その30 大作家の遺言10
やがて一週間が経過した。
ソラは剣征会屋上で黄昏ていた。
象牙色のコートが風でわずかにはためいている。
季節は冬。ちょうど寒気を伴う風が西から吹いているところだった。高所であることも相まって、地上よりも寒い。ソラの白皙が、うっすらと赤らんでいる。
その後ろにはエクスがいた。同じように、ソラが見ているであろう遠方に目を合わせている。
「これからどうしましょう。ソラさん」
「……」
ソラは無言であった。
が、エクスを無視しているのではない。もっというとその銀色の目は、遠くに向けられているが景色を見ていなかった。
別の情景を見ている。
否、追憶していると言えるかもしれない。
過去のことであるーーー過去と言っても、おおよそ七日前のことだ。中央図書館で戦った、前頁の話である。
『幻想の国戦役』と言われていた。
命名したのは『精霊の国』の情報屋である。単純な名前だが、その単純さゆえ各国の瓦版屋、新聞屋がこぞって用いた。
三日後には噂話に着色した記事が各々の国に出回り、事実を知らぬ民間人の間に伝えられた。各国の首脳も同じ情報を当然持っているが、その精度は異なるといえるだろう。
幻想の国戦役は、いよいよ剣征会の名声を高めることとなった。当初おおよそ十二人の集まりであった騎士団が、直々に世界を揺るがしたのである。いよいよ最強の二文字が揺るがないこととなった。
『賢者』を撃退した騎士団。
そういう二つ名が付いている。しかも、撃退した『賢者』は二体。
余談だが、『賢者』は『二人』ではなく『二体』と呼称される。ハオルチアでは人型の呼称は、今読者諸氏のいる世界戦と同じく『人』であるので、これは少々おかしい。獣人でも人型の機会でも、それが二足歩法で四肢を持って入ればとりあえず『人』で数える。
もともと『賢者』という言葉が最初に用いられたのは、『水晶の国』の『水晶史』なる風土記による。ハオルチア歴1年、魔法使いガウスによって記録されたものである。
ガウスは最初に『賢者』と呼ばれた魔法使いであった。
そもそも魔法使いは長寿であることが多い。ガウスは最初水晶史を日誌とするつもりであった。彼(あるいは、彼女)の放浪癖と好奇心が、一介の日記を風土記としたのである。
その記録の中に、『賢者は二体』なる記録がある。第二巻の、七百七十頁。
ガロア、オイラなる賢者二体、卓越した術を使いし(略
筆者が調べたところ、おおよそこれより古い『二体』の記述は存在しない。おそらくガウスはこの部分を書き損じており、それが後々ハオルチアに広がったのであろう。
こういう小さな部分まで世界中に影響を及ぼしている。ハオルチアでどのくらいガウスが存在感があるか、よくわかる事例であろう。
余談が過ぎた。
少々誇張して話が広がっているが、ともかく剣征会一行が賢者二体(誤用であるがガウスに敬意を払い、あえて用いたい)を撃退したのは事実である。誇張されている部分は、情報屋やぶん屋が『無傷で』撃退したという点である。剣征会側も、多大な損失を被っていた。
例えば、一番隊隊長セーラ・レアレンシスの乱心である。
たくみにこの事実は伏せられていた。嗅ぎつけた情報屋はいない。精霊の国の評議会が、たくみに誘導したのである。 こ↑こ↓は、精霊の国も剣征会も重要視しているという証明である。
ともかく、すごい。そういう感想を民間人が抱くように世論を誘導したとも言えるかもしれなかった。もっともこれは精霊の国周辺に限ることである。
より遠方の国がどういう印象を抱いているか、それは定かではなかった。当然ながら無傷撃退ではなく、傷を負った剣征会側の人間も多数存在した。
「……そういえば、如月さんの容態は」
ソラも同じことを思ったのだろう。エクスに質問する。
「あ、だいぶんいいらしいですよ。もうほとんど傷も治ったようですし。リハビリも順調らしいです」
「そうですか。それはよかった」
よかったし、
もう一つ思うことがある。それはソラにとって疑惑であり、そもそも全ての根源と言えるかもしれなかった。
果たして、セーラ・レアレンシスは本当に乱心したのか。
『歌姫』が歌い出したのかという問題である。この点にソラは、どうしても懐疑的にならざるを得なかった。徹底的に殲滅せずに、セーラは撤退しているのである。
中央図書館に『賢者」が二体ーーーフィンフィアとゼダムが攻め込んで、剣征会の隊長連中と乱戦担っている間、セーラはその場に姿を表さなかった。
あるいは、完全に歌い出していないのではないかーーーそういう疑問をソラが抱くのも、無理もないことだ。
ともかく、紆余曲折あったが一応、幻想の国戦役は収束した。
「如月さんが治り次第、次の行動に移りましょう」
「え、次とは……」
「無論、セーラさんを助けるための行動ですよ。彼女と約束しましたから」
「ああ、なるほど。アテはあるんですか」
「無論のこと。二人の過去を洗います」
「なるほど、過去ですか。……ええ、二人、というのは? 一人はセーラさんですよね」
「……」
ソラは答えなかった。
セーラと、『自分』ーーーソラ自身の過去、とは。
その銀色の目は一週間前ではない。もっと前ーーー自分の幼少期を、見ていたのかもしれなかった。




