その17 狙撃手と剣姫7
「くっ……ぐぅ……」
アイリスは腹を抑えてその場に倒れこんだ。激痛が全身を支配し、動くことがままならない。
必死に体を起こそうと四肢を動かすが、そもそも気を失わないように知ることで精一杯であった。
「し、新入り……!! あなた一体……!」
「言っただろう、古流剣術使いだと……」
幸運だったのは、これが実戦ではなかったことだ。
『斬撃』であれば間違いなく自分は死んでいただろう。アイリスは思う。少なくとも刃抜きされているおかげで、
なんとかこうして意識も保っているし、上半身と下半身が別れることもなかった。
如月は刀を一度降ると、そのまま鞘に収めた。今度は居合いではない。試合の終焉を告げる納刀である。
見えなかった。
アイリスは顔には出さないものの、内心相手の剣術……如月の言う『古武術』に驚愕していた。
身体能力は高く自信がある。動体視力に関しても、少なくともこの場の誰よりも早い自信があったのだ。弾丸だって見切ることができる。
その自分が、先ほどのあの奇妙な剣術――――鞘から抜くと同時に攻撃するあの一撃を、受けきることができなかった。
「御主、居合いを知らんのだな。フランベルジュ使いなら無理もないか」
反りのない剣では居合い抜きには不向きである。そもそも自分が扱う『飛燕流』自体、もうほとんど知っている人間はいないだろう。
もともと出身国『十二の巻』の、そのごく一部でしか用いられていない。しかも魔導や術式に頼らない、純粋な剣術ならば尚更のことである。
如月は振り返った。琥珀色の瞳でアイリスを見る。剣を杖代わりにしてなんとか立っている緋色の真打ちに、もう一度問いかけた。
「孤児院のことについて教えてもらうぞ」
「くっ……お待ちなさいな……」
アイリスは苦虫を噛み潰したような顔で如月を見る。試合に負けたのもさることながら、彼女が祈雨してるのは相手のその言葉だ。
『どうしてこの新入りが、孤児院と私の関係を知っている』。あの寂れた孤児院に私が時折顔を出していることは、セーラも知らないことではないか。
「まだ、終わってないですわよ……!!」
風前の灯。
今のアイリスを形容するならまさしくその言葉が適当であろう。剣に灯った炎は弱弱しく、片膝をついたその姿勢はそもそも戦えるとすら思えない。
どうやら持ち主が弱ると、精霊もまた……であるらしい。ほとんど精霊使いと対峙したことはない如月であったが、案外攻略法はあるんだな……そんなことを思う。
だが、
アイリスの紅蓮の双眸からは、まだ戦意が消えていない。そう、そこには戦う意思が灯っていた。
それこそ、赤色の炎のようだ。そして不思議なことに、その温度が徐々に高まっているのである。
「……」
如月はわずかに眉をひそめた。
その時だ。小さくアイリスがつぶやく二語。それでことの顛末がわかる。そうか、精霊使いは、これがあったか。
「―――――――――――――『覚醒』」
アイリスは如月をギロリと睨むと、柄尻の陽炎の紋様を撫でた。
***
「えっ、かく……覚醒……!?」
さて、所変わって観客席。
エクスは目を丸くした。おいおい、真打ちの精霊なんて滅多に見られるもんじゃないんだろう。目的達成ではないか。
ソラが長距離狙撃を行う上で弊害とあらない精霊ならばよし。そうでなくとも今後の立ち回りの重大なヒントになる。
いいぞ、そのまま紋章を開放してくれ。セーラに腰掛けられて這いつくばった姿勢のまま、彼は思考した。
「って、あの、セーラさん……いつまで座ってるんですか」
「アイリスをあそこまで追い込むのかよ。さすがソラの仲間だ、というかお前らすごいな」
嬉しそうに彼女は笑う。
いいながらセーラはエクスの腰をバンバン叩いた。その淡橙色の瞳は仲間が追い詰められているにもかかわらず、むしろ逆。
賞賛が大部分を占めていた。そのまま拍手せんばかりである。
しかし、
これはいけない。
「まあでも、『覚醒』までさせるこたあねえな」
「え?」
「勝負ありだろうよ。如月の勝ちだ。おうい! ドラセナ!! さっき端末で指示したろ!(第2章 その28参照) 頼んだぜ!」
大声で『誰か』に指示を出す。
エクスはその声を聞いて、するとその時だ。ちょうど自分たちがいる観客席の真下。東側の入り口から人影が掛け出すのを見て取ることができた。
「ほいほい、いやあ、怖いなあしかし。アイリスさんご立腹じゃないですか」
スカイブルーの剣装に身を包んだ、一人の人物。
おそらくは男性だ。如月と同じくらいで、少年と形容できそうな若さである。
身長は165cmほど、耳が隠れる程度の黒髪。セーラを一度見ると、彼女が頷くのを確認してからアイリスたちの元へ歩いて行く。
「……あれは……」
エクスは思わずつぶやいた。
現れた人物……その胸には、サファイアのペンダントが光っていたからだ。
***
「……新手か」
如月は振り返る、目ではこちらにやってくる人物……スカイブルーの外套に身を包んだ、優男。彼を見ていたものの、
反面背後では常にアイリスに注釈していた。今この瞬間も切りかかってくると思わせる熱量と殺気。それらを肌でひしひしと感じるからである。
「…………ドラセナ」
アイリスは煩わしそうにその優男……ドラセナを見る。
「あ、どーも。ええと、如月さん? でしたかね。に、アイリスさん。その辺でお開きにしちゃあもらえませんでしょうか」
「何を馬鹿なことを! 部外者は引っ込んでなさいな」
睨まれても、ドラセナは飄々としていた。
「いやあ、しかしですね。真打ちの『覚醒』は剣征会本部じゃ禁止ですよ。なんてったってあまりに強力すぎて建物が吹っ飛んじゃうんですから」
特に、アイリスさんの精霊は超攻撃型でしょう?
ニコニコと笑いながらドラセナは言った。如月とエクス、そして隠れて観戦していたソラ、銀色のスナイパーの一味はほとんど同時に、彼の言ったことを頭に叩き込む。
「(……超攻撃型)」
なるほど、そもそも封印状態でここまでの火力だ。覚醒したらさらにその威力が底上げされることは目に見えている。
如月はまた振り返った。ところがその時だ。後方……つまりドラセナがいる場所から乾いた音が響くと、次の瞬間である。
「!?」
しまった! というようにアイリスが目を見開くのがわかった。




