その40 狙撃手と矜持
轟音。
振り抜いた刀が元に戻る頃には、周囲には鮮血が舞っていた。
ポタポタと滴り落ちる赤色の血液。夜の闇の中に赤黒く浮かび上がるそれは、瞬く間に血だまりを作ってゆく。
先ほどとは打って変わって、静寂。冷たい風が頬を撫でた。
「……――」
この感触は久しぶりだった。そう、少し前から長らく感じたことのない、久しい感情。
刀の切っ先が地面に向くと同時に、足音。私は一歩後退した。
「な……」
今この瞬間も、私の脇腹からは血が溢れていた。片手で押さえても、なおも指の隙間からダラダラと血が流れる。
そんな馬鹿な。飛ぶ斬撃を打ったのは私だろう。なのになぜ……
そう、負傷したのは私の方だった。
それは、『恐怖』である。
久方ぶり……おおよそ忘れるほど長い期間抱いたことのない気持ちだ。どうして、なぜ目の前にこの男は無傷で立っているのか。
先ほどと同じように、『主』は長大なライフルを肩に担いでいた。唯一異なる点は、その銃口からもくもくと白煙が上がっている点であろうか。
「―――――――――――――〝フルバースト〟」
主は言う。
「凝縮した魔導を『すべて』『一度に』打ち出す銃撃の方法だ。弾速は遅いんだがよ、威力はその辺の攻撃とは比べものにならねえ」
少なくとも、斬撃を打ち消すくらいは造作もない。
主の声は大きくないにもかかわらず、やけに私の脳内に響いていた。ようやっとカラクリがわかってくる。
『飛ぶ斬撃』は当たっていなかったのだ。直撃の瞬間に、おそらく引き金を引いたのだろう。
斬撃を相殺した弾丸は……いや、『相殺』ではない。私の斬撃を打ち消し、なおもその余波が当人である私にまで届いた。
致命傷に至らなかったのは、弾速が遅かったゆえとっさに私が躱すことができたから。それでも浅く当たってしまったし、そして当たってしまった部位が悪かった。
「……ちょっと待てよ、嬢ちゃん、その傷……」
主も気づいたらしい。そう、かすっただけというのに、明らかに私の出血量は多い。
理由は言うまでもない。少し前の『D4』 との戦闘。あの長髪の女から受けて治療したばかりの傷口が、また開いてしまったのだ。
えぐられるような形になってしまったらしい。激痛がのたうつように浮かび上がってくるのがわかる。
「ふん、かすり傷だ。こんなもの、今ので終わりじゃああるまいな」
強がりながら、私は再び立ち上がった。
「なにか『かすり傷』だ!! おい! てめェ俺を舐めるのも大概にしろよ! そりゃあもう若くねえが……それでも手負いの剣士にやられるほど耄碌しちゃいねえぞ」
言いながら主はガシャン!!と音を立ててライフルを一度大きく振り回した。
魔導が装填される金属的な音。遠心力でリロードしたのか。ふむ、この男の戦い方がようやっとはっきりわかったぞ。
銃使いのくせに、接近して攻撃してくる。ライフルを大剣のように振り回しながら、徒手格闘もかなりの腕前であるのだろう。
そしてそれだけではない。格闘の中に銃撃を挟んで来るのだ。
だからこそ、当て身で中空に打ち上げようと意味はなかった。
「そうだ」
主は言った。
ガシャン!という音。それを聞くと、私は痛みをむりやり意識の外に押し込む。
傷口を押さえていた手を離すと、そのまま主に向かって駆け出した。
「体術に銃術を織り交ぜた、近接格闘。それが俺の戦い方だ。わりいな嬢ちゃん。遠くからちょこちょこ打ってくるかと思ったかい」
「う、うるさい!!」
ガァン!
