その8 狙撃手と夜
いやあ食べた食べた。
飯も食ったしさっさと寝ようかな。
もう時刻も結構遅い。それに昼間動きまわったから疲れたぜ。
というわけで俺はベットに潜った。しかしセーラはいい人だ。わざわざ大人数が寝泊まりする船員室じゃなくて、こうやって個室も用意してくれたんだから。
うむ、ふかふかで申し分ない。柔らかい布団で寝るなんて何日ぶりだろうなあ。
「…………ぐがー」
というわけで俺は早速眠り始めた。
疲労していたぶんすぐに眠りの世界へ誘われてしまう。
エクス……おい、エクス。
そう数回呼ばれても最初が気が付かなかった。
「ん。んん……?」
なんだ……? 俺は呻いた。意識が無理やり夢の世界から引き戻される。
なんなんだいったい。人の気配を感じゆっくりと目を開けた。
「うわっ!」
「あ、すまん」
目の前には如月の顔。いや近い近い。突然のことだったので俺はベットから転がり落ちそうになる。
どうもこいつは人を起こそうとするとき極端に顔を近づける癖/(?)のようなものがあるらしい。
「な、なんだよ、びっくりした」
というか最初如月と気が付かなかった。羽織袴じゃなくて薄手の浴衣姿だし、
いつもはポニーテールにしている髪を、今は解いている。寝るときだからだろうか。
濡れ羽色の艶やかな髪は上腰ほどの長さまで流れており、枕元のオレンジ色のランプに照らされていた。
「いやあ、寝られないんだよ」
如月は心底面倒臭そうに言うと、ベットの淵にちょこんと腰掛けた。
「ふあ……どうして?」 欠伸混じりに俺は尋ねる。つーかだからって俺を起こさなくても。
とはどうしても言えなかった。いつもなら追い返す……かもしれないが、いつになく如月の目が真剣だったからである。
琥珀色の瞳はため息とともに一度閉じられると、次開いたときには遠慮がちに俺を見ていた。
「夜いっつも剣の型打ちをすることにしてるんだ。基礎鍛錬みたいなもんだ。んでそれをやらないとどうにも寝付けなくて」
「ふうん、ならやればいいじゃないか」
そういやこいつ、今まで車での旅の途中でも夜一人でガサガサやってたな。
どんな国に滞在してても野宿するときでも、必ず欠かしてなかったような気がする。さすがうちの用心棒。
剣に関しちゃ努力家でストイックだよなあ。
……で、だ。
大体言いたいことがわかってきたぞ。
「…………甲板で練習したいけど、高くて怖いから俺について来いって言いたいのか」
図星だったらしい。
如月は上目遣いで俺を見た。「当たり」
「だ、だめか……?」
いつもなら断る。ああ、断るさ。断る、が。
ううーむ。如月は困ったような表情をしていた。心底困ったような顔だ。
彼女とてこんな真夜中につき合わせちゃって悪いと思ってるんだろう。いつもの気の強さがあまり見られない。
「しょうがないなあ、いいよ。見るくらいならな。もしも落ちそうになったら助けてやるから安心しな」
時間を止めてな。
まああんな目で見られてしまうとぴしゃりとはねのけることはできない。如月の顔がぱあっと明るくなった。「ほ、ほんとうか?」
刀を取って来るからと自分の部屋に戻ると、しゃあない行くか! 俺はベットから降りた。
***
シィン。
月下に刃が振るわれる音が響く。
飛空船の甲板。中央で如月は剣の型を打っていた。座って見ていた俺は、そりゃあ最初の方は面倒くさいなと思っていたわけだが、
結論から言おう。見てよかった。うん。
如月の流れるような刀さばきは、素人目の俺からしても『綺麗』と思えるものであった。
一刀一刀が全くブレることなく振るわれ、行動から行動への接続が流水のように柔らかい。
おまけに絵になる。天空に大きく浮かんだ月。
月光が降り注ぐ中、銀色の剣閃を煌める如月は、そのまま絵画にしても良さそうだ。剣舞のような美しさがある。
小さな気合いとともに、刀を鞘に収め、高速で抜き、また納める。
パチリと納刀の音が響くと、それから如月は大きく息を吐いた。あ、終わりか。
額に浮かんだ汗をぬぐいながら、俺の元へ歩いてくる。
「すまんな運転手。ありがとう。これでようやっと眠れる」
「ああ。……いや、それはいいんだけどよ」
「? どうした?」
「いや……」
すげーなお前。
俺は持っていたミネラルウォーターの瓶を渡しながら、素直に如月に賞賛の言葉を述べる。
綺麗だったよ。そう付け加えた。
如月は面倒臭そうな表情をした。えっそんな顔しなくてもいいじゃないか。
それから片手を振る。
「よせよ。ただの剣舞だ」
「いやあでも、かっこよかった」
「私を褒めても何も出ないぞ」
「本心から言ってるんだよ。なんか、ちょっと見直したぜ」
如月はぽりぽりと頬を掻いた。俺は続ける。
「さすがうちの用心棒だ。って、なんで睨むの……?」
「元々私はこういう顔だ。それに、べ、別に嬉しくなんかないし」
「…………。嘘つけ。顔赤いぞ」
「気のせいだろう」
「………………」
「………………うふふ」
「あ、今笑っtいてて!!」
叩かれた!?
