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その19 『幻想の国』へ9

 その幻想の国では、今現在本の祭典「ファンタジア賞」の前祭が行われている。

 そもそも「ファンタジア祭」は幻想の国最高の作家を決める行事である。とはいえその焦点はいわゆる「大御所」作家にあるのではない。気鋭の新人作家を発掘することにあった。

 選考には各々の作家の重鎮が関わっている。ファンタジー小説の大御所、恋愛小説の大御所、時代物、SF、さらに挿絵を作るイラストレーラーや、古文書の権威である魔術師、

 さらにその本が発行された際に市場の動向を予測する経済学者まで参加するのだから、いかに規模が大きいかため息が出らん思いである。


 当然ながら、受賞すれば作家としての栄光は保障される。多重出版は当たり前。「幻想の国」だけではなく、ハオルチア全土で読まれるのだ。

 連載ものであれば、次話の予想を専門に行う業者まで出る始末で、こうなると受賞した新人は「大御所」の仲間入りだ。


 それだけではない。

 今回のファンタジア賞は、例年のそれとは一味も二味も異なっている「ある要素」が存在した。


「……それが、ゼオン氏の最高傑作「永遠の書」……その幻の第十一巻」


 「幻想の国」最高の作家、ゼオン・シンビフォルミスの著作「永遠の書」。

 10巻構成のその第11巻が、ファンタジア賞の賞品として受賞者に差し出されるのである。


 アロエ・ベラは身震いした。もうページが擦り切れて、ところどころ暗唱できるほど読み込んだファンタジー小説「永遠の書」。その続刊を読むことができる。

 心が震えたと言っても良い。何としても読みたかった。

 おそらく受賞者に第11巻が譲渡された後、どこかの出版社が莫大な金を積んでその出版権を買うため、最終的には誰でも読めるようになるのだろうが、アロエとしてが是非()()に手を取って読みたい。そのためには、ファンタジア賞を受賞するより方法がなかった。


「……後、一週間。ファンタジア祭本祭まで後一週間……」


 アロエは指折り数えてその期日を待っていた。

 狭い一人部屋である。数日完全徹夜して、自作の最後の遂行を終えたのは昔のことである。

 机の上には乱雑に散らかった原稿用紙やインク瓶が散らかっていた。巷では魔力を用いたタイプライターでの執筆がほとんどであるが、彼女は万年筆に原稿用紙という「手書き」を貫いている。無論、彼女の敬愛するゼオン・シンビフォルミスを真似たものだ。


 あれから───つまりアネッタとアープがフィンフィアと小競り合いを起こし(※忘れた人はその4〜その7を読もう!)、そしてアネッタ・バントラインが死亡して四年が経過していた。

 当時の司書見習いアロエは22の作家志望となっていた。

 図書館の仕事はもうやめていた。アネッタにかばわれ、アープに助けられてすぐ、心労で退職したのである。当時十八のひ弱な文学少女に、「賢者」の圧力とアネッタの死はあまりにも絶望的すぎた。

 司書見習いはギルドからの派遣で成り立っている。人気の仕事であったため代わりはいくらでもあり、アロエは誰に引き止められるでもなく図書館を去った。


 ───あの時のことを思い出すと……。


 アロエは思う。今だに総毛立つ思いである。「賢者」フィンフィアはアロエに強烈なトラウマを植え付けていた。

 アネッタの怒声と、フィンフィア・ジュエルコレクトの膨大な魔力を帯びた黒い目、アープに手を引かれたあの場面は、四年という月日が経過しても全く癒えることはない。心の傷は断崖のように深かった。

