その16 狙撃手と剣姫6
炎の剣と対峙するのは初めてと言った。
その通りだ。古今東西さまざまな剣士と対峙してきた。炎を扱う剣士もその中にはいないこともなかった。しかし、
過去にここまでそれを『使いこなす』人間がいただろうか。
ガキン!
フランベルジュと私の刀が交錯する。だが、この剣相手に長くそうしているのは危険だ。
地面を蹴り、後方に飛ぶ。刀の熱が頬に感じられ、しかめ面した。ほらみろ。剣から熱が伝わってくる。
もう少し付けていればその熱が柄まで伝わり、持てなくなってしまう恐れもある。
「精霊も持たない剣士が……」
アイリスは剣を軽く振った。赤色の斬撃の奇跡。小さく散った炎がこちらまで飛んでくる。
私は身を翻した。直後に殺到する彼女の横薙ぎも、下から峰で跳ね上げることでなんとか打ち返す。
仕切りなおすために一度後方に飛ぶと、私は刀を構えなおした。さて困った、接近戦において炎は予想以上に厄介……
「おい! 後ろ後ろ!」
「ん?」
その時だ。背後から飛んでくるガースの切羽詰まった声。
遅れてなにやら焦げ臭い匂いと、パチパチという物が燃える音。
「うわわっ!! あちちちっ!」
こりゃあいかん。避けたつもりだったが羽織に燃え移った! 冗談じゃない結構いいやつなんだぞこれ。
慌てて手でもみ消す。バサバサやっていると、裾をわずかに焦がすのみでなんとか鎮火することができた。
アイリスは攻撃するどころか、思わず噴き出す。「おほほ、大変そうですわねえ」
「ちっ」
睨みつける私をそのままに、彼女は悠然と剣を一振りした。
赤色の奇跡が、先ほどより大きくなる。ふむ、予想していたがやはり。ある程度任意で炎の量を調節することができるのか。
ただ放つだけではない。指向性を持たせたり、はたまた熱量を絞ったり。どうやらかなり応用性があるようだ。
「精霊も使役できない剣士が私と戦おうなんて、土台無理ではないでしょうか。それでよくもまあ、啖呵を切ったこと」
「ふん、確かに私は能力は使えないさ」
それだけではない。身体能力も高くなければ、おおよそ魔法の才能だって皆無だ。
人より足が早いわけでもないし、力が強いわけでもない。体格も大きいわけでもなく、どちらかというと小柄な方だ。
「だがな、一つだけ。私にも武器がある。いや、それが私のすべてと言おうかな」
「へえ? なんでしょうか。この状況を崩せるような、素晴らしいもので?」
それなら是非お聞かせ願いたいですわね。
アイリスは炎を体現したかのような真紅の瞳をこちらに向けていた。ただしうっすらと笑んだその表情が明らかに侮蔑の色合いが込められており、
得てして魔法や魔導は強力な物だ。その才能がない人間からすれば当たり前であろう。彼女がそう指向するのも無理はない。
まさしくアイリスにとっては、私など取るに足らない存在だ。真打ちは強力な精霊を携え、そしてそれを操るだけの十全な力がある。
そして、一方の私はそのどちらも持ち得ていないのだから。
しかし、一つだけ。
私だけの武器がある。
「―――――――――――――『古武術』だ」
言うや否や、私は駆け出した。
半身を開きつつ、刀を密着させる。切っ先を背後に向けているため、相手からこちらの間合いをつかませにくいだろう。
それだけではない。
アイリスの瞳がさっと開かれるのが見て取れた。虚をつかれた表情だ。
ふん、そうだろうな。特別早いわけでもない私の接近。高い動体視力があれば容易に見切ることができる速度。
にも関わらず、アイリス自身反応が遅れてしまったのだから。
「!?」
「そら、追いついたぞ」
全身を流れるように動かすことで予備動作を消し、相手に接近を認識させにくくする体の使い方。
人間の脳は動作の前段階を知覚することで、その後の挙動に対処するという癖がある。
拳を振りかぶれば防御しようとするし、足を引けば走り来るのがわかるだろう。それだけでもう相手にヒントを与えることになる。
それらを消すことが、私の納めた武術の基本。殴るときに拳を引かない。走るときに地面を蹴らない。
さながら下流へと流れる水のごとく、全体を同時に柔らかく動かすことで、相手に悟られにくい動きを可能としていた。
―――『無拍子』
「はあ!?」
アイリスはギロリとこちらを睨んだ。
「知りませんよそんなもの! ええい忌々しい! あなた、流派は?」
ガァン!