口を開くより早く、如月は踵を返した。「もう戻るっ」
早足でそのまま歩き去ってしまう。おい待て俺を置いて行くなよ。
っと、
その足が中途半端に止まった。うわっとと。ぶつかりそうになってしまった。
「ソラ達だ」
如月は後甲板を指差しながら言った。
***
ソラさんは後甲板の柵に寄りかかって、眼下の雲海を眺めていた。象牙色のコートの裾が風にはためいているのがわかる。
なんだ。ソラさんも眠れなかったのか。声をかけようと思ったが、もう一人側に寄りかかっているのが見えた。
「……懐かしいなあ」
セーラだ。背中を柵に預けながら言う。
仰いでいる代々の瞳はソラと逆。瞬く星々を追いかけていた。
俺も釣られて空をみると、うお、すごい。天の川っていうんだろうか。おおよそ地上にいたんじゃ見られないような星々が、煌びやかに瞬いている。
「もう十年以上前か。二人でよくこうやって夜空を見てたよなあ。どっちが先に流れ星を見つけるか競争とかしてたよな」
俺と如月は物陰に隠れて二人の会話を伺う。なんでだろう、よくよく考えると別に隠れる必要はないんだよな。
なんとなく割って入ってはいけないような気がしたのだ。如月も同じ気持ちなのだろう。声をかけようとしていたが、その足が止まる。
ソラさんは短く「そんなこともありましたかねえ」 とだけ返答した。
「なあソラ」
セーラはゆっくりと体を起こす。
剣装のコートのようなローブの裾がわずかに揺れる。こつこつと甲板を歩くと、それから振り返ってソラさんの背中を見た。
その淡橙色の瞳は、今までみたことのない光……戦う時のように真剣な視線を送っている。
「本当に殺し屋なんかやってるのか」
ソラさんは無言だった。俺たちに背を向けているためその表情はわからない。
一陣の風が銀色の髪をわずかに靡かせる。毛先が背中に落ち着くと、一人の剣士は再び言葉を紡いだ。
「どうして……」
ソラさんの無言は肯定だった。食事の時に告げたその言葉は、ひょっとすればセーラは嘘や冗談とでも思っていて欲しかったのかもしれず。
しかし、違う。本当だ。ごまかすことをしなかったのは、ソラさん自身も隠したところでいずれバレることが分かっているからかもしれない。
「まだ『あの時』のこと引きずってんのかよ」
再び彼女は手すりに寄りかかった。大きくため息をつく。
それからソラさんの、整った横顔を見た。
「ありゃ不可抗力だ。お前は悪くない。なあ、それでもまだ 「ねえ、セーラ」
「親友だからって、何もかも話さなきゃならないの」
セーラはそこでハッとしたようにソラさんを見た。
こっからじゃ彼女の表情はうかがい知ることはできない。
俺と如月は顔を見合わせる。いつものソラさんの、柔らかな声色ではない。
そういえば、一度過去にもこのようなことがあったな。
「幻術士と会った時だ(※第2章 その4)」 如月が言う。あ、そうそうそうだ。そのときだ。
イドロから心を探られそうになった時も、ソラさんは今のような反応だった。
「……そうか。いや、そうだな」
セーラはゆっくりと立ち上がる。
「悪かったよ。はは、私は私、お前はお前だ。まあ、今のお前を見る限り、いい仲間にも恵まれてるみたいだし、そんなに心配しなくてもいいかもな」
『いい仲間』というところで俺たちは身を隠す。
え、まずいばれてる? いやばれてないか。たまたまだ。
それからセーラさんは踵を返した。「じゃあ私は寝るわ。おやすみ」 そういって船室へと続く階段を下って行く。
静寂が訪れると、ようやっと俺たちは顔を出した。近づいていくとこちらの気配を感じたのか、振り向く。「あら……」
「こんばんは。景色がいいから、眠るのがもったいなくて」
そういってソラさんは、またいつものよう柔らかく笑った。
ありがとうございましたー




