その37 狙撃手と剣客
「方舟計画の……データ?」
「そうだ、ノアのコア内にあるデータ。そいつをそっくりそのまま頂戴してやろうと思ってよ。
ほれ、そのために闇ギルドから高性能のメモリを買ってきたんだ。こいつにコピーしてやろうと思ってな」
男は……『主』は悪びれる様子もなくいう。夜風が私の頬を撫で、濡烏色のポニーテールを柔らかく揺らした。
コア内に存在する方舟計画のデータ……『コピー』するというからには、原本が必要である。それを得るためにノアの周囲をウロウロしているというのだ。
「それでか! おい、今すぐやめろ。御主がノアに手出しするせいで、『D4』という強力な敵が街に放たれてるんだ。こっちの行動に支障が出る」
私は事情を説明し、さらに付け加えた。「そもそも方舟計画のデータは壊すんだから」
これは少し前にルアから言われたことであった。『ウイルス』をノアのコアに作用させることと、方舟計画のデータをバグを起こしてしまう。つまり機能不全のことだ。
主は「はあ?」と私に聞き返す。
「冗談じゃねェ! そりゃこっちのセリフだ。闇ギルドから闇ギルドを渡ってなあ、どんだけ情報を集めたと思っていやがる。
んで方舟計画の期日をようやっと掴んで、こうして乗り込んだんだ。まあ、なぜかノアがどこにも見当たらないんだけどよ。ともかく、そいつはできねえ相談だ」
どうやら主も『注射』の影響を受けているらしい。
教えてやろうと思ったが、どうにも虫が好かないのでやめた。
「というか御主、闇ギルドの人間だったのか」
主は『しまった』というように自分の口をつぐむ。
「とにかく、ダメなものはダメだ!! ほれ、帰った帰った。俺と一緒にいると機械兵に攻撃されるぜ」
「もとよりそういう危険は承知で来たんだ」
ジャケットについた汚れを払うと、主は私に言う。
引き下がらなかったのは言うまでもないことだ。
「そもそも、データなんか手に入れてどうするんだよ。方舟計画が発動したら、御主も巻き込まれるのだぞ。それでもいいのか一体」
「ふん、そんなもんにビビってたらコレクターなんてやってられるかい。俺は俺のやり方でやる」
こっちもこっちで、話がこじれてきたな。全くこの主とかいう男、とても強情だ。
私がいくらおどそうとすかそうと折れる様子が微塵もない。一度心に決めたら、テコでも動かないぞ、と。そんな容姿がひしひしと感じられる。
というかこの調子どこかで一度体験したことがあるぞ。既視感に、私はわずかに眉をひそめる。
そう、思い出した。
ソラだソラ。あいつが注射を拒む時もこんな感じだったぞ。普段は柔軟な頭を持っているにも関わらず、妙なところで頑固がんてつ。
そう言えば、ソラと面識があると言っていたなこの男。聞いてみようか。
口を噤んで主の顔を見ていると、彼は私の目の前でピシャリと膝頭を叩く。「そもそもな、コレクターってのは『レアもの』ならなんだっていいのさ」
よっぽど私が不可解というような顔をしていたからだろうか。腕を組み、プカプカと紫煙を燻らせながら男は話し始めた。
「ハオルチア大陸は広い」
なおも彼は続ける。
「めちゃめちゃ広い分、お宝がごろごろしていやがる。俺以外にもコレクターな連中は山ほどいるぜ。アンティークギルドっていう言葉聞いたことねえか」
ないな。私は首を横に振った。
とはいえ、実は私は接点があったらしい。この刀……妖刀『疾風』、これが売り飛ばされそうになった闇ギルドこそ、アンティークギルドの一つだったのだ。
ほとんどは合法であるが、稀にこのような闇ギルドも存在しているあたり、コレクターが集まるギルドというのも無数に存在するのだろう。
そう考えると、男の言葉も信用できる。コレクターという人種だ。もはや職業になっているあたり、規模も大きい。
「くだらん。そんなにものを集めて何になるんだ。レアものだかなんだか知らんが、そもそも命を落とすかもしれんのだぞ。それでもいいのか、死んだら元も子もないだろう」
私の言葉に、主は大声を上げて笑った。
「はっはっは!!! おもしれえことを言うな! 死んだらそんときはそんときだ! 運がなかったと諦めるんだな!
