その23 狙撃手と剣姫13
まず最初に感じたのは、違和感だった。
窓から入ってくる空気が冷たいのである。扉を開けて外に出ると、セーラの視界に移ったのは見慣れた剣征会の本部……ではなく。
森林の開けた一角だ。鬱蒼とした闇に、苔むすような霧。背後を見れば小道が続いている。どうやら相当離れたらしい。
「剣将の旦那……」
いぶかしむセーラ。そんな最中、馬車の運転手がこちらを見ていた。彼女は振り返る。ちょうどガースとクロウも外に出たころだ。
気のせいかその表情は、いつもより青白い気がしないこともない。手綱を握りなおしながら、彼はなおも言う。
ちょうど満月が黒雲に隠れた頃であった。そう、黒い雲である。空を見上げれば、いつの間にか厚手のそれがびっしりと敷き詰められていた。
「す、すいません。ほんとはこんなつもりじゃなかったんですが……。ひひ、あたしは借金がありましてね……」
「あん? なに言ってんだお前」
わずかに怯えたような様子を、運転手の目からは見て取ることができた。
それも自分への怯えではない。せわしなく動く瞳、貧乏ゆすりに落ち着きのない様子。
まるで何かを待っているかのように思える。
引きつった笑みを浮かべながら、また運転手は口を開いた。その時である。セーラはわずかに目を細めた。ほとんど反射的に、利き手が背中の剣に伸びる。
「今の給金の百倍を支払うってい、言われたんです。分かってくだせえ……うちも今、色々と苦しいんです。
ひひひ……す、すいません……すいません」
その瞬間。
轟音が炸裂した。枝を折る音、発砲音に、閃光。いっぺんに視界が明滅し、鼓膜を打ち破らんとするほどの音響。
食いつくような熱。五感すべてが突然けたたましく機能し始める。
まずは動いたのはセーラであった。ちょうど弾丸が放たれる、一歩前のことだ。
「伏せろ!」
クロウとガースを強引にかがませると、ほとんど同時に彼女は抜刀する。向かってきた魔導の一つを刀身で受けとめた。
金属と金属のぶつかる音と共に、打ち出された大きな鉄の弾丸が脇にそれる。行き場を失い大木にぶつかると、大きな抉穴を作った。
先ほどまで自分達の頭があった場所に無数の魔導弾丸が通過していったのである。ガースはゾクリと背筋に冷たいものが走るのがわかった。もしもセーラが手をかけていなかったら、額が穴だらけになっていただろう。
いや、それよりも……
「て、てめェ!! 俺らを売りやがったな!」
彼は叫んだ。誘導されたらしい。
ぬかった、どうやら自分たちが孤児院にいる間に、敵は外で待っていた馬車の運転手に接触していたのだ。報酬の百倍か、そりゃあ心も揺れるだろうよ。
セーラは周囲を見回した。敵の姿が見えない。夜の闇が巧みに邪魔している。
おそらく向こうはこちらを捉えているのだろう。その証拠に―――また一発。身を翻して捌く。狙いが正確だ。
おまけに弾丸が光らない。どこから打っているのか悟らせないのである。
セーラは『エリュシオン』を軽く振った。直後に刀身から放たれる、波上の衝撃波。
ほっそりとした木を両断する。直後に「ぎゃっ!」という短い悲鳴が聞こえてきた。
「……『斬空』。ほお、噂には聞いていたが見るのは初めてだ」
直後、
その場にいない第三者の声。そして暗闇から現れる六、七人の人影。
「練った剣気を斬撃として飛ばす技術。この技が使えるのは剣征会でも真打ちだけと聞いていたのだが」
本当に剣将自ら出向いたようだな。人影が言う。「ははあ、お前らが敵か」 セーラは言った。
正確な人数を図る。一人二人三人……七人か。それぞれが抜き身の長剣を手に持っている。
声の主は男であろう。というのも、性別がわからないのだ。黒の外套に体を包み、目の部分に穴を開けただけの簡単な面を被っているからである。
「……デーモアさんの……差し金ですか?」
バックラーで身を隠しながらクロウは尋ねた。仮面の男は答えない。
セーラは剣を肩に担ぎながら思考した。リーダー格はあいつか……やけに大きく反ったサーベルを手にしている。
質問に答えることなくその刃が動いた。直後に悲鳴。「ぐぁっ……!!」 ついで吹き流れる鮮血が視界に移される。
「な……!」
思わず目を丸くするガースに比べて、ところがセーラは比較的冷静であった。
そりゃそうだ、秘密裏にわたしらを殺そうとするならこういうことをやるだろうさ。
「は、用済みになったら即始末するんだな」
鮮血をあげて倒れる馬車の運転手。リーダー格の男はセーラの問いには答えず、嫌な音を立てながら突き刺した剣を引き抜く。
