その22 狙撃手と剣姫12
大広間。
「ええ、もう帰るんですか? だってセーラさん、さっきもっとゆっくりしてけって……」
「おう、ちょっと気が変わってな。あ、おいガース! 私の剣装取ってきてくれ、さっきの部屋の椅子に掛けてるから」
消灯までの自由時間。子供たちとトランプに興じていたクロウはセーラに言う。
というか事前の説明ではできるだけ長居していろんなことをさりげなく聞き出せ……もう少し入られると思ったんだがな。
そんなことを考えながらカードを片付ける。「えー、もう帰っちゃうのー?」子供達の声に困ったような顔で笑った。どうやらかなり気に入られたようだ。
引き止められながら部屋を後にする。玄関まで三人が戻ると、そこでだ、デーモアとすれ違った。
「もうおかえりですか」
「ええ、どうも長々と失礼しました」
「また来ます」
ガースは言う。そういえば、自分はこの院長のことをほとんど知らないな。数年前にここを卒業したわけだが、
その頃からあまり表には出てこないような人だった。そもそも『院長』という肩書き上、いろいろと忙しいのだろう。
そんなことを考えていると、靴を履くセーラ。その背中にデーモアは声をかけた。
「お気をつけて。この辺は野犬が出るのですよ。孤児院の周囲は犬避けの魔導結界を張っているから大丈夫なのですが」
「へえ、そりゃどうも」
「馬車に追いつく獰猛な犬です。ご注意を」
「犬かあ、噛まれたらどうしようかな」
のんびりと笑いながらセーラはそんなことを言っていた。クロウとガースにも挨拶を促すと、自分も踵を返した。
扉を開ける際に、最後にもう一度デーモアを見る。肩から羽織っただけの鳶色の剣装が、風にゆらゆらと揺れた。
「ありがとうございましたデーモアさん。また来ますよ、そうだなあ、今度は……内の別の真打ちでも連れてきます」
「それはそれは……また歓迎させてもらいます。ガース君とクロウ君も、これからもがんばるんだよ? いいね?」
そこでクロウは気がついた。柔和な表情だが、セーラの橙色の瞳は全く笑っていないのである。
デーモアの漆黒の瞳と交錯し、数秒の沈黙。それから背中の長剣『エリュシオン』を一度がチャリと揺らすと、今度こそ自分たちの上司は踵を返した。
「さあ行こうぜ!」そう言って今度こそその場を後にする。
クロウは振り返った。
ちょうど馬車に乗り込む瞬間までだ。デーモアがこちらを見送っている。
その視線がとても冷たいものに見えたのは、おそらく気のせいであろう。そう自分に言い聞かせた。
***
今宵は満月だ。上空には雲の狭間からぽっかりと、黄金色の月が顔を出していた。
車輪の戸が遠ざかる。やがて馬車の影と灯した魔導の光が見えなくなると、デーモアは携帯端末を取り出す。連絡先のボタンを三回押し、消去のボタンを二度押した。
画面が明滅すると、ついで自動でとある人物につながるようになっているのだ。耳に当てる。聞きなれた声の第一声は、「いましたか」というものであった。
「アイリス、私だ。〝剣将〟が院を出たぞ。黒髪の和装の剣士はいなかった」
さて、
ここからどうするか。デーモアは思考する。セーラ・レアレンシス。彼女が来ることはほとんど予想通りであった。
正確には剣征会の誰かが来るだろうと踏んでいたのだ。副官の誰かが操作しにくるのではと思っていたのだが、
一番隊隊長直々にお出ましか。腐りきった剣征会の抜本的な改革を行った剣士。ふむ、噂には聞いていたが相当な変わり者だ。
「……連中がどこまで知っているか分からん。だがな、計画通りにことは進める。そっちはそっちで頼んだぞ」
端的に要件だけ告げると、デーモアは端末の電源を落とす。
偶然にも同じタイミングで月が雲に隠れ、周囲を暗く染めた。
***
馬車は森林地帯にできたあぜ道を進んでいた。
ガタガタと小刻みな揺れが道中に響く。運転手は内部に声をかけた。
「剣将の旦那! 本当にこの道でいいんです? えらい遠回りですぜ」
「おお、そんままやってくれ。報酬は弾むぜ」
クロウとガースは顔を見合わせた。グレビリア孤児院からエレメンタリアの市街地、すなわち剣征会本部まで直進すればすぐだ。
ところが、わざわざこうして行きにくい道を進んでいる。しかも直前になってセーラが言ったのである。大きく迂回してくれ、と。
「なあセーラ先生、そろそろ教えてくれよ。なんでいきなり……」
「あん? ああ、そうだなあ……」
ガラリと窓を開ける。セーラは慎重に周囲の様子を伺った。
「襲撃」
「え?」
「襲撃されるかもしれねえんだ。お前ら、得物をちゃんともっとけよ」
襲撃!?
