その18 狙撃手と剣姫8
ピシピシピシピシピシ。
乾いた音が響き渡る。見る見る氷結して行くアイリスの剣『フレアクイーン』。
如月は振り返った。そこには、まさしく自分の剣を抜刀したもう一人の真打ち。ドラセナの姿。
アイリスは彼を睨みつける。
「ドラセナ……貴様……!!」
「いやあ、すみません。こうでもしないと止められなくて……しかし封印状態の僕の剣で氷結しちゃいますか。やはり相当ダメージくらってるみたいですねアイリスさん」
やがて、アイリスの剣は持ち手以外全て分厚い氷で覆われてしまった。
冷ややかな水蒸気を脈々と放ちながら、そこで如月はようやっとドラセナが何をしたのかわかった。
「御主……その剣は……」
さきほど『抜刀した』と表現したが、これは厳密には誤りである。ドラセナは剣を鞘から引き抜いていなかった。
彼は鍔と柄のみであったそれを、帯に釣っていたのだ。刀身の存在しない剣である。当たり前であるが鞘を携帯していない。
雪の結晶を思わせる六角形の鍔。少々長めの、左右対称な柄。先端には丸い玉が埋め込まれている。
そして、その全ては濃い青色の鉱石で作成されていた。サファイアだ。
「ええ、ご名答。『氷』の精霊です。ちょっと細工させていただきました」
存在しなかった刀身が、今はある。
まっすぐに伸びたそれは、空気中の水分を氷結させて作ったのだろう。氷の両刃剣である。
これでもう、覚醒はできません。
ドラセナは言う。彼の発言が真出会ったことは、ほかならぬアイリスが証明していた。
万全の彼女ならば、封印状態で放たれた氷属性くらいなら簡単に『溶かす』ことができる。しかし、
今ではそれもどうなるか。それになにより、ここでこの真打ちに乱入されては面倒だ。
そこまで思考すると、フッと力を抜いた。周囲に蔓延していた熱、そして炎の断片が収束していくのがわかる。
「私の勝ちだ」
「…………」
とまどう従者に凍った剣を押し付けたアイリスは、如月の言葉に無言だった。
ただ踵を返して歩き去る。「まだ話は終わってないぞ」その言葉に足を止めた。
「孤児院は……」
「グレビリア孤児院には手出しさせませんわよ。あそこを嗅ぎ回そうものなら……」
あんたら全員焼き尽くしてやりますわ。
満身創痍ながらも放たれる殺気。
威圧だけで体が溶けるかと錯覚するほどのそれを受けて、如月は確信した。
「……黒だな」
***
如月はゆっくりと刀を納めた。彼女が納刀するのを皮切りに、ようやっと荒っぽい稽古は終焉を告げる。
場が落ち着いてくると、ガースは彼女の元へ歩いた。どうやら認識違いをしていたらしい。自分よりも何倍も強く、
あまつさえ〝剣姫〟を追い込もうとしたこの古武術使い。同じ剣士としてその見方が変わるのはほとんど必然であろう。
「なあ、お前……一体」
「グレビリア孤児院の出自と言ったな」
如月は振り返った。彼女は彼女で、この新米剣士に用があるのだ。
ガースは小さく頷く。「ああ」 先ほどの剣姫との会話。何か裏があるのは容易に推測することができた。
その時である。「如月!」 彼女が振り向けば、そこにエクスが走ってくるのが見えた。後ろにはセーラも歩いてくるのが見て取れる。
「お前……よくやったなあ。ああそうそう、話があるんだ」
「待て、場所を変えよう。私の部屋に来いよ」
セーラは言った。それからガースたちを見る。ほとんど会ったことのない、剣征会のリーダー格。
『真打ち』は平等と聞くが、その実態はこのオリハルコンの剣士が一人で奔走し、今の仲間を集めたということは知っていた。
「……お前らも一緒にくるか?」
と、セーラは言った。
***
数時間後。
「はぁ……!! はぁ……!!」
従者を下げてから、アイリスは暗く長い廊下を歩いていた。
当然ながら気分は良くない。はらわたが煮えくり返らん思いだ。
「あの剣客……いつか必ず殺す……殺してやる……殺してやりますわ」
アイリスは先ほど戦った一人の人物を思い浮かべていた。たしか名前は如月 止水とか言っていたな。
精霊を行使するわけでもない、かといって体が大きいわけでも、人より体力があるわけでもない。身体能力も自分以下だった。
そんな見るからに大したことのなさそうな剣士に、敗北した。〝剣姫〟である自分が。