剣速が落ちているのが自分でも分かった。当然ながら、放った横薙ぎは容易く受け止められる。
相手の銃のグリップが私の銀色の剣閃を止めると、次の瞬間には翻った銃身がこちらを睨む。
「観念しな」
「くっ……」
「このままあんたのその土手っ腹をぶち抜くくらいわけないことだ。それとも、本当に死ぬか?」
悔し紛れの斬撃も、容易く止められる。
主は私の腹に銃口を押し付けた。まだほのかに温かく、魔導の残滓が上衣を通じて感じられる。
「降参しな」 と主は言った。遠くでヤマハリとかいう豚が一声鳴く。
「何も命まで取ろうとは思わねえよ。な?」
「ふん………」
こちらの刀はガッチリと受け止められている。
おまけにこの距離。相手がわずかでも引き金に力をかければ、言葉の通り大きな風穴が開いてしまうだろう。
ここまでか。ではどうする。降伏すれば命は取らないと言っている。普通なら、それが懸命なのかもしれないな。
「珍しいものを集めるためなら、命をかけると言ったな」
腹からはこの瞬間もダラダラと血が流れ続けていた。
主は頷く。「ああ、言った」 だからこそ、私とこうして衝突しているわけだ。
考えてみれば――――それは当初私は批判していた。そんなことのために命をかけるなんて馬鹿げている。死んだらそれで終わりではないか。
ところが、今こうしてみるとはっきり断言することができた。
私も―――――――――――――同類だ。
「同じだよ、私も、なあ、主」
「あ?」
渾身の力を込めて、私は相手の銃身を掴んだ。
熱い。火傷して痛みが走るのがわかる。しかしそれでも離さない。
満身創痍でも、私は戦意を失わなかった。たとえ腹から血を拭いても、斬撃を止められようとも、銃口を突きつけられようとも、
この四肢が動き、この目が見え、そしてこの刃が折れない限り――――――
―――――――――――――剣士の『矜持』は、私の心の中にある
「な……!! てめェ! そんだけ傷ついてまだ……!!!」
驚きに顔を歪める主をそのままに、私は一歩踏み込んだ。
「ここで逃げたら!!!!!」
「私は――――――――私じゃなくなるんだ!!!!」
峰で相手の銃口を捌くと、一気に距離を詰めて『主』の懐へと飛び込んだ。
***
同時刻。
『ノア』コア内。
ピピピピピピピピピピピピピ
《統括コンピュータ『ノア』より伝令、統括コンピュータ『ノア』より伝令》
ピピピピピピピピピピピピピピピピ
「あれ、おい、旦那。ガクの旦那」
ピピピピピピピピピピピピピピピピピ
「ん……?」
「指令が入りましたぜ、ほら」
《統括コンピュータ『ノア』より伝令、B区画において、巨大な魔導反応と『剣気』を確認。
『D4』以下2名……〝抵抗〟のガク、〝溶斬〟のネンスを、投入します。》
「あら、ほんと、やれやれ……まだ自己修復が終わってないんですけど」
「そんだけ回復すれば十分でしょうが。しかし……ひとりは『主』か。んで剣気……こいつは一体……」
《繰り返します。統括コンピュータ『ノア』より伝令、統括コンピュータ『ノア』より伝令。現在B区画において……》
「誰でもいいでしょうが別に。つーか、先に出て行ったヘア達に任せときゃーいいのにな。ああ、めんどくさいなしかし」
「まあそうおっしゃらずに。方舟計画の前にちょっと暴れましょうや、『能力』が鈍ってないか試したいんでね」
「ほらごらんなさい、ちょうどいい」
《なお、》
ピピピピピピピピピピ
《投入先で半演算の解放を許可、および》
《出力は各々リミッターの上限を設定。反乱分子その他、危害を加える第三者的因子に対しては》
ピピピピピピピピ
「あら、ほんとう」
《それが生物、非生物を問わず》
「久しぶりに、暴れましょうかねえ……………」
ピピピピピピピピ
《抹殺することを、許可します―――――――――――――》
読んでくださってありがとうございました!