その19 狙撃手と剣姫9
グレビリア孤児院は、精霊国家エレメンタリアの西側の端の方に存在している。
豊かな水脈が近くにあり、自然豊かで空気がいい。発育途中の子供達の健康を考えるに、これほど良好な環境はないだろう。
ちょうど夕方の自由時間だ。副委員長であるサラは子供達が遊んだ後、片付け忘れたのであろうボールやバットを拾っていた。
思うことは、
当然ながら『銀色のスナイパー』の件だ。自分は副院長の身でありながら、院長の殺害を命じた。他ならぬ奴隷として子を闇ギルドに売り飛ばしている悪魔を倒すために。
ところが、である。本来ならすんなり行くであろうその依頼は、ある人物のせいでとたんに難易度が上がる。
予想できていたと言えばできていたが、それでも厄介なことには変わりない。
「……」
サラはカッターシャツの袖で額に滲んだ汗を拭った。きっとそれはただ単に暑いから、というだけではない。
暗雲のように自分の中で鎌首をもたげる不安の種。
そう、『銀色のスナイパー』の依頼の成否。なによりもこの孤児院、そして子供たちの運命がかかっているのだから。
〝剣姫〟。
よりにもよって自警団の大剣豪が、孤児院の院長、デーモア・リビングストンの護衛として控えているとは。
厄介極まりない。そこまで考えた時だ。外で馬車の音が聞こえてくる。こんな時間に誰だろうか。
遊具を片付け終え、門の方に向かう。そこに現れた人物を見て、彼は思わず目を丸くした。
「あ、アイリス様……これはこれは……」
「ええ、こんばんは。院長先生はいらっしゃいますの?」
噂をすればなんとやら。アイリスは優雅に微笑んでいた。
本来ならもう面会できる時間ではないが、相手が相手だ。まさかこの真紅のドレスの剣客が、たった今姿をあらわすとは。
やっかんでいた事実を悟られないよう胸にしまい込むと「どうぞどうぞ、こちらです」サラは愛想よく言う。
一陣の風が吹き、それがサラのジャケットとアイリスのドレスを揺らした。
***
来客に関する手続きはサラがやってくれるという。
アイリスは門をくぐると、それから二階の院長室へと向かう。階段を上がった正面の大部屋が、デーモアのいる部屋だ。
ノックもせずに彼女はその取っ手に手をかけた。勢いよく開く。革張りの椅子に背を向けて座っている人物に、開口一番彼女は声をかけた。「デーモア!」
「……どうなってるんですの、一体。なぜ私たちの秘密が……」
「ふむ……」
顎に手を置いて彼は振り返る。デーモア・リビングストン。いかにも切れ者といった、スーツの似合う経営者風の男だ。
縁なしメガネの奥の瞳が光る。その視線は、アイリスではなく彼女の得物に向けらていた。
「『フレアクイーン』は帯刀していないのか。君はここに来る時はいつもそうだな」
「え? ええ」
一見関係のない話題に、アイリスは少々面食らったらしい。確かに自分は今帯刀していない。剣は剣征会本部の自分の部屋に置いてきていた。
デーモアは視線を外す。それから立ち上がると、窓の外に向けた。
「簡単なことだ。我々を嗅ぎ回っている人間がいるらしい。おおかた察しはついているよ」
夕焼けは部屋の中を赤黒く照らしていた。
アイリスとは裏腹に、デーモアは比較的落ち着いていた。そういえば彼女は、目の前のこの人物画が合法非合法合わせ、
いくつもの情報網を持っていたことを思い出す。
「どうするんですの」
「流れの剣士が嗅ぎ回っていると言ったな」
デーモアは言った。
「多分そいつは何かの使いだ。流浪が裏の事情に詳しいとは思えんからな。そういう人間ならばともかく、悪人には見えんのだろう?」
アイリスは頷く。あの剣士と剣を合わせてみてわかったことだ。正々堂々とした、正面からの正攻法を好む。
そのような人間がいたずらに悪を知っているとは考え難い。もっとも、人は見かけによらないということも考えられるが。
アイリスのそのような思考とは裏腹に、デーモアは続ける。断定的な口調だ。
「その流浪の仲間に殺し屋か、闇ギルドの人間か……ともかく裏の人間がいるな」
間違いない。
それから彼は座る。今度は正面を向いた。机に肘を置く。対面に座ったアイリスと目があった。
「なあ、剣姫。どうだ?」
彼に問われるまでもなく、心当たりはあった。アイリスは一度だけ顔をわせていたのだ。デーモアのいう『流れの剣士の仲間』に。
予想であるが、当たっているように思える。顔合わせの時にセーラたちと一緒に座っていた、あの銀髪の女だ。
剣士には見えないが、かといって一般人にも見えなかった。実力を巧みに隠匿していることが、洞察の鋭いアイリスには分かったのである。
「孤児院内部の人間は俺がなんとかしておく。おおよそ見当も付いているからな。ただ問題はその外の人間だ」
それから、デーモアは言った。なおも続ける。
「―――――――――――――まずはそいつを殺せ。君ほどの剣士なら容易くできるだろう?」
***
剣将の部屋は広かった。
