その18 『幻想の国』へ8
カンロの持つ「知識」は何も戦術や作戦に限ったことではないらしい。
それこそ魔法をはじめとし、非常に多岐にわたる。
「天才なんて言葉で片付けたくないけどな。それでも私は、こいつほど頭がいい人間を見たことがない」
セーラはカンロの肩に手を置きながら言った。
五番隊は例外的に真打ちが二人いる隊である。評議会に書類を提出する場合など、軍医であるレイが代表となるが、副官とされるカンロも同様の権利を有している。
その証拠に、彼女の起伏の少ない胸元には剣石「エメラルド」が輝いていた。
「叡智」あるいは、「衛生」を司る大粒の緑色が。
「……だからこそ精霊「詩の蜜酒」と相性がいいのだ。こやつは解析した膨大なデータを全て一度術者の脳内に送ってくる。並の人間なら負荷に耐えきれないからのう」
カンロははちみつを舐めながら言った。
それから「さて話を戻そう」と言葉を続ける。
「いくつかの工程をさらに解析すれば、「歌姫」の元となった物質は「卑金属」であった」
「卑金属?」
「くず鉄のことさ」横からセーラが付け加える。
「その通り。他にも石ころなんかをそう呼ぶこともある。元となった物質は「卑金属」。それから魔具として「歌姫」を作り出した。これが意味することはひとつ───」
「錬金術ですか」
「察しがいいな。その通り。「卑金属」を「貴金属」に作り直す魔法の賜物だ」
明らかに「賢者」でなければ行えない構築に加え、この事実。
つまるところ錬金術師の賢者によって「歌姫」が生成されたということになる。
そして、過去にセーラはそういう人物に一度だけあっていた。つい最近のことだ。
「フィンフィア・ジュエルコレクト。「春のない国」での帝国対策会議のときだ。あいつは確か、錬金術師だった」
「もう間違いないじゃないですか」
フィンフィア・ジュエルコレクト。
ソラはその名前を頭の中に刻み込んだ。
「……フィンフィアといえば」
カンロはわずかに目を瞑り、頭に手を置いた。
その膨大な知識から目的の情報を引き出そうとしているのかもしてない。とはいえそれは一瞬のことである。
「その道では知らぬ者がおらぬほどの、高名な錬金術師である。革新的な物質に精錬方法を次々と発表し、それまでの錬金術を過去の物にした……」
「へえ」
「だが、案外付け入る隙はあるかも知れぬ。神のごとき力を持つ「賢者」だが、神そのものではないのだから」
人間が作ったのなら、人間が壊せるのも道理であろう───カンロは言う。
それから冊子の最後の項を見るようにソラに告げた。「歌姫」の解除条件がまとめてある。
一、「歌姫」が宿主から別の対象に移されること。
二、宿主の体内に「歌姫」が奇生している間に、その宿主が死亡すること。
三、「歌姫」が寄生している部位を宿主から切り離すこと。
四、「歌姫」を作った術士を殺すこと。
五、強力な相殺魔法及び打ち消し魔法などの「歌姫の効力を無効化あるいは削除する魔法」を使うこと。
「なるほど、よくここまで……」
「作り方を知れば、自ずと全容が見えてくる物である。このうち一と二は三は現実的ではない。五も不可能だ。「賢者」の魔法に対抗できるのは「賢者」しかおらぬ。つまり狙うなら……」
四、「歌姫」を作った術士を殺すこと。
そこでソラの目が光った。
「「賢者」を殺すんですか」
「それしか手はないであろう。それに、あまり時間が残されておらん。もってあと二週間だ」
あと十四日。ソラはセーラを見る。険しい表情だった。
だが事前にカンロから聞いていたらしく、思ったほど動揺していない。
「ちょうど『幻想の国』のファンタジア祭、その本祭が終わる頃だ。それまでに「歌姫」をどうかしなくちゃ……」
セーラ・レアレンシスは殺人鬼となる。
剣士ではない。人斬りへと堕ちるのだ。旧友のそういう姿を、ソラは言うまでもなく見たくなかった。
「ねえセーラ」
ソラは一歩前に出た。
「協力するわ。人殺しは「殺し屋」の領分よ」
銀色の瞳は、正面からセーラの橙色の瞳を見つめていた。少なくともその快活そうな鮮やかなオレンジ色には、「人を殺したくて殺したくて仕方がない」という欲求は見受けられない。
あるいは、今はまだ見受けられないというべきであろうか。
「……すまんなソラ。それからカンロも」
セーラは頭を下げた。そんな彼女に対し、カンロはひらひらと手を振る。
「なに、気にするな。それから、まだ他の天誅には言わぬ方が良い。手前とソラ殿と……ふむ、そこまでであろうな」
「なんなら、正式に依頼してくれてもいいんですよ?」
ソラはおどけたようにクスリと笑った。
***
同時刻──。
恍惚とした表情のフィンフィアは、その瞬間ぴたりと手を止める。
「どうした?」バロンボルトが尋ねても、彼女は無言だった。
───「歌姫」を……。
それは「異変」というにはあまりにも小さな変化だった。しかし、確実に「歌姫」に何かあったと推定できる。
愛する人とのめくるめく快楽の中でも、その差異は如実に術者のフィンフィアに伝えられた。
「……フィン?」
「「歌姫」を解析した輩がいるみたい」
「なんだって?」
行為を中途で止めて、バロンボルトは起き上がった。
フィンフィアも上体を起こす。その肩にバロンボルトが脱いだ上着を掛けると、「ありがとう」と言った。
「一体誰が?」
「それはわからないわ。ゼダムではないことは確かだし……」
同僚のゼダム・モンストローサならばいくら探そうと、いじろうとどうでもよかった。あれの専門は召喚術だ。
錬金術に関しては簡単なものしかかじっていないはずである。「歌姫」を解析しようとしたところで、どうせ不可能だ。
────しかし。
とフィンフィアは思う。「歌姫」を知っているのはバロンボルトと自分と、それからゼダムのみ。
それ以外の第三者が嗅ぎ回っているならば、少々面倒である。しかもその嗅ぎ回っていることをフィンフィアが近くしたとなれば、解析は概ね正しいと言うことだ。
まさかその解析者が、剣征会の五振り目の真打ち、カンロ・アラニアクローバーであることは、さすがの「賢者」でも知り得ないことである。
「ねえバロン。ゼダムは「歌姫」のことを誰かに言ったりした?」
「まさか。ゼダム様は口の軽い方ではないよ。というか言おうとしたら僕が止めるさ」
「……そうよね」
もう少し早く「幻想の国」に行く必要があるかも知れない。
気だるい快楽の名残の中、フィンフィアはぼんやりと思考するのだった。
そろそろ諸々の作業も落ち着いてきたので、更新頻度あげます。




