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その29 大作家の遺言9

 裏路地をソラは駆けていた。

 より正確に言うなら、中央図書館北側の大通り、その枝道となっている路地裏を南側に走っている。

 後方に気を使っているのは言うまでもない。たった今セーラ・レアレンシスと交戦し、その場を切り抜けてきたからである。


 ───なぜ。


 敵と接触しないよう細心の注意を払っていたが、しかしソラの胸中は穏やかではなかった。どうしてセーラの体内の「歌姫」が孵化してしまったのか。

 参謀のカンロが言っていた。確かに「歌姫」の猶予は7日ほど。その7日のうちに、なんとか手を打ち、セーラを救出する。そういう算段だったのである。

 この「手を打ち」という部分は、当然ながら「歌姫」を開発した錬金術士、フィンフィア・ジュエルコレクトを倒すことに他ならない。

 セーラの旧知の仲であり親友であるソラは、今度は殺し屋として明確にフィンフィアを殺すつもりでいた。それは友としてではなく、仕事としての意味も含んでいる。


 が、

 現状、それは破綻している。


 セーラの「歌姫」はもう歌い出していた。それはすなわち、全ての計画が頓挫したことを意味しているのである。

 これまでソラが賢者を殺すために練った策、剣征会として中央図書館を防御する計画、そして双方で賢者を迎撃するための戦法が、真っ向から崩れることとなった。


 ───考えられることは一つ


 ソラがフィンフィアにいっぱい食わされたと気付くのは、事実から逆に考えればそう難しいことではなかった。

 フィンフィアは自由に「歌姫」の潜伏期間を操れるのだ。今回のように7日ほど早めることもできれば、その逆もおそらく可能なのであろう。任意で時期を動かすことができる。今回はそれを早めただけに過ぎない。


 つまり、今セーラは殺すのを躊躇わない。


 あの目つきは、人斬りの目だった。ソラは先ほどわずかに相対したセーラの目を思い出した。

 いつもの鮮やかな橙色の、澄んだ瞳ではない。虹彩は淀み、瞳孔は大きく開いている。人間ではなく、獣のそれに似ていた。

 「殺す気」となったセーラを、当然ながらソラは知らない。知らないが予測はできた。彼女の放つ「全力」ーーー言い換えれば、強力なオリハルコンの斬撃が、来る。


 なんでも斬ることができる。


 単純で、それ以上どう解釈しようもない明快な彼女の剣は、しかし相対するとこれほど脅威に思えることはなかった。無限とも言える応用の幅があるように思えるのだ。それは剣術に明るくないソラでも当然推測できる。

 今ソラはセーラを引き離し、充分撹乱しようとしていた。だが「距離」そのものを斬ってしまわれては、それも無に帰してしまう。他にも、周囲の「光」を切れば、相手の視界を奪うことができるだろう。いちいち対抗策を考えていたらきりがない。

 現に、逃走が成功したというのに一向に落ち着かないのだ。


 果たして、その直感は当たっていた。

 角を折れた時のことだった。上から波状の斬撃が降ってきた。あと少しソラが屈むのが遅かったら、おそらく頭蓋を割られていたであろう。頭をかばった両手に、斬撃がうっすら掠った。

 「斬空」という剣であった。剣征会の真打ちが牽制に用いる、剣気を波状にして打ち出す飛び道具。これくらいは、ソラも既知である。


「随分と、面倒な真似をしてくれたな」


 遅れて現れたセーラは、長剣を肩に担いだあの独特の構えで現れた。そのまま混濁した黒橙色の身瞳をソラに向けている。

 ソラが言う前に、彼女の思考を読んだかのようにセーラは続ける。


「そうだよ。『距離』ともう一つ、『あるもの』を斬ったんだ。いいか、私から逃げられると思うなよ。オリハルコンは、獲物を逃がさない」


「……私を殺して、どうするおつもりですか」


「少々違うな。殺してもいいが、腕か足を一本もらう。それを、『主』に持っていくのさ」


「『主』に?」


 初耳であった。

 当然のことであるが、セーラ側の策略ーーーすなわち、「賢者」が中央図書館を襲い、永遠の書第11巻で「喫煙所の主」をおびき寄せようとしていることは、ソラは知り得ない。

 その副残物として、セーラはソラを斬ろうとしている。今のセーラの言葉で、その部分だけ汲み取ることができた。


「ほう。『主』を」


 瞬間、ソラの右手はホルスター内の「ランド」に触れた。

 ほとんど同時に、セーラは長剣の柄を握り直す。互いの距離は7mほど。これはソラの間合いであることこそすれ、セーラの間合いでない。「斬空」は届くが、あれはあくまでも牽制である。通常ならば、生身で腰を入れて斬らなければ、骨の一つでも両断することは不可能であった。

 ()()()()()


 違和感を覚えた。


「……?」


 繰り返すが、ソラは違和感を覚えている。

 抜いた「ランド」の弾丸を射出できない。まっすぐその長大な重心はセーラの右膝に向けられている。直撃すれば、足の一本をたやすく奪うことができた。剣士にしてみれば、それはほとんど戦闘不能と同義である。

 が、撃てない。

 引き金に人差し指がかかっていた。つまりもう少し力を入れれば、大きな重低音とともに弾が飛び出すはずである。ドラゴンとも渡り合えるほどの、ハンドガンとしては規格外の弾が。


 セーラは銃口を向けられても、へらへらと笑っていた。

 避けようともしない。普通なら「ランド」の「いかく」により生理的な嫌悪を覚えるはずであるが、どこ吹く風であった。


「どうした。抵抗は無し、か」


「……あなた、一体なにをしたんです」


「言っただろう。『距離』ともう一つ、『あるもの』を斬ったと。その右手の傷を見てみな」


 傷などない。

 と言おうとしたソラであったが、そこで彼女は気がついた。先ほどの「斬空」、わずかに掠ったのである。ちょうど薄紙で斬ったような数センチの切り傷が、右手の甲に存在した。

 『ランド』はその右手で握っている。そして傷は、同じものが左手にも存在した。ほんのわずかな切り傷が。


「長剣『エリュシオン』はオリハルコンでできてる。純度99.8%以上のオリハルコンでできた刃は、この世の全てを文字通り斬り裂く。なんでも、だ」


 セーラは言った。

 自分の剣は自分が一番扱い慣れていると言った様子で、その口調には淀みがない。一陣の風が、濃橙の剣装の裾を揺らす。


「飛ばした斬撃も、同じだ。もっとも、実際の刃で斬った場合より当然範囲も質も落ちるがな。それでも元々「なんでも」斬ることができるんだ。多少劣化したところで、変わらん」


「……で、『あるもの』とは。私はもうだいたいわかりましたが」


 ぬかった。

 完全に回避しなければならなかった。これではこちらの一番の武器を封じられたも同然である。ソラは少し前の自分の手抜かりに、ぎりりと奥歯を噛んだ。

 撃てぬ「ランド」は、そのままセーラに向けられている。

 否、「撃てない」のではない。確かに「ランド」の機構は健全である。引き金を引くことができれば、弾は飛び出すだろう。しかし指を動かす一挙動が、できない。自分の意思に反して、ピクリとも動かなかった。

 そんなソラの様子を見ながら、セーラは続けた。


「察しがいいな。「斬空」で斬ったのは、お前の──────『『狙い』という概念』だ」

 

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