その17 『幻想の国』へ7
目の前のこの淡い蜂蜜色の髪の少女は、嘘を言っているようには見えない。
同じような色の目は、さも当然というようにソラとセーラを見返している。
「手前の情報収集能力を見くびってもらっては困るのである。参謀とは組織の知。策を企てるだけが仕事ではないさ」
なるほど。
どうやら「歌姫」に関しては、セーラがあらかじめ離していたらしい。
そこからカンロが独自で調べていたということか。
─────しかし、どうやって
ソラは思考する。みたところ腕っ節が強いわけでもない。人脈がありそうにも見えない。
多くの剣豪とは異なる……いや、そもそも剣士ではない彼女が、一体どのように。
「お目にかけようか」
そんなソラの考えが伝わったのか、あるいはよほど不思議な顔をしていたのか。カンロは釣っていた瓶の蓋を開けた。
「まず「歌姫」とは、その対象の善を悪へと置換する魔具のことである。これはセーラ殿から聞いた。現在肝臓下部に存在するとのこと」
ここからが本題である。剣征会の参謀は続ける。
言いながら先ほどまでソラが座っていた椅子に腰を下ろした。
「────『覚醒』。〝詩の蜜酒〟」
そこでソラと、それからセーラは見た。
ちょうどカンロ・アラニアクローバーの背後。一瞬のみ彼女の「精霊」は姿を現す。
古びた壺のような外見である。橋がかけたその表面は幾何学的な模様が描かれており、少し考古学に知識があれば南ハオルチアに伝わる古代文字であることがわかる。
「……「情報」とは、「唾液」のようなものである」
カンロは言った。
「当人の意思とは無関係に溢れてくる。それでいて、食べ物の分解、鎮痛、粘膜の保護、役割を上げればきりがない。
しかし、唾液は実にこれらをうまく選択する。食物を鎮痛させたりはしないし、傷を分解したりはしない」
重要なことは、解析し取捨選択することである。「情報」とは一口に言っても、有益無益入り混じっており、不必要なそれとは時には害ですらあった。
「……「詩の蜜酒」はな、「知る」ことを司る精霊である。対象物の情報を解析し、それを術者に伝えるのだ。なあセーラ殿」
カンロの上司は頷いた。ソラは驚いた様子で彼女を見つめている。
「では、あなたはその精霊で「歌姫」を……」
ソラが見た時にはもう、壺は……否、壺型の精霊は消えていた。
しかしカンロの口ぶりからすると、入れ物ではなく中にあるであろう液体こそが、精霊そのものなのかもしれない。
彼女の言葉に、やはりカンロは頷く。それから蜂蜜をすくい、舌先で舐めた。
「「歌姫」は約百五十三の工程を経て生成されておった。一つ一つが並みの……いや、少々優れて魔法使いでも不可能なほど高度で、複雑。
既存の魔術理論を応用していたり、全く新しい理論を組み合わせていたりする」
彼女の言葉を聞きながら、セーラは柵によりかかった。
「ちょうど一昨日な。カンロに、精霊をあてがってもらった。「詩の蜜酒」は腹の上に塗れば……一応肝臓の解析ができる。だったよな?」
セーラの言葉にカンロは肯定する。
なるほどそういうことか───────ようやっとソラは合点がいった。
自分が「歌姫」を教えたのが四日前のことである。それからすぐにセーラは、信頼する参謀にそのことを話したのだ。
「その通り。ゆえに二日。手前はこの百五十三の工程を全てまとめた。ええと……あった。これがそのまとめである」
ソラがカンロから受け取ったものは、分厚い羊皮紙の束であった。細い羽ペンでびっしりと文字が書かれている。
細かな数式に魔術式、それぞれ式番号が割り振られ、定理には注釈としてなぜ成り立つかの証明までつけられているではないか。
「さて、一番初めに行われた工程は一としよう。最終百五十三のうち、工程三十三と工程十二、以上三つは工程一未満の物質を探ることができるのだ。
これは今の三つがそれぞれ打ち消しの魔法をかけられた際の対策となっているからであり……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ソラの言葉に、カンロはきょとんとした顔で説明を止めた。「どこか間違っていたであるか?」
「いやあの……あなた、これ全部一人で考えたんですか?」
「考える? 既存の魔術定理は書き下すだけであろう。全く未知なのは一から考えねばならんから少々時間もかかるが……まああそれでも小一時間あれば理解できる」
なんということはないというようにカンロは言った。驕りや虚ではなく、本当にさも当然と言った表情である。
ソラはもう一度冊子のページをめくって見た。ちんぷんかんぷんだ。一番単純であろう工程一も理解すらできない。
それだけではない。カンロは「既存の」定理と言った。それはつまり、彼女自身が「知っている」ということである。
「カンロさん、失礼ですが魔法使いなんです?」
カンロは声を上げて笑った。
「まさか! そんな才能手前にはないよ。魔術理論は趣味でかじっただけである」
知識としては明らかに趣味でかじるレベルを超越していた。魔術に関する高等教育を何年も受けてやっと理解できる。そんな内容なのだ。
「だから、理論がわかっても再現はできぬな。完全に余興であるな。それでも、頭の体操くらいにはなるのでな」
言うカンロを、今度はソラが無言で見つめた。
「剣征会の入隊試験は、全部で四つある。気、剣、体、知。点数を加えていく方式で、上限は八百点」
そんなソラに、セーラは言った。
一陣の風が濃い橙色の剣装と、二本のおさげを揺らす。
「気」とは剣気、「剣」とは剣術、「体」は体術、「知」は知識、論理的思考力である。
エレメンタリア……いや、ハオルチアで最高峰の剣士を募集しているだけあって、どの部門でも無理難題揃い。
前述の通り八白点満点。加点式だ。つまり部門ごとの満点は設定されておらず、総計のみ満点を設けている。
「ちなみに私は、気百点、剣三百点、体二百点、知百点の、合計七百点くらいだったかな……」
この点数の審議はエレメンタリア評議会が行う。年二回、夏と冬。その後に少数の二次募集を持ってして、締め切られるのだ。
約三百点で平隊士として就任でき、副官以上は六百点ほど必要であった。平均点二百点行かぬ試験で、である。
「カンロは……くっくっく……私も評議会で採点に参加したんだが、おかしかったな。あん時の上役連中の反応は……」
カンロ・アラニアクローバー。彼女のみ何度も採点が行われた。それほど点数の内訳が奇妙だったのである。
それはある意味、部門ごとに上限を設けないからこその配分と言えた。
気───────0点。
剣───────0点。
体───────0点。
知───────800点。
ありえない。
人々はまずそう言った。当初採点官の誰もが、まず「知」の試験で書かれた内容を理解できなかったのである。
協力を依頼されて高名な科学者や法術士を介してようやっと、カンロと言う受験生の「知」の側面が明らかとなった。
「単純な記憶力、思考力、あらゆる分野に貪欲な知識欲。それだけじゃない。見たものをその場で覚える瞬間記憶力、蓄えて知識を応用する機転────どれも超一流だ」
セーラの言葉に、ソラは唸った。