ガースとクロウは互いに素っ頓狂な声を上げた。
「ば、バカ! 声が大きい!」慌ててセーラはその口をふさぐ。盗み聞きされてないだろうな。このような人っ子一人いない森林地帯でそれを考えるのもなかなか滑稽だが、えてしてそういう時こそ聞かれているものだ。
もう一度窓を開けた。
虚空に浮かぶ満月。左右に展開した鬱蒼と茂った森。特に変わった様子はない。表面上は。
「なんで襲われなきゃならないんですか」
「そうですよ。あ! もしかして孤児院関係?」
「おう、だから言ったろ。お前らだけじゃ行かせられないとな。不意打ちされて捌ける自信ないだろ?」
二人は同時に頷く。突然の襲撃? そんなもの、対処なんてとてもできそうになかった。そもそも入隊したばかりなのだ。
もともと同期の剣士よりは強いからこそ剣征会に所属できているのだが、それでも、これから強くなるノウハウを習うのである。
そこでガースはセーラの言葉を思い出す。みすみす部下を死なせられるか。なるほど……
「予想してたんですか」
「あたりめーだろ! 敵陣のど真ん中を嗅ぎまわるんだぜ、多少手荒なこともされるだろうさ。
気をつけろよ。そろそろドカンと来るはずだぜ」
言いながらセーラは『エリュシオン』を掴む。なるほどわざわざ遠回りした理由はそういうことだったのか。
本来帰宅するはずの道はもう待ち伏せされているかもしれないということであろう。少しでも襲われる可能性を減らそうとしたのである。
とはいえそれが大した効果を及ぼしてるのかわからない。というのも、敵だってわざと遠回りすることなど予想できるだろうから。
エリュシオンから響くカチャリという鍔鳴りの音。
それを機に若き剣士達の身に一気に緊張が走った。戦場のど真ん中にいるような気分……先ほど自分たちは故郷に帰ったつもりだったが、
あれは同時に『危険』と隣り合わせでもあったわけだ。そのことをようやっと再認識させられた。
めいめい自分の得物に触れる。ガースはロングソードを、アイリスはバックラーとサーベルを引っ掴んだ。
「い、いつ頃来るんですか!」
クロウはセーラに尋ねる。その声色が上ずっているのは、誰が聞いても明らかであり。
セーラは苦笑した。
「それがわかりゃ苦労しねーよ。ともかく剣気を研ぎ澄ませとけ。今に来るぜ」
ガタガタと揺れる。馬車はあぜ道を行き続けた。
***
「なあセーラ先生、襲撃ってどんな風に来るんですかね? も、もうその辺にいるんじゃ」
今度はガースが尋ねた。クロウと異なり彼は比較的落ち着いているようだ。とはいえ実戦経験は多い方ではない。
柄に彫り込まれた旋風の『紋章』を撫でながらセーラを見た。
「それがわかりゃ苦労するかい。なあに、そんなに緊張すんな。ガチガチになってるといざって時動けねーぞ。
そろそろ来るだろうから、注意だけしとけ」
まだまだ進む。
***
静寂。
どこか遠くで怪鳥の鳴き声が聞こえる。
わずかな異音も逃すまいと静かにしていた三人だったが、クロウはたまらず呟いた。
「……もしかして、見張られてるんでしょうか」
その言葉にセーラはわずかに窓を開けて外を確認する。完全に開かないのは魔導銃や弓でまんいちにも狙われないためだ。
「まあな、間違いなくどっかからこっちの様子を伺ってるんだろうよ。逃げ出そうったって無駄ってわけさ。
おいクロウ、そっちはどうだ? え? 何も見えない? そうか、変だなあそろそろなんか動きがあっても良さそうなんだが」
まだまだまだ進む。
***
……。
「……全然こねーな」
「来ないですね」
「うーん? おかしいな」
やがて長い時間が経過した。ところが前と変わらない。静寂の中に、車輪の回転する音が響くだけだ。
別段襲われたり、はたまた攻撃されたりということはない。なんとも平和なものだ。
もしかして、本来通るはずだった最短ルートの方で待ちぼうけを食らっているのだろうか。いやいや敵さんもそこまでバカではないだろう。
さすがに張り合いがなくなってくるころであった。というより、もうそろそろ剣征会本部についてしまうではないか。
「おい! どういうことだよ一体! 今私たちを殺るなら格好のチャンスだろうが!」
セーラは言いながら不機嫌そうに頭を掻く。
「お、俺に言われても困りますよ! ひょっとして取り越し苦労だったのかなぁ……」
そんなことを考えていると、やがて馬車が止まった。どうやら目的地に着いたようである。




