その15 狙撃手と剣姫5
「おい、大丈夫か……! 怪我は……」
私は投げ出されたクロウに駆け寄った。苦しそうに息を吐く彼女を解放するが、そこであることに気づく。
巧みに急所が外されているのだ。一見強く殴っているように見えても、後々後遺症にならないようその部位が調節されているではないか。
この少女がそのように避けたのだろうか。いや、そこまで実力があるようには見えない。となるとアイリス……あの剣士は……
ガキン!
大きな音に私は顔を上げた。ちょうど眼前で斬り合いが行われている。
ガースが真上から真下に剣を振り下ろした。すんでのところでその斬撃を躱すと、軽く剣を振るう。
「シルフ……!」
放たれた熱波。
まともに直撃してしまえば剣を握れなくなってしまうだろう。ガースもそのことを見越したのか。ほとんど同時に精霊を顕現させる。
前方に突き出した突風が熱をかき消し、アイリスの攻撃を相殺した。
バタバタとその余波でドレスの裾がはためく。上に着込んだ真紅の外套を翻すと、今度は彼女が剣を突き出した。
「『風』の精霊ですか。その分だとかなり使い慣れてるみたいですねえ」
「ったりめーだ! こちとら見習いの頃からこいつと一緒なんだ! 行け……牙風!!」
刺突をロングソードの腹で弾く。と、その次の瞬間にはもう再び構えていた。
刀身を反転させ、表刃側で横薙ぎの一閃。しかしそこにアイリスはおらず、弾かれた衝撃を利用して真後ろに飛んでいる。
いくら『ロング』ソードであろうと届かない距離だった。
だが、
剣から放たれた風はたやすく届くようだ。
直後に撃ち放たれたのは鎌状の斬撃波であった。甲高い音を響かせながら剣姫へと高速で殺到する。地を低く唸るその悲鳴は、死神の鳴き声のようだ。
それも、数が多い。縦に並べた四つの風刃。どれか一つを対処しただけじゃ、他のに間違いなく切り裂かれてしまうだろう。
そして、
私は見た。彼女の表情を。
真紅のドレスに身を包み、くれないの剣装を揺らす彼女――――真打ちの二振り目は、嗤っていた。
炎のような赤色の瞳が殺到する斬撃に向けられており、見聞するようにせわしなく動かされる。
このままでは直撃するぞ……。
私がそう思った矢先だった。「いけええええ!!」 ガースの叫びが闘技場にこだまする。
甲高い音に混ざり、轟音。物体の切れるような音が周囲に残響し、アイリスに当たった風が舞う。
「は、ざまあみやがれ!」
ガースはガッツポーズをとった。なるほど考えたな。わざと交代させて精霊の力でとどめを刺したのか。
土埃からクロウをかばいながら、しかしだ。勝ちほこるガースと対照的に、私は舞う砂埃……その先を見ようとした。
食いつくような『熱』を感じる。そう、アイリスが鞘を払った時から感じられていたそれが、まだ消えていないのだ。
「おい、残心を取れ。まだ終わってないぞ」
「あ? 何言って……」
私はガースに言う。反論しようとしていた彼だったが、そこでびくりと肩を震わせて振り返った。
同じ感覚を私もまた感じる。思わず聞き手が腰の刀に伸びた。そう、
――――剣気だ。
砂埃の中からぶつけられる、波動。まるで全身に焼けた鉄を流しこまれているかのような感覚。
私はしかめ面で息を吐いた。気のせいか吐息まで熱っぽくなっている。少しも火に触れていないのに、火傷でもしたかのようだ。
「素晴らしいわ、貴方」
「な……」
「嘘だろ……」ガースのつぶやきが私の耳に飛び込んでくる。
アイリスはドレスに付いた土埃をのんびりとした動作で払った。
ついで、持った得物を一度振る。その赤い軌跡上の風刃がゆっくりと『焼かれて』いくのが目に入った。
「よく『覚醒』を使いこなしてる。わたくしの下に欲しいくらいですわ。ねえ、朧のところから移動してこない?」
「ふ……ふざけんな! それよりなんで……どうやって俺の『牙風』を……覚醒も使わずに……」
「あら、簡単なことよ。あなたの精霊よりわたくしの精霊の方が強いから。ただそれだけですわ」
ガースの目が訝しげに細められる。私も同じ気持ちだ。だって相手は『覚醒』してないんだろう。
まだ分からないのだろうかというように、剣姫はふるふると首を振った。
「百聞は一見になんとやらですからねえ。ご覧なさい」
すると、そこでガースは気がついたらしい。彼の周囲。
『牙風』を打った余波がまだ舞う中、そのそよ風に乗ってチラチラと赤い火花が見え隠れしていた。
本人であるガースの周りをふわふわふわふわ、踊るように漂っている。
「わたくしは剣を振るたんびにその『火種』を飛ばしていたんですが、気が付かなかったんでしょうか。
まあ安心なさいな。加減はしてあります。稽古で死人を出したらわたくしも怒られますからね」
