用いるのはまずい。それになにより、自分の『逃げ足』ならば1秒もあれば十分! 

 今度は自信があった。脱兎のごとくアイリス……ではなく金庫の方へ。そのまま抱え上げる……小型とはいえ結構重いな。

 それから一目散に走り出した────ところで、1秒経過。


「はあ!?」


「ざ、ざまあみろ!! 誰がてめぇなんかと戦うかっ! やっぱり俺は女は殴らんっ!」


「いやいや待ちなさいよ! ちょ、な……!! なんて早さ……っ!!」


 なあにが〝剣姫〟だ。お前が剣姫なら俺は〝逃げ〟だ。〝逃げ〟のエクスだ。

 痛む体に鞭を打ちながらエクスは執務室の外へ。何事かを喚くアイリスの声を背後に聞きながら、長い廊下をひたすらに走って走って走って走る!

 

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