それを皮切りに、他の仲間もめいめい得物を構えた。
***
セーラ、ガース、クロウはお互いに目配せした。
ほとんど同時に三方向に散る。遅れて動いたセーラであったが、その実後ろから怒声が聞こえてくる。
「逃がすな!!」
「剣将は必ず殺せ! 多人数で仕留めるんだ! 『覚醒』しても構わん!」
走る彼女を五つの人影が追いかけてきた。
振り返る。なるほど、どうやら連中の目的は『私』か。考えてみると当たり前と言えば当たり前だ。
なんて言ったって『敵』側からすりゃ一番の厄介者であろう。
だが、これは当人であるセーラからすると願ったりであった。
「(ガースとクロウには一人ずつと戦ってるわけか。よし、このくらい引きつければ大丈夫だな……)」
一番彼女が恐れていること、それは自分の部下二人が負傷することだ。まだ若い二人の剣士を再起不能にすることだけは避けなければならない。
守りながら戦う必要があるかと思ったのだが、ところが向こうからこっちに食いついてきたのは幸いなことである。
浮石や雑草、はたまたむき出しになった木の根。闘技場の床と異なり、非常に歩きにくい。しかしそれでもセーラの動きは軽快であった。もともと身体能力は高い方なのだ。このまま引き離すことも可能であろう。
ところが、立ち止まる。ちょうど巨大な大木を中心として木々が生い茂った、長い剣を取り回すには少々不便な場所であった。
あらかじめ森林地帯での戦闘を見越していた結果だ。敵の剣はそこまで長くない。だいたい刃渡り60cm程度であろうか。100cmを超えるセーラの剣と比べると、小回りが効き扱いやすい。
「なんだ? 追いかけっこはもうやめにするのか?」
敵の一人が言った。多勢を鎌にかけた、見下したような口調だ。
セーラは一度剣を振る。
「一つ聞きたい、お前らどこの差し金だ? デーモアか? まさか、アイリスか?」
二番隊じゃないだろうな。
柄を握り直しながら彼女は言う。もしそうならばなんとも斬りたくない相手だ。完全な敵であってくれた方がまだましである。セーラは思考した。
どこか遠くで野犬が鳴いた。一陣の風が吹き、それが結んだ橙色の髪を揺らす。彼女の言葉に、仮面の男たちは下品な笑い声を漏らした。
「それを知ってどうするんだ剣将ぉ、どうせお前はここで死ぬんだぜ」
なるほど、ベラベラしゃべるタイプではないか。
剣が軋む。長剣『エリュシオン』の鍔鳴りは、主に呼応する番犬のような力強さがあった。
「そうかい。なら、生き残ってから聞くとするか」
互いの殺気がぶつかる。「行くぞテメェら」「おう!」気合いとともに敵全員が殺到せんとした。剣を掲げながら最初に動き、突進してきたのだ。互いに斬撃が重ならないよう、死角を作らないように行動している。なるほど敵も結構な手練であるらしい。
加えてセーラは一人。しかも、取り回しの悪い長大な得物。だが反面こうも言えるだろう、
セーラにとって、伸びた枝、背の高い草、そういった障害物はもはや『障害』ではない。
―――淡橙色の刀身が、月に照らされる。
剣将の斬撃。向かってくる数人を迎撃する形で放たれたその横一閃は、軌道上のあらゆるものをまるでバターのように容易く両断した。
あらゆるものに接触しても微塵も剣速は落ちないし、そもそも力を掛ける必要すらなかった。
大きく生い茂った、見るからに硬そうな老木の太い枝、背丈ほどもある草本、そして相手が振り下ろそうとした剣。
そこから放たれた魔導。何もかもが剣の軌道上にあるというだけで、全くの無力。文字通り『斬り』捨てられてゆく。刃に触れた瞬間のことであった。
「気をつけろ! オリハルコンだ! あの剣と鍔迫り合いはするな!!」
「は! お見通しかよ! おら、行くぜ!!」
返す刀で、遠くから放たれた魔導を一閃する。
悲鳴。後方から斬りかかった男を一刀のもとに切り捨てながら、セーラは獰猛に笑った。
斬りかかる相手のサーベルごと、正面の敵を両断する。すぐさま身を翻し、後方から突っ込んでくる男の一撃を躱した。
「今だ! やれ!」
「喰らえ!!」
空気を切り裂く音。明らかに人為的に作り出せるものと異なる斬撃音が、周囲にこだました。
精霊だ。おおかた『速さ』に干渉する能力でも持っているのだろう。残像を纏うほどの速さで、セーラの頭部を狙う。
「……!!」
剣を翻しても間に合わないだろう。まるで一秒が永遠に感じられるほどの、超刹那だ。
死神の鳴き声のような超高速が、剣将に迫る。
そして―――――――――――――赤い血が舞った。