 とても仕事なんぞできる心理ではない。だがそれでも路頭に迷わず食っていけたのは、理由があった。


 ベルが鳴る。

 「はーい」。アロエは思い出しかけていた嫌な記憶を振り払うと、度の強い眼鏡をかける。緑色の癖のある髪を束ね、ゴムで縛った。

 玄関に急ぐ。


「はい、はい、ただいま開けます」


 この家屋は立て付けが悪かった。もともと物置にしていた場所を、宿ギルドから借りているのである。

 扉の端を蹴っ飛ばし、弾みをつけて勢いよく開いた。


「よう」


 ワイアット・アープは少々疲れた表情で現れた。アロエが挨拶を返すのも早々に、「今月の分だ」生活費を渡す。

 もう四年続いたいつものことながら、やはりアロエはとまどった、そして申し訳のない表情をした。封筒も受け取ろうとしない。

 その細い手にアープが強引に生活費を握らせることも、もう四年繰り返されている。


「いいから受け取れ。例によってそう多くないけどな」


「うん……ありがとう。あ、上がって行って。コーヒーくらいご馳走するから」


「いやここでいい」


 このやりとりもいつものことである。アープは引き止めるアロエを片手で制すると、さっさとその場を後にしようとした。

 心労で満身創痍となったアロエが生活できているのは、その実こういう所以である。保安官ワイアット・アープにとって、アロエ・ベルという人間は親友の遺言そのものだった。

 だからこそ彼女が傷つけば身を呈して庇うつもりだし、生活できるだけの金を渡す。アープが保安官をしつつ「喫煙所」に入隊したのは、アロエを養うためであった。


「待って」


 アロエは駆け出してアープを追った。普段あまり走らないため、転びそうになる。

 アープは立ち止まった。振り返る。アロエは肩で息をしながら尋ねた。


「あの、一週間後……覚えていますか」


「アネッタの命日だろう」


 忘れるはずがない。胸中でアープは思う。

 今回その日がファンタジア祭の本祭期間中と重なっているのは、はたして奇妙な偶然であった。


「そうだ、なあアロエ、ファンタジア祭に応募したんだろう」


「う、うん。最終選考に残ってる」


「聞いた。すごいな。誰にでもできることじゃない」


 アープの言葉に、アロエは赤面した。


「ただ、受賞もしくは選外佳作だったら、図書ギルドに呼ばれるわけだ。気をつけろ」


「……気をつけろ?」


「帝国軍が襲撃する、という情報が出てるんだ」


「帝国軍!?」


「あ、バカ……! し、しーっ!」


 アープは慌ててアロエの口をふさぐ。ちょうど洗濯物を干していた裏手のメイドが、びっくりしたように二人を見た。

 「極秘になってるんだから」とアープは注釈する。アロエは慌てて頷いた。が、どきりとしたその興奮だけは拭えない。


「帝国軍……って、あの帝国軍?」


「ジェイド帝国の帝国軍だ」


 というかそれ以外に帝国軍があるのか。早撃の名手は友人を呆れたように見る。

 その友人は、気分を落ち着けるためにゆっくりと眼鏡を押し上げながらアープに尋ねた。


「そうして? 軍事国家がどうして本の国を?」


「それがわからないから俺たち保安官もてんてこまいしてるんだ」


 そして「喫煙所」も投入される───という事実は黙っていた。

 また、その裏で〝大召喚士〟ゼダム、〝哲学者〟フィンフィアという二人の賢者も動くことはもちろん知り得ないことである。この二人の狙いは「永遠の書」第11巻だ。


 アロエは頷いた。去るアープの背中を見送り、彼の言葉を思い出す。「受賞することがあったら気をつけろ」

 もっとも、それはどこか別のことのように思える。自分が受賞するとはとても思えないのである。最終選考の作品に関する途中総評を見たが、どれも非常に力作揃いらしい。

 さらにいうと、最終選考に残った、つまり目と鼻の先に「ファンタジア賞受賞」があっても、アロエの心は満たされなかった。アネッタを失ったトラウマがそれほど深く根付いているのである。


 ───我ながら……


 滑稽だなとアロエは自嘲する。いや、いささか純情すぎるだろうか。

 生まれた時から本の虫だった彼女にとって、その時初めて恋というものを知った。一目惚れである。

 だからこそ、惚れた数分後にその対象を失った悲しみは、何事にも比較でき難く、そして絶望も大きい。

 

 それでも崩壊せずにやってこれたのは、やはり本のおかげである。読むことも、そして書くことも。

 やり切れない思いと虚無の中で、いつのまにかアロエは筆をとっていた。約四年かけて書いた長編を、初めて賞に送ったのだ。そうして最終選考に残っている。


 その発表が、一週間後。

 ごくりとアロエは生唾を吞み込む。一週間後の発表。そのときまで緊張しっぱなしだろうなと思われた。


 やがて、

 矢のように一週間は過ぎた。

 快晴の某日。「ファンタジア賞」本祭は開始される─────────

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