「……! よく言うぜ。ならクロウは……!! 牙風でダメなら直接斬るまでだ!!」
こんなもん! ガースは火の粉を振りからって再びアイリスに向かって突進する。
彼女はその様子を悠然と見つめていた。自分へと向かってくる、殺意に身を宿した剣士。だが、それでも火の粉は彼の周りを舞う。
やがて、アイリスはゆっくりと切っ先をガースへと向けた。波打った剣の、その先端。睨みつけるガースの目と交錯したのは一瞬のこと。
「―――――バン♪」
次の瞬間、炎が爆ぜる音。
一瞬で爆発に巻き込まれたガースは、そこで堪らず膝をついた。下半身を、突如幾つもの小爆発が襲ったのだ。
「ぐっ……! ど、どうして……風で払えない……!! 覚醒もせずに、なぜ……!!」
「言ったでしょう。『簡単なこと』と」
アイリスは構え解く。
「覚醒状態のあなたの精霊より、封印状態の私の精霊の方が強い」
ただ、それだけですわ。
そう言って剣姫は得物の切っ先を下げた。
***
私はゆっくりと立ち上がった。
「ガースと言ったな……下がってろ。あの子を頼む」
「は? おいちょっと待て、お前……!」
さて、今度はこちらの番だ。
止めようとする彼を無視して、私は一歩前に出る。そのままアイリスと相対した。
「あら、今度は見ない顔ですわね。どなたですの?」
「私は……」
飛燕流、如月 止水。『銀色のスナイパー』の用心棒だ。
……と言おうとしたのだが、ちょっと待てよ。私はそこで口をつぐんだ。
そっと後方を伺ってみる。するとそこには案の定。ソラがなにやらじとっとした視線を送っているところだった。
分かってるよ! 説教ならあとで受ける。ただ、あの場合ほとんど無意識のうちに飛び出してしまったんだ。どうも私は殺し屋には向かないらしい。
同じことをしそうなのがもう一人、あの運転手も飛び出しそうなもんだが。ふむ、姿が見えんな。
まあそれはいいとして、
ソラは両手で小さくバツの字を作ると、それから首を振った。ふむ、そりゃそうか。敵対する人間にバカ正直に存在をバラすこともないな。
というわけで、
「え、ええと……あれだ。新しく入隊した者だ。まだ見習いだがな」
「へえ〜。そうだったんですか。それはそれは……」
バレ……なかった! よかった。どうやら顔合わせの時にエクスの後ろに座ってたため、そこまで顔を見られていなかったらしい。
剣姫は興味を失ったかのように踵を返した。その背中に、私は声をかける。
「手合わせ願う。アイリス・アイゼンバーン」
「アイリス『先生』でしょう。お断りしますわ。いくらなんでも雑兵に剣を抜くほど暇じゃありませんの、最低でも本試験を突破して……」
「『孤児院』のことについても、少々話したいのだがな」
そこで、ピタリ。彼女の足が止まった。
振り返る。真紅の瞳が私の方に向けられ、ついで剣がキチリと震えた。
「……なんのことでしょう。サッパリわからないのですが」
孤児院!?
そこで私の後ろで驚きの声が響いた。ん? 振り返る。
満身創痍のガースとクロウが、「グレビリア孤児院のことか?」どちらともなく言う。
私は振り返った。ちょっと待てよ、あの孤児院、かなり辺境の地にある。そんなに有名なのだろうか。
「俺たちは、そこ出身だったんだ。おいちょっと待て、剣姫がどういう」
と思ったのだが、なるほど。『当事者』がいたのか。それなら話が早い。収穫ですらある。
あとでソラのところに連れて行っていろいろ聞いてみるか。私は出入り口を見たが、そこに彼女の姿はなかった。おそらく身を隠して観戦しているのだろう。
疑問を呈するガースたち。一歩歩いてこようとしたが、私は手を上げてそれを制した。
「あとで教えてやる。とにかく、御主らはそこにいろ」
再びアイリスと対峙する。
それからゆっくりと刀の柄に手をかける。親指が鍔を押し上げると―――――ああ、結局こうなるのだ。
『剣姫』の偵察。
あそこでそう言われた時に、私は空からきつく念押しされていた。間違っても戦おうなんて考えるなよと。
その解釈は正しい。私も従おうと思ったさ。こっそり偵察するならばそれがいいのかもしれない。
しかし、
『剣士として』戦ってみたいという気持ちもある。どうやら用心棒としての思考と、剣客としての思考。
双方かち合った結果前者が負け、後者が勝ったようだ。
「とにかく……分からないなら分からないでいいさ」
それに、悪いことばかりではないだろう。こうして直に切り結ぶ方が相手のくせ、呼吸、剣術流派、
おおよそ必要な情報は全て揃うというものだ。ならば、『剣客』も『用心棒』も両方満たせるじゃないか。
「『分からせる』までだ」
妖刀『疾風』
「……後悔しても遅いですわよ」
波刃剣『フレアクイーン』
互いの抜刀音が闘技場に響く。
さあ、
往くぞ、〝剣姫〟―――――――――――――