「いや、それよりも…………」
真打ちとしての誇りを打ち砕かれた彼女であったが、しかしそれよりまだ気になることがあった。
言うまでもなくグレビリア孤児院のことである。どうして如月が、自分とあの孤児院との関係を知っているのだ。
闘技場の廊下を抜けると、アイリスは角を曲がった。同時に内ポケットから端末を取り出す。周りに人がいないか見回すと、
ところがだ、そこで彼女は舌打ちする。会いたくない人間がこちらにやってくるのが見えたからだ。
その人物はアイリスの姿を見つけると、大仰に片手を上げた。
「よお、そこにいるのは剣姫のお嬢じゃねェか。ひゃはは、どこぞの流れもんの剣客に負けたんだってな」
自分と同じくらいの一人の女性。もう情報が回っているのか。アイリスは舌打ちと共に相手を見る。
正確な年齢は分からない。20〜25くらいであろうか。柘榴色の長髪。ほとんど手入れしていないのだろう。伸び放題で、ところどころ毛先が荒れている。
「…………〝剣帝〟……」
「ん? おお、一国の姫様が、俺のこと知ってんのかい。そりゃあ光栄だ」
第七真打ち。七番隊隊長〝剣帝〟ドレッド・ダークスティール。
『光栄だ』と言いながらドレッドはおどけたように肩をすくめた。後腰に釣った刀がからりと音を立てる。
極東の国『十二の巻』出身ではないにもかかわらず、彼女はこの和刀を愛用していた。
「……元ジェイド帝国の人間が剣征会に加担してると聞きましたが……どうやら本当みたいですね。セーラは一体何を考えているんでしょうか」
アイリスはドレッドの容姿を観察した。彼は『とある事件』のせいで有名だ。
その格好は初対面であれど、ある程度頭に入れている。
ところどころほつれ、ボロボロになった真っ黒の剣装。伸び放題の髪。
そして眼帯代わりに右目に当てた刀の鍔。隻眼である。
それだけではない。
「(「噂」は本当だったのですか……)」
アイリスの視線はやがて、ドレッドの片方の袖に向けられていた。
あるべきものがそこにはない。通風孔の風にさらされて、パタパタと数度はためいている。
そう、隻眼、『かつ』
「…………なんだい姫様、片腕がそんなに珍しいかい」
『隻腕』。
片方の目と片方の腕を欠損した剣士。にもかかわらず、無類の強さを誇る無双の剣客。
なるほど、先ほどの剣士……如月 止水は見た目にもあまり強そうには見えなかった。しかし剣帝は見た目の通りだ。
剣装から腕や足には大きな古傷が見えるし、それだけではない。露出した皮膚あらゆるところに大小の刀傷が見える。顔にも、真一文字に薄い刀傷を伺うことができた。
少し推測するだけでも、いや、推測できないほどの戦闘を重ねたのだろう。
そんなアイリスの思考とは裏腹に、ドレッドはくっくと笑った。「帝国の罪人か」
「その通りだ。だがよ、『悪人』は俺だけじゃねぇ。そうだろ」
グレビリア《・》孤《・》児で、
「!?」
ドレッドがその言葉を紡いだ瞬間、サッとアイリスの表情が変わる。
「……一体どのくらい稼いでやがんだ。なあ、剣姫さんよ」
「ど……どうしてそのことを……!」
ドレッドは笑った。失笑である。
壁に寄りかかると、「馬鹿じゃねえのか」吐き捨てるように言葉を紡いだ。
「奴隷の売り買いなんざよくある話だろうがよ。そもそも、権力者の一つや二つ絡んでても全くおかしくないことだ。
それがたとえ剣征会のような自警団でもなおのことな」
言い終える前に、アイリスは歩き始める。剣帝に背を向けた。
「…………は」
「おいお姫様、やるならうまくやれよ! さっきの流れの剣士にも勘づかれてんだろうが!」
「うるさい!」
烈火のごとく赤い瞳を向ける。最後にそうドレッドに吐き捨てると、
彼女はまた歩を速めた。もう時間がない。このままではどこかからか足がつき、アレヨアレヨと掘り返されてしまうことは時間の問題だ。
なにより今かき回されたくない。
アイリスは剣装の内ポケットから端末を取り出した。人目に付かないよう闘技施設の裏口からであると、登録している連絡先を操作する。
やがて、『グレビリア孤児院』。そこで決定ボタンを押した。
「……もしもし」
「わたくしですわ。ええ、少々面倒なことに。……今から向かってよろしいです?」