その17 狙撃手と政治家
風が吹く。
時刻は深夜だった。幾ばくか湿度のある、生暖かい風が私の銀の髪を揺らす。
肩口に乗ったそれをパラリと払うと、目の前の人物に言葉を紡いだ。
「……なるほど、そういうことでしたか」
私の言葉に相手は笑った。
今更知ったところでもう何もかも手遅れだぞ―――『嘲笑』だろうか。
「そういうことだ。なあ銀のスナイパー。政治ってのはいろいろ大変なんだ。
少なくともこうやって『工作』でもしなけりゃやってられない。」
金髪碧眼の女――――ゼルフィは言う。傍らには武装した黒服が二人。油断なく私を見つめていた。
場所は廃ビルであった。私たちが狙撃を失敗したビルだ。屋上ではなく埃っぽく、きっと昼でも夜のように暗いだろう。
ガラスの破片が散らばっており、ゼルフィは足でその一つを蹴っ飛ばす。窓枠に腰掛ける私の方に転がってきた。
―――――全ては最初から、仕組まれたことだった。
おそらく自分たちは利用されたのだ。依頼を受けた時に気がつくべきだったかもしれないが…ぬかった。
最初の段階ではゼルフィは外交大臣の娘と言っていた。全議会のナンバー2の部下だ。
最高権力『議会主席』を殺すことが私への依頼。
そうすれば規定により外交大臣か経済大臣かが次の『議会主席』となるが、現在ゼルフィ達の対立勢力である経済大臣が席を外している。
したがって、暫定的に外交大臣であるゼルフィ達が最高権力となり得る――――一度なってしまえばこちらのもの、と彼女は言っていた。
これが最初に説明されたこと。
ここからは私の予想だ。とはいえおそらく当たっているだろう。
――――――ゼルフィは、議会主席に私たちの存在を知らせたのではないか。
『自分で依頼し』『自分でそれを告げる』。
しかし、『自分が依頼したこと』は巧みに隠匿しておく。
そうすることで、裏で最高権力を殺そうとした政敵は―――――表では国を守った英雄となり、経済大臣と争うまでもなく絶大な信頼と得られるだろう。
それこそ、投票すれば『次期議会主席』など容易く成ることができるはずだ。
狙撃の時だ。仮にあの時私がバレていると分かっていても引き金を引いていた場合でも、すなわち現『議会主席』が死亡してしまっても。
経済大臣がいない今、前述の要領でゼルフィたちは議会主席になることができる。
しかし、
それにしては少々おかしな点もある。
言うまでもなく私はアッテンを狙撃しようとしていた。それを事前にアッテン自身が知っていたにもかかわらず、どうして彼は『正面から』『堂々と』現れたのだろう。
秘密裏に裏口から出る、遮蔽物で隠す、いくらでもやりようはあっただろう。いや、そもそも定例会自体注すにすればそれで済む話だ。
にも関わらず……スナイパーに狙われている――――にも関わらず、普段通りに行動していた。sp(護衛)の数を増やしてすらいないのではなかろうか。
「………」
予想は一つ立っていた。
そう、あの振る舞い。護衛の数を増やす必要もなく、身も隠す必要もない。
しかし、狙撃には対抗できる。それはすなわち、
すなわち―――――『強大な何か』に守られている、ということか。
あるいは、『強力な誰か』と置き換えてもいいだろう。
その『何か』、あるいは『誰か』が、こちらの存在を補足していたと考えれば――――つじつまが合う。
「狙撃に失敗した場合でも、成功した場合でも…」
私は言う。
ゼルフィはその後の言葉を代わりに紡いだ。もはや隠すつもりはないようだ。
「そうだ。現議会主席・アッテンが死のうが生きようが次期議会主席は私たちのもんさ。
それに、仮にお前らが全てを話してぶちまけたところで、私らがそれを否定すりゃいいだけのこと」
なおも続ける。
私はポケットのコートに手を突っ込んだ。どうにもこの女の話を聞いているとイライラしてくる。
「薄汚い殺し屋と潔白な国のナンバー2。馬鹿な国民がどっちを信用するかは明白だな」
なぜだろう。理由は簡単だ。利用されたからだ。それに、確かに言っていることは正しい。殺し屋…世界の裏側の人間。政治家…国の表側の人間。私たちが『黒』といっても連中が『白』といえばその色は白だ。
録音でもしていれば話はまだ別かもしれないが、あいにくそういう類の機器は依頼を受ける際———事前に徹底的に排斥されている。
向こうがサインした書類…簡単な契約書のようなものもあるものの、さてそれを公表したところでどうだろう。ここまで策を弄する相手なら巧みに誤魔化されるような気もする。
いや、そもそも公表するところまで持っていけるだろうか。再び私はゼルフィを見た。
「…もしも殺すつもりなら…エクスさんと」
「あん?」
「……エクスさんと如月さん……私の部下二人だけは見逃してやってくれませんか」
その言葉に、ゼルフィは吹き出す。大笑いだ。
「はっはっは!! バカじゃねーのかてめぇ! いいか、運転手と用心棒も皆殺しだ! 真相を知るものは一人たりとも生かしちゃおけねえのさ!!