紅蓮の斬撃を弾き飛ばす。真下から真上。ならばこちらは真右から真左。
十字に交錯した一瞬の火花ののち、今度は私の琥珀色の目がアイリスを捉える。
「……『飛燕流』だ。そう焦るな」
今から嫌という程、その身に教えてやる―――――――――――――
***
『無拍子』。
飛燕流のほとんどすべての挙動に通じる、最も基本的な技術の一つである。
アイリスは如月を見誤っていたと言えるだろう。ドレスで激しく動き回る運動能力、〝剣星〟の斬撃を見切る動体視力。
身体能力では圧倒的に分がある。しかしそんな彼女をもってしても、如月の動きを見切ることができなかった。
いや、『見切って』はいたかもしれない。しかしそれを『認識する』のが遅れたのだ。
「飛燕流!?」
少なくとも、今この瞬間はアイリスの表情から余裕を見て取ることはできない。真紅の瞳は狼狽しているように揺れていたし、
発する声もわずかに上ずっているように燃える。しかしそこは『真打ち』。剣征会最強の剣が、そうやすやすと飛び入りに遅れを取るわけにはいかないだろう。
彼女は体をさばいた。上体を引いて上の空間のみわずかに如月と距離を取る。刹那、そこに襲い来る横薙ぎ。
すんでのところで躱すと、フランベルジュを差し込む。硬質な音が響き、高熱が剣から放たれた。
「……っ!」
「燃えてしまいなさいな!!」
ガァン!!
間髪入れずに如月は相手の剣を跳ね上げた。直後に頬をかすめてゆく火炎波。直撃してしまえばタダでは済まないだろう。ゾクリと背筋に冷たいものが走る。
「……?」
否、
ただ跳ね上げただけではない。今現段階で彼女は刀ではなく鞘を用いていた。腰に差していた鞘を引き出し、口の部分で相手の剣を打ったのだ。
ほとんど同時に、剣が返る。ただしその対象は相手ではなかった。アイリスがいぶかしむのも無理はない。
如月は納刀したのである。
カチリ、鍔と鞘がぶつかる音。おおよそ試合終了時にしか響かないであろうその音に、明らかにアイリスは戸惑っていた。
彼女は思う。ここで諦めたのか? このような中途半端なところで。まだ戦いは続いているだろう? 疑問符が次々に頭に浮かぶ。
いや、彼女だけではない。如月の流派を知らない人物は、一様に同じような反応をしていた。
「飛燕流―――――――――――――」
それは仇だ。
少なくともこの状況で、明らかに集中を乱すべきではない。
如月 止水にとって、剣を鞘に収めるということは『攻撃』の動作なのだから。
彼女は大きく前傾した。足裏を地面につけたまま、急速に脱力することで体を浮かせることなくその場から『落ちて』ゆく。
『落下』とは最も自然加速の方法である。自然であるがゆえに気づかれにくく、気づかれにくいがゆえに対処しにくい。
そう、この時すでに彼女は再び剣を抜きにかかっていたからである。
右手はその場から動かさない。手で抜くのではない。腰で抜く。
骨盤の旋回。それにともなった体の捻り。跳躍することなく作り出した自由落下、培ったその一閃に、余分な筋力は一切用いられていない。
軽いが恐ろしいほどに『鋭さ』と『キレ』がある。それが至近距離から、避けにくい低空より襲い来るのだ。
「ぐっ……!!!」
「『技』を甘く見たな、〝剣姫〟」
居合い――――――――――『静』
真一文字に胴を抜く。
如月の手には確かにその手応えがあった。真剣ならたやすく体を真っ二つにしているであろう。
そう、闘技場全体に満ちる『刃抜き』の属性が施された魔導。そのせいで現在互いの刃に全く切れ味は存在しない。
それでもかなり痛いだろうが……
互いがすれ違い、大きく距離が開く。
背を向けた如月の後方で、崩れ落ちる音が聞こえた。ゆっくりと残心をとると、構えを解いて彼女は振り向く。
「グレビリア孤児院の件、聞かせてもらうぞ」
いつの間にか、闘技場は静まり返っていた。