それに、厳選……ああ、レアもんを集めることな。厳選で苦労する分、理想の品を見つけた時の喜びはでかい。その一瞬を、俺たちコレクターはたまらなく求めるのさ」
「それで死ぬような目にあってもか」
おおもちろん。
主は大きく頷いた。煙草が灰になり、またまた吸い殻の数が増える。
ポケットからもう一本、先の曲がったそれを取り出すと、再び咥えた。本当に吸いすぎだ。こちらまで匂いにむせそうになる。
「例えばよお、如月の嬢ちゃん、『じゃれ』って存在を知ってるか。俺が手に入れたい物の一つなんだがな」
「え? なんだって……? じ……?」
「『じゃれ』だ。じゃれ」
知らん。
私はまた答えた。すると、今度は主が意外そうな顔で私を見る。
「知らないのか。そりゃあいかん、旅をするなら知っといたほうがいいぜ。『移動する災厄』なんて呼ばれてる」
煙草に火を灯す。
風の流れにとって白煙がこちらに漂ってきた。
しかめ面で手を振ると、「ああ失礼」と主は煙を吐き出す方向を変える。
主は携帯端末をジャケットのポケットから取り出した。ソラが使っているようなボロボロの、『とばし』の物ではない。
画面を操作すると、繰り出した画像を私に向ける。
「!? な、なんだこりゃ」
「左側の画像が『じゃれ』が通過前に街並み。右側が通過した後だ」
そこには、見比べやすいように二つの画像が並べられていた。
主の言葉の通り、私から見て左側は大通りの街並み……帝政都市ニグラくらいの大きさであろうか。
豊かで発達したと思わしき国の一場面の画像。
そして、右側の画像。
表示された座標が左側の画像と一致していることから、間違いなく同じ場所ということがわかる。
『無』だった。
何もなかったのである。更地だ。建造物も、人も、植林された木々も一本残らず消滅している。
かといって荒れ果てて廃墟群になっているということでもない。左に移る物が何もかも、『なくなっている』のである。
残骸すらも、一つたりとも見て取ることができない。代わりに吹き皆までに白く染められた平地が、ただ見渡す限り広がるのみ。
「……どうしてこんなことに」
「『じゃれ』が通ったからだよ」
それから主は話した。大陸警察が事後に調査隊を送った結果、国民、建造物、その他、あらゆる物が全て消滅しこの世から消えていたらしい。
『土地』すらも消滅したという。豊穣で作物が多く実る国で有名であったが、どじょうの成分を解析したところ、すみからすみまで雑草すら育たない腐りきった土に変貌していたという。
「どういうことなんだ。『じゃれ』ってのは一体………」
「それがな、わからねえんだ」
私の反応が予想通りだったのだろう。
主はくっくと喉を鳴らし、満足そうに笑った。
私は聞き返す。「分からない?」
「そうだ。分からねえ。『じゃれ』ってのは一体なんなのか。一切の情報を誰も知らないんだ。
どういう方法で国を丸ごと消しているのか、男なのか、女なのか、いや、そもそも人間なのか、種族はなんなのか。
もっというと、生物なのか、無生物なのか、それすらな。わかることは『自立して動く』ことと『動いた後は何も残らない』ということ。そして、じゃれは『存在する』ということ」
「はあ?」
「嘘じゃねえぜ。じゃあなぜ移動するのか、その目的すらも定かではない。意思だってあるのかわからねえ。
どうやって移動するのかもまた然り。だからよ、旅人の間では一つの通説がある」
主はそこで言葉を切った。
もったいぶるように私の顔を見ている。ええい気に入らんな。
そんなこと知りたくもないと言いたいところだったが、残念ながら好奇心の方が勝ってしまった。
それに、他ならぬ我々も私たちもハオルチアを旅している身なのだから。
主は言った。
「―――――――――――――『じゃれ』はもはや『概念』である」
「定期的に存在する座標を変更させる形を持たない概念、あるいは、『破壊』および『滅亡』を司る事象そのもの。
ゆえに、移動先に鉢合わせしたら諦めるしかない、だとよ。こいつを手に入れてみろ! コレクター魂が疼くぜ」
私は言葉を失った。なんだそりゃ。対策も何もあったものではないではないか。
いや、考えてみれば当たり前か。そもそもなんなのか定かですらないのだから。
『じゃれ』なる『何か』を手に入れたところを想像して熱くなる主に、……そうだ、本題を忘れていた。
というより、おそらくこれ以上話してもお互い埒があかないだろう。そういう場合の『策』はどうすることであるか、事前に決めてある。
私は右耳の小型通信機。その電源を切って羽織のポケットにしまう。ここから先は、できればルアたちに観察されたくはない。気が散る。
「……そうか、御主の意思は変わらんのだな」
「はっはっは!! おう、そうだな………俺を殺せばノアにちょっかい出すのはやめるかもな! なんてかっこいいこと言ってみたりしてよ。ほれ、分かったらさっさと帰れ」
「ふむ」
俺を殺せばか。
「―――――――――――――ならば、そうしよう」
いうや否や、私はほとんど間髪入れず刀に手をかけた。
神速の一閃を、
『主』の首へ。
読んでくださった方ありがとうございましたー