お前のお仲間んとこにはうちの兵を行かしてある。今頃二人とも殺されてるだろうよ」
そうだ、どうなってるか状況を教えてやろうか―――ゼルフィは黒服から携帯端末を借りると、慣れた手つきで操作する。
私はその間――――黒服たちをさりげなく観察した。左腰に剣、そして手にはマシンガン。これから私を殺すつもりらしい。
なるほど近づいてしまえば、狙撃が売りのスナイパーなんぞ無力。それに人目につくかもしれないため、二人という人数も妥当に思える。
ピピピピピピピピピ
「しっかしな、面白いもんだぜ。なあスナイパー、
お前んとこの部下もなかなか出来るみたいだが、うちの兵を舐めるなよ」
ゼルフィの携帯の呼び出し音が鳴る。彼女はもう勝利を確信していた。
心臓の鼓動が一気に跳ね上がり、緊張が高まる。
ピピピピピピピピ
無論、これから仲間の死を見せられる恐怖、
自分が殺されるかもしれないという絶望、
どうあがいても絶望的なこの状況に対する、諦めの感情―――――
ピピピピピピピピピピ
――――――『ではない』
少なくとも、
この性悪な政治家が思っているほど、私は何もかも向こうに『利用される』つもりはなかった。
ピピピピピピ
「……? 変だな…」
真夜中の廃ビルに電子音が鳴り響く。
ゼルフィがわずかに眉を潜めた。まだ電話に出ないのだ。
割れた窓から風が再び吹き込んだ。今まで東から吹いた風向きは変わり、西から私を撫でる。
髪を片手で押さえ、私は再び外を見た。ぽっかりと虚空に浮かんだ端の欠けた月。
月光がゼルフィ達と対峙する私の銀髪と象牙色のコートを照らす頃、
ピリリリリリリリリリリ
今度は私の携帯端末が鳴る。
これから殺されるかもしれないという緊迫した情報にもかかわらず、向かい合って互いに端末を操作する。なんとも珍しい光景であろう。
「……どういうことだ一体…? なんで出ねえんだ」
「…………もしもし。ええ、はい。おやおや、早かったですね。怪我は? …そう。それはよかった」
驚いた様子でゼルフィは私を見ている。どういうことかわからず、頭の中では疑問符が明滅を繰り返しているのだろう。
一方の私は電話口から聞こえる元気そうな声を聞いて———この時ばかりは心の底から安堵した。
「……ゼルフィさん」
さて、
私は携帯を切り、ゆっくりと視線を起こす。
「あなた先ほど、「うちの兵を舐めるなよ」とおっしゃいましたね」
「………っ!!」
私の視線を受けて、ゼルフィ達はたじろく。おそらく自分でも抑制がきかないほど、冷たい目をしているのだろう。
『仕事』を行う時の癖だった。昔から治ることのない…そしておそらく今後もまた。
なるべく殺気を抑えていた方がいいのかもしれないが、…私もまだまだ未熟ということであろうか。
まあ、それはいい。私は続けた。「その言葉、そのままお返ししましょう」。
「—————————私の部下…いいえ、『友人』を、舐めないでくださいな」
「!!? おい、撃て!! こいつを撃ち殺せ!! 早くしろ!!!!」
ゼルフィも叫ぶ。
銃声が廃ビルに響き渡った。
読んでくださった方ありがとうございましたー