執務室と私室を兼任しているらしいこの部屋は、よく言えば生活感にあふれている。悪く言えば散らかっていた。
ソラは向かい合って置かれたソファに掛けて腕を組んでいた。仏頂面で、対面に座る人物に視線を送る。
自分の雇い主の非難がましい目に、如月は頭を掻いた。
「勝手に飛び出しちゃって悪かったよ」
「でもあの場合仕方がなかったんだ」それから彼女は続けた。
剣士として云々などというかっこいいことを言うつもりはない。言い訳もしなかった。
しかし『稽古』と称して行われる剣姫の弱いものいじめ。如月はそれを無視できるほど非情にもなりきれなかったのだ。
……ということがちょうど隣に座るエクスも分かっていたのだろう。彼は如月を責めることはしなかった。
むしろ逆だ。見ていて胸糞悪くなるあの光景を打破し、真打ちに一泡吹かせてやったのは痛快である。
「まあいいじゃないですかソラさん。それに、如月のおかげで剣姫の戦い方がわかったんだし。なあ如月」
「うむ。『炎』使いだ。なあ、それで勘弁してくれソラ」
如月は困ったような表情をした。「よろしいですか」ゆっくりとソラは立ち上がる。
「剣姫とターゲットは繋がっている。となると、如月さんが表に出たことで確実に私の存在は気づかれてるでしょう。
すなわち、孤児院をいろいろ調べている人間がいるぞ、と。ひょっとしたら殺し屋であることもばれているかもしれません」
そのまま背を向けると、壁にかかっている剣に目をやった。セーラが愛用している長剣『エリュシオン』だ。
今は銀色の鞘に収められており、オリハルコンの刃は見て取ることができない。
「如月さん」 ソラは背を向けたままいう。名前を呼ばれても、銀色のスナイパーの用心棒は無言だった。目を伏せている。
「よくやりました。素晴らしい」
「え?」
それから彼女は顔を上げた。ん? 怒られるんじゃなかったのか……?
如月とエクスのそのような思考とは裏腹。ソラは振り返ると力強く頷く。
「おそらくデーモアたちは動いてくるでしょう。そこを逆に潰してやりましょう。面倒なことがなくていい。
それに、遅かれ早かればれてしまうことですよ。なにより……」
自然な形で剣姫と斬り合うことができた。
「もっとも有益だったのはこの点です」ソラは強調する。
言われてみるとそうかもしれない。流れ、すなわち完全に部外者である如月、エクス、ソラ、この一派が直に剣姫の戦闘を見るだけにとどまらず、実際に剣を合わせる。
口実がなければなかなか難しいだろう。そして、如月は見事にその口実を作ったのだから。『人を助ける』という形で。
いうなればこれから起こるであろう実践を再現できたわけだ。手応えをソラは尋ねる。少し考えてから如月は答えた。
「まあ……そうだな、一応先手を取ることはできたし、戦えなくはないかもしれない。少なくとも、私と運転手が協力すれば互角以上には戦えるんじゃなかろうか」
「え、俺もかよ」
D4と戦ったとき(※第1章その30参照)のようにな。如月は付け加える。
あああのときか。当然ながらエクスも覚えがあった。自分が時間を止めて、如月が斬る。単純であれ連携といえば連携だな。
「ま、まあ……やれないこともないですけど。しかし『精霊』がなんなのかがなぁ。そういえば、セーラさんは知らないのかな」
そのときである。執務室のドアが開いた。
噂をすればなんとやらだ。書類を持ったセーラと、その後ろにはガース、手当てを受けたクロウが続いていた。
「悪いが、知らねえな。そもそも誰がどういう精霊かなんて、なかなか教えちゃくれないんだぜ」
《真打ちは孤高であること》。剣征会が守るべき十戒。その二番目だ。
各々が完全に独立している以上、互いに詮索しないことはほとんど必然である。
「それよりも、アイリスを勧誘するときにどうも引っかかってたんだがよ」
セーラは羽織っていたフード付きの外套……すなわち剣装を脱ぎながら話す。手頃なハンガーをとり壁にかけた。
「やっぱりだ。ほら、見てみろこれ」
書類をばさりと机の上に置いた。
一同は覗き込む。簡単な履歴書のようなものだ。『アイリス・アイゼンバーン』。一番上の項目にはそう記されていた。
「親の名前もない、家系も遡ることができない。おまけに、それまで育ってきた経歴が一切存在してねえ。
いや、いくら剣征会が実力主義といっても、素性のはっきりしないのは真打ちにはできないからな」
アイリスは素性を『隠している』のではない。
誰かがポツリと呟く。なるほどそういうことだったのか。
しかし、反面、理解はできるものの納得はできない。そんなことが、となるとアイリスは、まさしく自分の身に起きたことをそのまま……。
誰もが同じことを思う。思考が一本に帰結するのはそう時間がかからなかった。
『隠している』のではない。
「もともと無いんだ」
セーラは対面に座る。エクスの隣だ。
「あいつは……剣姫は『奴隷』だったんだ」




